2019.09.13
世界的なストリート人気の謎を菊地成孔が解説!
近年、ラグジュアリーブランドとストリートが急速に接近しつつある。それはなぜなのか? そもそもストリートとはどういうファッションなのか? アンダーグラウンドから先端モードの動向まで熟知する菊地成孔氏が、自らパリまで足を伸ばし取材を重ねてきた経験や豊富な資料を元に、前・後編に渡って徹底解説する。
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写真/吉田雅彦(M-focus) 取材・文/川瀬拓郎 編集/長谷川茂雄
パリモードを揺さぶり続けるストリート
さらに、ルイ・ヴィトンのメンズ・アーティスティック・ディレクターにOFF-WHITEのヴァージル ・アブローが就任し、ファーストコレクションが成功を収めた。
ストリートスタイルを得意とするデザイナーが歴史あるメゾンを大躍進させたことはまだしも、ストリート出身の黒人デザイナーがメゾンの未来を担うことになろうとは、誰が予想し得たであろうか。

ストリートスタイルの萌芽は17世紀にあり

アフロアメリカンによるストリートスタイル
それが近代の服飾史に連なるものとなるのは、1940年代のアフロアメリカンの台頭だったと菊地氏は続ける。
「彼らは可処分所得が少ないから、高価な服など買えない。だから、古着のスーツや軍の放出品を着て、土産物屋で売っていたような風変わりな帽子やサングラスを合わせてステージに立ったのです。両親が資産家で裕福だったマイルス・デイビスという例外がありますが、ビバップと呼ばれるジャンルで活躍していたジャズマンが着ていたのは、極端に大きなたっぷりとしたサイズでズートスーツと呼ばれるものでした。つまり、貧しい黒人たちが少しでもステージで目立つために変わった着こなしをする、これが黒人初のストリートスタイルとなったのです」

その影響で、それまでの古着や放出品を組み合わせた風変わりな着こなしではなく、身体に合わせて仕立てたスーツをきちんとタイドアップして着こなすことがヒップとされるようになっていく。
それがしばらく続いたことで、ジャズマン=スーツというイメージが定着し、ジャイビー・アイビー(またはエクストリーム・アイビーとも呼ばれる)など、独自のスーツスタイルを生み出していく。




そしてジャズマンまでもがTシャツとジーンズになり、(ジャズを発祥とする)スーツをベースにしたストリートスタイルは一度リセットされてしまう。また、当時は情報通信が今のように発達していたわけではなかったこともあり、黒人ジャズマンたちのスタイルがパリのメゾンに直接的な影響を与えることもなかったのです」
メゾンに影響を与えた音楽発信のスタイル
当時、お金のない若者たちは穴の空いたTシャツやチェーンやジッパーがたくさん付いた服を着ていたんですが、これをヴィヴィアン・ウエストウッドがランウェイに登場させ、ヨーロッパモードに大きな衝撃を与えました。
一時期のゴルチエもそうですが、ロックミュージシャンの衣装みたいな服がランウェイを占拠したんです。ストリートとモードが融合する、ある種のテストランが、そういうカタチで70年代に行われていたんですね。白人から白人への流れだったこともあり、このムーブメントは比較的容易に進んでいった。後年のエディ・スリマンによるディオール・オムもこの流れと同様です」

ストリートとラグジュアリーはその後どう融合していくのか?【後編】へ続く
● 菊地 成孔(きくち・なるよし)
1963年生まれ、千葉県出身。ジャズの音楽専門学校でサックスを学び、卒業後の80年代はさまざまなレコーディングとライブで演奏を重ねる。90年代には自身のバンドSPANK HAPPYを結成。演奏活動と並行し、執筆活動も盛んに行い、非常勤講師として多くの大学で講義活動を続ける。ミュージシャンとしてはもちろん、文筆家、選曲家として多方面で活動中。