2025.09.30
躁うつ病を乗り越えた元HKT48、兒玉 遥さん。「自分は楽観的だし明るいし、うつなんて無縁だと思っていました」
元HKT48の兒玉 遥さんが、躁うつ病と闘った日々を綴った著書『1割の不死蝶 うつを卒業した元アイドルの730日』を上梓。うつを乗り越えたからこそ、たどり着いた思考法と、不安との向き合い方を教えてもらいました。
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文/安井桃子 写真/ジェームズ・グレイ 編集/森本 泉(Web LEON)

不安から一睡もできない夜が続き、ひどい時は妄言をつぶやき幻覚を見る「せん妄」状態にまで陥ったといいます。当時医師からは「元のような元気な姿に戻れる確率は1割」と宣告されていたほどに、極めて深刻な状態でした。
その体験を赤裸々に綴ったのが、著書『1割の不死蝶 うつを卒業した元アイドルの730日』です。そこには、2年の休養をどう過ごし、どう社会復帰していくか、そして再びうつに揺り戻されないために意識していることなどが書かれています。
15人にひとりは生涯のうちで「うつ」を患うといわれる現代。兒玉さん自身の経験を通して、うつや不安とどう向き合うべきかを語っていただきました。
不眠、物忘れ、不安、焦り。脳が出すサインを見逃さないで
兒玉 遥さん(以下、兒玉) とにかく夜、眠れないんです。翌日のスケジュールや、振り付けの確認、インタビューでうまく話せなかった後悔など、考え出すとグルグルと止まらなくなり、気がついたら朝、という日が増えていました。眠れていないので日中フラフラして、ダンスも覚えられなくなり、焦ってさらに不安になってまた夜眠れない……という悪循環に陥ってしまいました。

兒玉 私はまさか自分がうつだとは思っていませんでしたから、相談は特にしなかったです。当時、2016年頃はまだ芸能界でも「うつで休む」という人はあまりおらず、そもそも「うつ」がどういうものなのか、スタッフも含めて誰もわからなかったのではないでしょうか。メンバーは刺激を与え合う競争相手でもあるので、相談するという感じもなくて。
── 眠れないことで不安がさらに募り、ステージ袖でパニックになってしまったことも著書には書かれていました。そこまでの症状があっても心療内科に行くということはハードルが高いことでしたか?
兒玉 そのハードルはすごく高かったです。最初は「病院に行ったら」と言われても「行かなくていい」と突っぱねていました。当時私はまだ10代の多感な時期で、自分が病気だと認めるなんてことはできなかった。それに頑張って活動している最中、足を止めたくなかったんですよね。結局、HKTの運営スタッフの方に「様子がおかしすぎる」と病院に連れて行かれたのですが、もっと早いうちから行っていればそこまで悪くなることはなかったんじゃないかなと、今では思います。
── うつになる方は、それまで「自分は精神的にタフな方」と思っていたという場合も多いですよね。兒玉さんはいかがでしたか。
兒玉 はい、自分は楽観的だし明るいし、うつなんて本当に無縁だと思っていましたね。それにそもそも、ストレスを感じたことが自分はないと思っていたんですよ。だけどそれは「気づくことができない」だけで、ストレスがないわけではなかった。病院に行くようになって「あれ、私ってすごく疲れていたのか」と気がついたんですよ。

兒玉 そうですね。ストレスで眠れなくてそれがまたストレスになっていった。私は不眠がたたって、新しいことを覚えられないだけではなく、物忘れが激しくなり、歌詞もダンスも思い出せなくなりました。会話も辻褄が合わなかったと思います。今までできていたことが、徐々にできなくなっている、そんな感覚がある方は、もしかしたら脳が「休んだ方がいい」というサインを出している可能性もあると思います。
「もうこれは人生、ゲームオーバー」。そう思った
兒玉 とにかく、焦ったんです。アイドルとして戻る場所がなくなってしまうのではないかと。でもその結果、さらに深いうつになって、より症状が悪化してしまった。うつの難しいところは傷口が見えないところなんです。自分では頑張れると思っても、実はまったく癒えていない、そういうことがある病気なんですよね。
2度目の休養に入る頃には、現場で泣き出してしまうことも増え、自分がなにをしているのかもわからなくなり「ああ、もうこれは人生、ゲームオーバーだ」と思いました。頑張りたくてもゲームでいうHPがもうない。芸能界復帰も社会復帰ももう考えられない、そういう感じでした。
── そこから2年間の休養に入りましたが、休養の間はどう過ごしていたのでしょうか。
兒玉 実家で過ごし、母が支えてくれました。2年間なにもしないで過ごすなんてこと、なかなかみなさん経験したことないですよね。でもうつになったら、休まないとやっぱりいけないんですよ。社会人の方だと、「簡単に休めない!」って思われるでしょうし、「1カ月も休んだからもう戻らないと」と私のように早々に復帰を決めてしまうことも多いと思います。だけどこの先の長い人生を走るために、半年でも1年でもやっぱり長く休んだ方がいい。

兒玉 はい。私は20歳の頃から2年間休みました。アイドルなのにその年齢で休むなんてもったいない、と最初は思いましたが、きっと休むという決断をする時、どんな方でも同じことを思うんですよ。会社に勤めている方だったら、20代で新人だから休めない、30代で責任があるから休めない、40代で部下に迷惑がかかるから……と。結局、今この時が一番若いわけで、早く元気になってその後の人生を頑張りたいなら、一刻も早く休むべきなんです。うつの張本人だと、なかなかそこまで考えられないんですけどね……。
躁うつ病になった過去は、黒歴史ではない
兒玉 もともとすぐ自分を責めて「なんでできないんだ」「もっと頑張れ」と自分で自分を追い込む性格でした。SNSにひとつ上っている批判の投稿も「これが全世界の意見だ」と思い込むようなところも。だけど休んだことで、ものの考え方が180度変わったんです。完璧な自分じゃなくてもいい、世の中にはいろんな意見がある、と。自分自身を許せるようになって、今こうして生きていられるんだと思うのです。
アイドルとしてずっと競争をしてきて、誰より高い場所に行かないといけないと、人生を山登りみたいに考えてきていました。だけど人は人で、比べても仕方ない。目指す場所に上も下もない。自分の好きなように生きようと、今は思います。

兒玉 うつの人が近くにいると一緒に落ち込んでしまう場合が多いのだそうですが、母にはいっさいそれがなくて。明るく楽しく、普通に過ごしていたんです。それがよかったんですよね。
── もし、自分に娘がいて、「アイドルになりたい」と言ったらどうしますか?
兒玉 やりたいなら、止めはしません! 「頑張りすぎず、適当にやりなさいよ」とは言うかもしれませんが(笑)。私は歌もダンスもトークもなにもかも完璧にできないといけないと思って自分を追い込んでいたけど、「そこまで誰も求めてないんだから」って言ってあげたいです。元気に楽しく生きている、そんな姿を見せられるならそれでいいんだって。
── 著書『1割の不死蝶 うつを卒業した元アイドルの730日』では、過食嘔吐や躁状態の時のことなど、つらい過去も包み隠さず告白されていますね。なぜすべてを曝け出そうと思えたのでしょうか。
兒玉 うつだった過去は笑って話せるくらいがいいと思うんです。同じようにうつ病になった方も「黒歴史」だと思ってほしくない。うつは誰でもかかる可能性があって、それこそ風邪みたいなもの、恥ずかしいことじゃないって一人でも多くの方に思ってもらいたかったんです。それに心療内科にももっと気軽に行っていい雰囲気が世の中にできたらいいなと。うつの話をするのがタブーではない、そんなふうになったら。

兒玉 今は、年齢を重ねるのがすごく楽しみです。うつで休んだ時、「これで人生ゲームオーバー」って思ったけど全然そんなことありませんでした。俳優の仕事も、興味のある美容分野や、勉強を始めた投資など、いろんなことを極めたいし、楽しみたい。泣いたり笑ったり、同じ時代を一緒に生きているって見てくださる方が実感してくださるような、泥臭くも人間味があるそんな存在に、年齢を重ねながら近づいていきたいです。

● 兒玉 遥(こだま・はるか)
1996年生まれ。福岡県出身。アイドルグループ・HKT48の1期生。「はるっぴ」の愛称で親しまれ、2012年にAKB48「真夏のSounds
good!」で初選抜入りを果たす。’16年にはAKB48選抜総選挙で9位に輝いた。’17年2月に躁うつ病を発症し休業。復帰後の’19年6月にHKT48を卒業し、俳優としての活動を本格化。出演作に、NHK朝の連続ドラマ小説『おむすび』、映画『空のない世界から』など。出演映画『そこにきみはいて』が11月28日公開。

『1割の不死蝶 うつを卒業した元アイドルの730日』
過食嘔吐、整形依存、幻覚……。さまざまな症状に苦しめられた「躁うつ病」の元アイドルは、いかにして治癒に辿り着いたのか。デビュー前からつけていた日記や、ともに病気と闘った母の証言をもとに綴る自伝。うつに揺り戻されないために、今も実践していること、そして「自分を許す」ことで手に入れた新しい生き方も語る。
兒玉遥 著 KADOKAWA刊 定価1760円(税込)
書籍HP/「1割の不死蝶 うつを卒業した元アイドルの730日」















