2026.04.28
バーテンダー後閑信吾×シェフ米澤文雄
「最初にしたのはエアベッドを買いにいったことでした」——世界No.1バーテンダーと名料理人が同居していた⁉
世界の頂点に立ったバーテンダーと、食の最前線を走る料理人。後閑信吾さんと米澤文雄さんが20年前のニューヨークでの出会いと青春をたどりながら、思い出の一皿と一杯を味わえるイベントを開催。その原点が今の輝きへとつながっています。
- CREDIT :
写真/筒井義昭
後閑信吾(バーテンダー)×米澤文雄(料理人)
あれから20年……ふたりがNYでの青春を語る

▲ 後閑信吾さんが手がけるNYのバー「Sip&Guzzle」は北米の「ベスト50バーランキング」で堂々1位に輝いた。@jcrispinphoto-@LIGHTFOOTAGENCY-316
2026年4月23日、世界のバーシーンで、ひとつの快挙が成し遂げられました。後閑信吾さんが手がけるニューヨークのバー「Sip & Guzzle」(2024年オープン)が、今年の「North America’s 50 Best Bars」ランキングで堂々の第1位に輝いたのです。世界のトップバーテンダーやジャーナリストが投票するこのランキングにおいて、北米の頂点に立つということは、すなわち“いま世界でもっとも注目される1軒”であることを意味します。

▲ 東京、沖縄、上海、香港、ニューヨーク、マドリードでバーを展開している後閑信吾さん。
2012年に世界的なカクテルコンペである「バカルディ・レガシー・カクテルコンペティション」世界大会で優勝した後閑さん。チャンピオンとして世界を旅しながら独自のスタイルを模索し、上海「Speak Low」や渋谷「The SG Club」など話題店を続々と成功させてきました。「Bar World 100」(バー業界で最も影響のある100人 )には7年連続で選出され、2023年にはあのロジャー・フェデラーとともにユニクロのTVCMに出演したのは記憶に新しいところ。いまや、時代の寵児ともなった彼ですが、その原点には無名時代のニューヨークでのある出会いがありました。あの日から20年……仕事も言葉も、居場所さえも不確かだったニューヨークでの青春時代を振り返ります。
バーテンダーとシェフ——食と酒の世界をそれぞれに極めたふたり

▲ 26年4月には「No Code」台北店をオープン。今秋には米国移住も予定しており、ますますグローバルに活躍する料理人、米澤文雄さん。
20年前の出会いの相手とは米澤文雄さん。食いしん坊の読者のみなさまならご存知、ジャンルを超えた提案を続ける西麻布のレストラン「No Code」の創業者にしてシェフ。20代で渡米し、当時のニューヨークで一世を風靡していたフレンチレストラン「Jean-Georges(ジャン・ジョルジュ)」(ミシュラン3つ星)では日本人として初のスーシェフを務めました。帰国後、六本木の「ジャン・ジョルジュ トウキョウ」エグゼクティブ・シェフに就任。「The Burn」(青山一丁目)を経て「No Code」をオープンする傍ら、日本航空の国際線ファーストクラス・ビジネスクラスの機内食メニューを監修、食品企業のコンサルテーションなど活動は多岐に渡っています。
一方で、障がいや病気がある人とその家族にレストランでの特別な時間を提供する「HAJIMARI」プロジェクトにも参画。生産者との協働や食のサステナビリティへの関心を深めるなど、社会や文化、そして食の世界をつなぐ、これからの料理人像を体現するひとりです。
家賃1200ドルの2ベッドルームで同居

▲ 米澤さん(左)、後閑さん(右)の対話の舞台となったのは「The SG Club 参階 - Sangai」。
言わば、食と酒の世界をそれぞれ極めたふたりがどのように出会ったのかを聞いてみましょう。この日、後閑信吾さんのバー「The SG Club 参階 - Sangai」で一杯飲もうと訪れていた米澤さんをキャッチ。20年前のあの日のこと……憶えていますか?
米澤 もちろん、憶えています。初めて会ったのはニューヨークのJFK空港。信吾を迎えに行ったんです。それまでもメールは時々もらっていたけど、会うのは初めてでした。今のようにビデオ通話やSNSもないから顔がわからないし、何時に到着する便なのかもよくわからなかったけど、それでも会えたんだから、当時ってすごいですよね(笑)。
後閑 あの頃、ヨネ(米澤)さんはすでに「ジャン・ジョルジュ」で働いていました。ぼくは渡米するということだけ決めていたのですが、仕事も家もツテも、なにもない状態。ヨネさんとは共通の知人がいたので、彼がニューヨークに住んでいることを知り、とにかく頼っていこうと。まずは部屋が決まるまで、しばらく居候させてもらおうと思っていました。
米澤 ぼくが住んでいたのはブルックリンのプロスペクトハイツ。今はなんかいい感じのエリアになってるけど、当時はぜんぜん。家賃1200ドルの2ベッドルームだったけど、他にルームメイトもいたので、信吾の居場所はリビングルームでした。だから、まずエアベッドを「ターゲット」(大手小売店)に買いに行ったよね(笑)。寝心地は良くなかったと思うけど、そこから3週間くらい一緒に住んだかな。
ふたりをつないでくれたキーパーソン登場!
20年前と言えば2006年。今ほど海外留学が一般的ではなかったとしても、多くの若者が海外に学びや経験の場を求めて旅立っていた時代です。でもふたりはなぜニューヨークを選んだのでしょうか。米澤さんは高校卒業後に恵比寿のイタリア料理店「イル・ボッカローネ」で勤務していたし、海外へ出るならイタリアへ行くのが自然な流れだったはず。
また後閑さんは高校卒業後、二子新地のバー「ポットラック」でバーテンダーとして働いていました。バーテンダーが海外で修業するなら、ニューヨークもいいけどロンドンも有名ですよね?
米澤 なぜニューヨークか? まず自分には英語が必要だと考えていて、英語圏に行きたかった。それとニューヨークはさまざまなカルチャーの中心地だからかっこいいじゃないかと。なんか言葉にすると軽いんですけど(笑)、当時はもうニューヨークしかない!と思ったんですよね。
後閑 ぼくはロンドンへ行くか、ニューヨークへ行くか、悩んでいたんです。でも当時働いていたバー(「ポットラック」)の常連さんが「君はニューヨークでしょ」と背中を押してくれて。実はこの方がヨネさんを紹介してくれたんです。

▲ 「遅くなりました」と登場したこの方が、後閑さんと米澤さんを結びつけたキーパーソン、井崎正吾さん。
納得のできるギムレットが出来るまで夜通しシェイカーを振り続けたことも

▲ 後閑さんにとって、もっとも古いお客のひとりである井崎さんを前にシェイカーを振る後閑さん。あれ、ちょっと緊張気味?
「いや、待って。それは私の記憶とはちょっと違うかも」と言いながら、入ってきたのは井崎正吾さん。実はこの方が後閑さんと米澤さんの“共通の知人”で、ふたりをつないだキーパーソンだったのです。飲食の業界で接客コンサルティングや和食のインストラクターをしている井崎さんは、米澤さんとも旧知の仲。後閑さんの働いていたバーの常連でもあったことから、米澤さんのいるニューヨークへ後閑さんを送り出そうと決めたのですね?
井崎 いえ、あの時の後閑君は(ニューヨークとロンドンの)どっちがいいかなと迷っていたんですが、彼の方から『ニューヨークに決めました』と言ってきたんじゃなかったかな。
後閑 え、そうでしたっけ? ぼくはてっきり井崎さんに『ニューヨークの方が向いてるよ』と勧められたと思ってて、色んなインタビューでもそう話してきちゃったんですけど(笑)。
まあ20年も前のことですし、記憶が曖昧になりますよね。でも若干22歳だった駆け出しバーテンダーの後閑さんを知る人は今やほとんどいないから貴重でしょう。後閑さんはどんなバーテンダーだったんでしょうか。
井崎 今とあんまり変わらず、当時から光るものがありました。だから日本にとどまらず、海外へ出たほうがいいと勧めたんです。だけどまだ進化途中でしたから、納得がいくギムレットが出来るまで夜通し作ってみたこともありましたね。
後閑 100杯くらい作ったかな。翌日は腕が棒のようになりましたけど(笑)。
20年前に誕生した「あの一皿」と「あの一杯」

▲ 3人が集まれば自然と昔話に花が咲きます。
さて、ニューヨークはJFK空港でのシーンに戻りまして……米澤さんによる後閑さんの第一印象は「ちょっとやんちゃな兄ちゃん」だったと言いますが、ふたりは初対面からウマが合った様子。3週間に及ぶ同居が終わり、後閑さんが無事に部屋を借りた後も、休日には一緒にレストランやバーのリサ―チにも出かけました。
米澤 (のちに後閑さんがヘッドバーテンダーを務めるNYの名門バー)「Angel’s Share」にも一緒に行ったよね。
後閑 あの時、色んなバーでカクテルを飲んだけど、正直あまりうまく感じなかった。これなら絶対イケると思ったよ(笑)。
とは言え、英語もおぼつかない23才の後閑青年がすぐに有名バーで働けるわけもなく、後閑さんはしばらく日本料理店のバーで下積みをしていました。当時25歳の米澤さんはニューヨーク生活4年目で、給料は週700ドル(月額にすると現在の為替レートで約45万円)。ルームメイトとシェアしての家賃が600ドル(同・約9万6000円)だから……当時の日米の為替に鑑みれば、生活はラクラクとは言えないものの、青春の日々を明るく灯すには十分だったのではないでしょうか。

▲ 後閑さんのニューヨーク第一日目の夜に米澤さんが作ったサラダを再現。「たしかあのころは1本3ドルくらいの安ワインを合わせてたかな(笑)」
あの頃、互いの家で料理やカクテルを作って楽しんでいたというふたりに思い出の味を聞いてみました。
後閑 ぼくはまずニューヨーク第一日目の夜が印象に残っています。ヨネさんがまずサラダを作ってくれたんですが、そこにマンゴーやミントが入っていたんです。おお、さすがニューヨーカーはサラダにフルーツを入れるのかと(笑)。
米澤 それが当時の「ジャン・ジョルジュ」のスタイルだったんだよね。フランス料理の伝統をベースに、アジアや世界各国のスパイス、ハーブ、フルーツを駆使した軽やかな料理が持ち味だったんで。たしか白ワインを合わせたかな。
後閑 それとなんかパスタを作ってくれたような……。ニューヨークの第一夜という興奮もあって忘れられないおいしさだった。
米澤 ある晩、信吾の作ったカクテルも忘れられないよ。きゅうりとパイナップルを使った爽やかな1杯だったね。
後閑 あれはのちに「St.Tomas」と名前を付けて「Angel’s Share」でもメニューに載せました。今も、ウチのカクテルのスタンダードな素材として、きゅうりとパイナップル、レモングラスのプレミックスを作っているのだけど、その名前は「STT」。ウチのバーで働いている人なら誰でも「STT」で伝わるはず(笑)。

▲ 「懐かしい。でも今も新鮮においしいと思います」と米澤さん。
こうして20年前を振り返ると、エアベッドから始まった3週間の共同生活と、何気ないやりとりが、その後のふたりの仕事に確かな影響を与えていることがわかります。それぞれの道を歩み、世界の第一線で評価される存在となったいまでも、原点はそのまま。偶然の出会いと、同じ時間を過ごした夜が、ふたりのスタンダードをつくり上げてきました。
そんな20年前の記憶をたどるように、来る5月13日にはふたりの料理とカクテルを一度に味わえる一夜限りのイベントが開催されます。思い出の一皿と一杯が、どのように現在へと昇華されているのか——その原点と現在のコントラストを、ぜひご自身で確かめてみてください。
さらに後編では、ふたりが見つめる“これからの飲食”について語ります。あれから20年、そしてこれからの20年へ向けて——。

▲ これからのレストランやバーはどうなる? トップバーテンダーとトップシェフが語る飲食業界の未来は後編に続きます!

◆イベント
「あれから20年~バーテンダー後閑信吾×シェフ米澤文雄」
ニューヨークで出会ってから、20年。
それぞれの道を極めてきたふたりが、再び交差する。
本記事のなかで語られた「あの一皿」と「あの一杯」を始め、ふたりの思い出を料理とカクテルとして再構築。
ふたりの20年という時間の移ろいを楽しめる一夜に。
日程/2026年5月13日(水)
時間/17:00~、20:00~(予約制)
会場/ゑすじ郎(SG Low)
東京都渋谷区神南1-9-4 NCビル 2F
料金/1万1000円(イベントにつき、料理/飲み物はこの日限定メニューのコースとなります。通常メニューの提供はありません)
予約はコチラから

“日本のテロワール”をテーマにしたカウンター8席のみのカクテルバー。全国選りすぐりの日本酒、焼酎、国産リキュールほか、日本各地の風土が生んだ素材や四季折々の旬の食材で作るカクテルが人気。
住所/東京都渋谷区神南1-7-8 The SG Club
TEL/050-3138-2618
[ 永峯侑弥さんによるアラカルト ]
営業/金・土・日
予約可能時間/17:30~, 19:30~、21:30~
[ 後閑信吾さんによるカクテルコース ]
営業/不定期
予約可能時間/17:30~, 20:00~
今夜はお酒が飲みたい気分?




















