2022.08.06
「自ら釣った魚のみを握る」寿司職人がすし作家になった話
写真絵本『おすしやさんにいらっしゃい! 生きものが食べものになるまで』が話題です。作者は、自らが釣った魚のみを寿司として握る、予約を受け付けない寿司店「酢飯屋」を構える岡田大介さん(43)。「あるとき、この寿司一貫はすべて生きものでできている」と気づいて……。
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文/柳澤聖子(編集者・ライター) 写真/今井康一

子どもたちからは「魚に触れたくなった」「捌いてみたい」などの声が続々と届き、大人からも「生き物の尊さを実感した」「いただきます、の意味を改めて考えた」といった声が聞こえてくる。
現在は「生きものが食べものになるまで」を伝える食育イベントなどに奔走。店の予約は受け付けず、年に数回だけ自らが釣った魚のみを寿司として握るというこだわりを持つ。
なぜ岡田さんは寿司職人の仕事にとどまらず、「すし作家」となったのか。その裏には自身の過去も関係していた。しなやかに活動の場を広げる岡田さんの秘密に迫る。

母親の急死をきっかけに、食の道へ
「医療ミスでした。あまりに突然母が亡くなってしまって。3歳年がはなれた妹と、さらに9歳はなれた弟がいますし、父親もぼくも食事が作れなかったので、まずご飯をどうしようって……」
大切な人が医療ミスでなくなったという事実を、家族が納得できるようになるまで、しばらく時間はかかった。
しかし、家族にとっては、まず日々の食事が緊急の課題だった。食事は出来合いの惣菜を買ってくるか、外食がほどんどになった。
そんな生活を続ける中、当時、9歳だった弟が、毎晩吐くようになった。
「見ていて本当にかわいそうで、かわいそうで……。何かおそろしい病気なのかもしれないと本気で心配していたんですが、徐々に食生活が原因なんじゃないか?と気づいたんです」
9歳と言えば成長期だ。18歳の岡田さんの身体では、なんともない食生活でも、小さな子どもには負担のある食生活だったのかもしれない。
「食の道へ進みなさい」
亡くなった母が、命をかけて伝えてくれたメッセージのようにも感じた。それが一番のきっかけとなり、岡田さんは家族のためにも自分が料理を作れる人になろうと決めた。ご飯一つ作れず、特にやりたいこともないのに何のために大学に行くのだろう……、そんなことも頭によぎり、将来について考え直すタイミングと重なった。
家族に食べさせるなら和食がいい。中でも自分も食べるのが好きな寿司の修行に入ることにした。高校生の時から愛読する漫画『将太の寿司』の影響もあった。
一人前の定義を、自分で決める
「マンガなどによく描かれている世界とまったく同じでした。くじけそうになったことはありましたが、そんな暇はありませんでした。自分にはもうこれしかなかった」(岡田さん)。
もともと、学ぶことが好きな岡田さんは、母からのメッセージを果たすべく、魚や寿司の勉強にのめり込んだ。先輩たちの技術を間近で見られ、しかも給料がもらえる。労働時間は長かったが苦にはならず夢中で学んだ。

食材を自分で調達でき、調理できる。そして、お客さんを自分の力で呼ぶことができ、お寿司を食べた方が「美味しかった」と、お金を払う価値を感じてくれる。そのすべてができたら一人前と決めた。
まずは腕試しをしようと勤めていた寿司店の休日を使って週末起業することに。
「友達を集め、いつもはピザやコーラでパーティーしてるところを、寿司パーティーに変えてもらいました。ピザパーティーでも一人当たり、2000~3000円かかりますから、その値段で寿司を握れば喜んでもらえました」
当時は週末起業の寿司職人などほかにはいなかった。珍しがられ、オファーがあれば、どんな場にも握りに行った。利益追求もしない。1日働いて1万円でもお小遣いになればと営業していた。すると銀座なら1万円以上かかるような豪華な寿司を、3000円ほどで出すことができた。そうして岡田さんの寿司は評判になった。
「来てくれたお客さんが寿司を食べながら、もう次の予約をしてくれるんです。自分でも驚くほど口コミで広がって、それが独立するきっかけになりました」
自室のマンションの1室で独立
「キッチンとダイニングテーブルがある一室で始めました。奥の扉を開ければ、ぼくのベッドとデスクがありました。当時は、そんな寿司屋らしくないしつらえの部屋で、本格的な寿司が出てくるのも、おもしろがってもらえた理由かもしれないですね」
店があった八丁堀は、築地駅の隣り駅。毎日歩いて築地に行き、魚を見放題。築地市場は、岡田さんにとって最高の学びの場だった。

どこ産の魚か、お客さんに自信を持って出したい。現場で、自分の目で確認するしかないと産地に魚を直接買い付けに行くようになった。調味料も野菜も米も、そして寿司を提供する食器に至るまで、すべて自分の目で信用したものを扱うようにした。
さまざまなタイプの寿司職人がいる中で、岡田さんは、とりわけコミュニケーションを大事にする。お客さんと会話を交わしながら、仕入れた魚や食材に興味を持ってもらえるような情報を工夫して伝える。全部で15種類くらいの寿司のにぎりを2、3時間ほどかけて丁寧に出した。
食べ終わったお客さんは「ごちそうさま、美味しかったです」だけではなく、「勉強になりました!」と言ってくれた。舌で感じるだけでなく、「頭や心で知って食べた方が、もっと美味しい」と感じるお客さんに喜ばれる店を心がけた。
そうやって日々、食材の由来や、魚の部位の説明などをするうちに、大きな気づきがあった。
寿司一貫は「命の塊」

寿司になる前は生きていましたし、寿司になっても生きているものはあります。ぼくは相当な命を一貫のにぎり寿司として出している。その「命の塊」をただパクッと食べて、おしまいにするのはもったいないと思ったんです」
毎回、命の事を考えながら食べていては、疲れてしまうかもしれない。でも店に来てくれたときぐらいは考えてもらえたらと、その気づきを伝えるようになった。寿司職人が真面目に伝えると、大人には響くという手応えがあった。
しかし、子どもに伝えてみても、「ふーん」で終わってしまう。どうしたら、子どもたちに届けることができるか。そう考えるうちに、写真絵本にして伝えるというアイデアを思いついた。

難しい説明は一切ない。それでも、こんなこと知らなかった!と大人も一緒に夢中になる内容だ。絵本の最後には岡田さんが伝えたかったメッセージがある。
「生きものは 食べものになって、きみたちの からだの いちぶになる。わたしたちは たくさんの いのちで できているんだ。」

食べものを入り口に伝えたいこと
「いろんな海で潜っていますが、潜れば潜るほど海藻がなくなっています。今、ほとんど着目されていないのが不思議なくらい深刻ですね。これは研究者や業界の方々も強い危機感をもっているのですが、今後天然昆布が絶滅する可能性もあると言われているんです」
養殖昆布も作られているが、天然ものと比較すると、味の出方がまったく違う。今後、スーパーで昆布が手に入りにくくなったり、高額になる可能性もあるという。昆布だけでなく、その他の海藻類も、魚が卵を産み繁殖するのに欠かせない場所だ。
海の生きものは無限ではない。寿司を入り口に、魚、そして海へと目を向けてほしいという岡田さんの気持ちは強い。
「私たちが食べるものは、生きものの生態系や環境に必ず影響します。命を食べていることをたまに思い出してほしいなと。それを当たり前にしていかないと、環境も壊れてしまいますよね」
かつて9歳だった岡田さんの弟は、岡田さんと同じく寿司職人となり、3人の子どもの父親でもある。岡田さん自身も2児の父親だ。
「『おすしやさんにいらっしゃい!生きものが食べものになるまで』に書かれたことを、目の前で実際にやってみたい、食べてみたい、そういう子どもたちや親御さんは多いです。寿司職人として、寿司、魚や海に関することは何でも挑戦していきたいですね」
寿司職人として、岡田さんが次世代に伝えられることは、きっと海のように多様で広いだろう。