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2025.05.14

有名シェフによる能登炊き出しボランティアに同行して考えたこと

震災から1年4カ月が過ぎた能登で、有名シェフによる炊き出しが行われると聞き、軽い気持ちで同行してみた筆者が考えたこととは?

BY :

文・編集/秋山 都(編集者・ライター)
CREDIT :

写真/今清水隆宏

ごく気軽に参加した(はずの)能登への炊き出しボランティア

2024年1月1日16時過ぎ。幼いこどものいない私の実家では、お正月といってもさしてやることがありません。父、母、私、そして実家暮らしの弟と、大人4人がシャンパンで乾杯したあと、ワインを開け、日本酒へ……母がつくったおせちや私が持参したお刺身を食べながら、ゆるゆると飲んでいました。お天気もよく、うららかなお正月でいいなぁとあくびのひとつやふたつ、出たころだったと思います。テレビから聞き慣れた緊急地震速報のアラーム音が聞こえてきました。
能登 炊き出し ボランティア 震災 山田宏巳 淺野正己
▲ 珠洲から輪島へ向かう県道沿いで。多くの家屋が倒壊し、土砂もそのままに残されている。
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その後の惨状については、周知の通りでしょう。最大震度7を記録した能登半島地震は死者 515人(うち災害関連死 287人)、行方不明者 2人、負傷者 1394人という大きな被害を与え、およそ3万棟もの家々が全・半壊と認定されました(25年1月時点)。私はそのちょうど2か月ほど前に輪島を訪れ、朝市でわかめを買ったりしていたので、まだ記憶に新しい輪島の美しい風景が跡形もなく消え失せたことに大きなショックを受けました。

それから1年……やはり大きな被害を受けた酒蔵が所属している組合に微力ながら寄付金を送ったり、能登半島にレストランを構える料理人たちのイベントに参加したり。私がしてきたのはその程度のことです。同年9月には1000年に1回とも言われる豪雨が能登を襲い、多くの河川が冠水することで土砂災害、床上浸水、道路の通行止めなど多くの被害が発生していますが、その時には報道を目にしながらも「なんとついていないのだろう」とため息をつくだけで、とくにアクションを起こすことはありませんでした。
能登 炊き出し ボランティア 震災 山田宏巳 淺野正己
▲ 3月30日、輪島「キリコ会館」で行われた山田宏巳さん(中央)始め、多くの有名店、料理人が参加した炊き出し。全員でハイポーズ!
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そんな私のところへ、「能登へボランティアに行くシェフに同行するけれど、一緒に行かないか」と誘ってくれたのは旧知のフォトグラファー、今清水隆宏さんです。今清水さんは80年代から雑誌で写真を撮り始め、主に料理写真の分野で活躍。多くのシェフや料理研究家のレシピ本を撮影していることから、有名料理人のみなさんとも広く交流しています。今清水さんいわく、懇意にしている山田宏巳さん*¹や淺野正己さん*²が能登へ料理の炊き出しに行くのだそう。有名シェフの炊き出しはどんなお料理なのか気になる!  なんて、ミーハーな好奇心と、いままで具体的な行動をとってこなかった自分への贖罪の気持ちから、同行することを決めました。
註1: 『料理の鉄人』でも知られ、日本にイタリアンブームをもたらしたタリア料理界の有名シェフ。現在はインフィニート・ヒロ」(東京・赤坂)オーナーシェフ。
註2: 「カムシャングリッペ」(東京・青山)オーナーシェフとして一世を風靡したフランス料理界の有名シェフ。超人気ベーカリーのプロデューサーとしても活躍。
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▲ 輪島「キリコ会館」で行われた山田シェフ主導の炊き出し。「インフィニート・ヒロ」「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」など多くの名店と淺野シェフチームが参加し、どのメニューもおいしそう!
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山田シェフは2011年の東北大震災後からボランティアに熱心に取り組み、能登への炊き出しは仲間たちとオークションを開いて資金を集めるなどゼロから出発して今回で4回目。淺野シェフの炊き出し参加も3回目になるとのことで、日々多忙な料理人のみなさんが被災者の方々にずっと心を寄せていたことを知り、改めて尊敬しています。というのも、この“炊き出し”というのがなかなかハードな体験だったから。
能登 炊き出し ボランティア 震災 山田宏巳 淺野正己
▲ 3月30日、ときおり雪が舞った輪島の気温は4度。着込んだ山田シェフの姿からも寒さが伝わるかと。
読者のみなさんは“炊き出し”という言葉から、どんなイメージを持つでしょうか? 私は、東北大震災後に石原軍団がカレーや豚汁を配っていた姿を思い描いていました。つまり、出来上がったお料理を鍋から皿に取り分け、渡す。その一連の動きが“炊き出し”だと思っていたのです。
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▲ 自家製ハムに焼き目をつけて仕上げる山田シェフ。その迫力に「おお~」と歓声が上がった瞬間。
しかし、実際に垣間見た炊き出しはまったく趣を異にしていました。すなわち、リアルな炊き出しとは、食材や機材を協賛企業から募り、一緒に行ってくれるボランティアスタッフを探し、交通費などを助成金として申請すべく政府と折衝し、クルマを借り、宿泊させてもらう場所を探し、移動して、荷物を運び、少しだけ眠り、翌朝は暗い内に出発して準備、調理、盛り付けて、配る、調理、盛り付けて、配る、調理、盛り付けて、配る……という、永遠に終わらないのではと思えるようなハードなタスクの連続。準備から本番、片付けまでたっぷり2か月を要するという一大事だったのでした。
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この日、まず訪れたのは山田シェフが隊長として各飲食店に声をかけた「輪島キリコ会館」での炊き出し。ここでは和太鼓のライブ演奏なども行われており、あいにくの悪天候にもかかわらず多くの市民の方が来てくれました。

驚いたのは、美しくサシが入った神戸牛のステーキや、自家製のハム(脚1本でした!)、ウニのパスタなど、いわゆる“炊き出し”ではお目にかかれない贅沢な食材が使われた料理であったこと。まさにレストランでいただくようなクオリティの料理がどんどんふるまわれる様子に市民のみなさんもヒートアップ! 熱々の料理をおいしそうに召し上がっていました。
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▲ 「輪島キリコ会館」での炊き出し淺野チーム。陶芸家の宮下将太さん(後列右端)、都内ホテルに勤務するミャンマー人のヤミンさん(前列中央)など淺野シェフを慕う多くの若手も参加。
▲ 富山県高岡の人気店「キャセロール」からいただいたハンバーグ(100個!)も大人気。同店の嶋尾シェフは淺野チームに厨房機材や車両も貸し出していました。隣県からの温かい支援も能登の人々へ届いています。
午後には珠洲「わくわく広場」へ移動し、今度は淺野シェフを隊長とする炊き出しに参加。こちらは輪島に比べると小規模ながら、それでも小雨のなか多くの方が行列。淺野シェフが提供したのは、ひとつひとつ注文に応じて仕上げるオムレツ、クリーミーな鶏のフリカッセ、ウクライナ風のボルシチ、ハンバーグ、あんぱん、カレーパン、そして各社から協賛されたラーメン、ケーキ、お米、ビール、フリーズドライの味噌汁……などなど。そのどれもがあっという間に人の手に渡っていきます。

震災から1年4か月が過ぎ、復興も少し落ち着いたことと思っていましたが、市民のみなさんのあまりの勢いに押され、あっけにとられました。震災直後とは違い、ライフラインも復活していることから、食べるものに困っているようには見受けられないし、この勢いはどこから? 
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▲ 珠洲「わくわく広場」にて淺野シェフ(前列中央)、フォトグラファーの今清水さん(後列右から3番目)ら、炊き出し隊淺野チームのみなさん。
聞けば、まだ多くの方が仮設住宅に住んでおり、なかなか電圧が安定しないことから揚げ物などは家で出来ないこと、またちょっと外食したくても手ごろな店が近所に開いていないこと、さらにはシンプルに有名シェフのお料理を食べてみたい! など被災者のみなさんのさまざまな想いを知ることができました。なかには、震災時にタンスと壁の間、わずか30センチの隙間にはさまってしまい、救出まで丸一日をそのままで過ごした方にも出会い、思わず一緒に涙したり。

その必死とでもいうべき被災者の勢いや熱に接しながら、私は2011年、東日本大震災後にボランティアに出かけた私自身の経験を思い出していました。震災からちょうどひと月たった4月中旬、私は宮城県石巻市にペットレスキュー活動のため1週間ほど滞在していたのです。被災地から救助された数十匹の犬や猫を世話し、飼い主さんとのマッチングをしながら過ごしていました。瓦解した石巻の市街地を見るたび心ふさぎましたが、なかでもそのヘドロのような臭いは忘れられません。映像や写真では伝えられない、そこにいる人だけが実感し、被る経験や想いというものがあります。
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▲ 多くの料理が開始から数時間で配り終えられました。
1週間のボランティアを終え、私は仙台経由で帰京しようとしたのですが、壊滅的に被害を受けていた石巻に比べ、すでに日常の姿を取り戻していた仙台で大きな混乱に陥りました。なにもかも失われグレー一色だった石巻と、きらきらと極彩色の(ように見えた)仙台。急に、ものすごく美しいものが欲しくなり、ルブタンのヒールを買おうと思いました。なぜ? と思いますよね。

この1週間、犬猫の糞尿、汗と泥にまみれて暮らしていた反動だったのでしょうか。いろいろ探したのですが、当時の仙台でルブタンのヒールは見つからず、その代わりに私はネイルサロンとヘアサロンをハシゴしてから新幹線に乗ったのでした。
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あの時の美しいものへの渇望を、今回出会った被災者の方たちにも感じます。私たちには基本的人権として「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があるとされています。でも実際には、“最低限度”では暮らしていけません。目の前で作ってもらえるバターたっぷりのオムレツが魔法のように巻かれ、ふんわりと焼きあがる様子や、大鍋で湯気をあげるフリカッセ、そして誰もが目を見張る大きなハムやステーキなど、美しくて豊かなものが私たちの生活には必要です。
淺野シェフは今回の炊き出しに際し、「レストランとはフランス語のrestaurer (回復する)が語源となっている言葉。今回の料理を楽しんでいただくことで被災者のみなさんの心の回復に役立てたら、料理人冥利に尽きる」と語っていましたが、実際に能登を訪れてみて、まだまだ通行止めの道路も多く、インフラの面でも、人の生活環境、メンタルなどさまざまな側面がいまだ回復途中にあるということを実感しました。
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▲ 今回の炊き出し会場となった輪島、珠洲両方を指すサインを見つけ、ちょっとうれしそうな淺野シェフ。
冒頭のシーンに戻り、昨年のお正月を一家4人で迎えた我が家ですが、今年の新年はひとり減り、3人となりました。春に入院した母が、夏には急逝したからです。人の一生は儚い。よく「被災地に心を寄せ続ける」ことが大切と言われるけれど、想っているだけでは何も生まれません。実際に、継続してアクションを起こし続けている料理人のみなさまへ、心より拍手を送りたいと思います。
秋山 都(編集者・ライター)
東京生まれ。 富裕層向けライフスタイル誌「セブンシーズ」、「Harper’s BAZAAR日本版」、「東京カレンダー」誌で編集長を歴任。 アマゾン・ジャパンでファッション・エディトリアル・ディレクターを務めたのちに独立。「WebLEON」では食いしん坊担当として、食・酒・旅など人生の快楽的側面を追求しております。好物はハイボールとタルタルステーキ。趣味はハシゴ酒。

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