2023.09.09
大泉洋(50歳)「山田洋次監督や吉永小百合さんのように若い世代に背中を見せる自信は、まだない」
俳優、声優、歌手、タレント、MCとして活躍のエンターテイナー・大泉洋が語った。出演した映画『こんにちは、母さん』制作中に感銘を受けた、山田洋次監督(91歳)の姿勢や吉永小百合さんの持つ力とは?
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文/池田鉄平(ライター・編集者) 撮影/長田 慶

地元の大学演劇サークルから始まり、1996年に出演した「水曜どうでしょう」でブレイク。“北海道のスター”としての地位を確立した後、全国区に進出。デビューから28年、さまざまな場面で観る人々を魅了している。
子どものころに寅さんのものまねをやって、大人たちを笑顔に変えた。その喜びに触れたことが、今に続く活動の原点だという大泉。その日々の中で、大泉が大事にしていることは何なのだろうか。
プレッシャーを解放して日常のように演じたい
見ている側が気づけば笑顔になってしまうような、自然体でリラックスした雰囲気が魅力の大泉だが、日々「我慢」をするような場面はあまりないのだろうか。

「でもいちばんは、やっぱりあれかな。自分の思いどおりにいちばんならないのは」と大泉は、何かを思い出したかのように語りだした。
「やはり父親としての自分ですかね。 家庭の中は、いちばん思いどおりにならないですね(笑)。今は昔みたいに父親がいちばん偉い家庭なんてないじゃないですか。家庭の中ではいろんなことを我慢してんじゃないかな(笑)。仕事場ではいろいろ気を遣って貰える分、家では思いどおりにならないくらいが良いバランスなのかもしれませんね」と微笑んだ。
普段の家族でのエピソードにふれながら、大泉は今回取り組んだ映画での役柄に深く共感したことを語り出した。
体感した山田洋次監督のプロフェッショナリズム
大泉にとって、映画の舞台である東京の下町は、ただの撮影地ではなかった。大泉が子どもの頃、ものまねをするほど心を奪われていた映画『男はつらいよ』のセットと瓜二つ。

大泉にとっては、初めての山田組参加という大仕事。しかし、片思い的ではあったが、山田洋次監督作品にオマージュを捧げるようなドラマを作っていた。
「昔、北海道でのレギュラー番組で自分たちでドラマ制作をする企画があって、当時は東京で俳優をやっている未来なんか思い描いてなくてね。その中で『山田家の人々』という自らの半生を基につづったホームドラマを作っていたんです」
山田監督作品に強く憧れた過去を持ちながら、初参加した山田組の現場。監督は91歳になっても、90本目の映画を作る中で、「不安や迷いがある」と話していたという。どれだけたくさんの映画を撮っても、その感情は変わらない。つねに最善を尽くそうとする山田監督の姿勢に大泉は深く感銘を受けたという。

公開中の映画『こんにちは、母さん』。©2023『こんにちは、母さん』製作委員会
それから驚いたのは、山田監督の撮影が9時から17時までという計画的なスケジュールだったこと。時間を超えると、監督はスタッフやキャストに『みんなにも生活があるのに申し訳ない』と謝り、夕食を提供してくれるといった配慮をしてくれました。
こうした考え方は海外では一般的かもしれませんが、日本の撮影現場では長時間の作業が当たり前で、特に連続ドラマの撮影では役者の私生活が2、3カ月ほぼなくなることもあります。そんな中、山田監督の考え方はとても素晴らしいと思います。もちろんご自身の体調を考慮していることもあると思いますが、そうしたことも踏まえながらも諦めない姿勢に本物のプロ魂を感じましたね」
現代を生きるサラリーマンたちの葛藤と決断

僕はサラリーマンではありませんが、職場でのさまざまなストレスや困難を経験しています。劇中の昭夫の姿は、多くの人々に共感を呼び起こすと確信しています」
映画の中で昭夫は、大きな決断をする。自らの同僚を守るために会社を辞めるという選択をするのだ。それは、現代の働き方の変化を象徴しているともいえる。令和の今、長く一つの会社に勤務するスタイルは当たり前ではなくなりつつある。
「昔ならば悲劇とも取られたであろう彼の選択ですが、自分が生き生きと働いていく環境を見つけるのかなとも思ったり。令和という時代の中では新しい扉を開く可能性があるのかもしれません」

「好きな人ができた母親の姿にハラハラする場面もあれば、最後は親子が前に進んでいこうとする姿に勇気づけられるようなところもあって……」
大泉にとっても吉永小百合は、芸能の世界で活動する一人として、ある意味、神話のような存在だったという。
ところが、撮影が進む中でその気持ちは変化した。彼女の母親としての存在感、母親らしさに触れる度に、本当の母親にしか思えなくなっていったという。これこそが大女優の凄味なのだと大泉は驚いたという。
1972年に公開された『男はつらいよ 柴又慕情』をはじめ、約50年間に渡って数々の山田洋次監督作品に出演し、日本映画界を共に牽引し続けてきた吉永小百合の魅力について、大泉はこう表現する。
「吉永さんの役者としての素晴らしさのひとつは、彼女が持つキャラクターを魅力的に演じきる力です。母親でありながら、恋に落ちる女性の役を、完璧に演じきっていたことに感銘を受けました。そして、その役をとても可愛らしく、キュートなキャラクターとしてまとめ上げる力には、大女優・吉永小百合であることを再認識させられました。とくに仕上がった作品全体を通して見たとき、改めてそれを思い知らされましたね」

大泉が感じる、世代をつなぐ責任と継承の価値
「50歳という節目に立ち、われわれの世代が見上げた偉大な先輩たち、山田監督や吉永小百合さんのような存在。お二人の背中には力があり、尊敬と学びを感じる。しかし、自分にはそのような背中を若い世代に見せる自信がない。目の前のことで精一杯です。ただ、……。若い人たちのためになることをしていかなきゃいけない年齢だし、“してあげたいな”っていう思いは芽生えています。 そういった意味では、山田監督とずっと昔から付き合っているスタッフの方に話を聞くと、『昔はこんなに若い人と話すことはなかった。もっと現場で気難しかった』っていうんですよ。
でも、今の山田監督は、自分の経験だったりをどんどん若い人たちに伝えていかなきゃいけないって思いがある。例えば現場にも、さまざまな人が見学に来るんです。僕ら役者にしてみたら、ちょっとやりにくい時もあるけれど、山田監督が若い世代に伝えていきたいことがあるんでしょうね。そういうところは僕もやっていかなきゃいけない年齢になってきてるとは思いますよね」
自身の経験を伝え、次の世代にバトンを渡すこと。世代をつなぐ大切な役割を、大泉洋はその背中でこれからますます見せてくれるのかもしれない。
