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2017.10.20

成功者のボクがワインを造る理由【後編】

実業家、脱サラ後のセカンドライフ、趣味……三者三様の「ワインを造る理由」とは?

文/秋山 都
写真/菅野祐二
欧米では自分のワイナリーをもつことは最高のステイタスとされ、成功者の証のようにも言われています。でも、なぜワイン造りがそれほど人をひきつけるのか?

ワイン造りに取り組む3人の日本人に話を聞いたインタビュー、後編(前編はこちら)。三者三様のスタイルから、彼らがなぜワインを造るのか、その魅力が見えてくるようです。

49歳で脱サラ、ワイン造りの道へ

◆瀬戸潔さん(セトワイナリー代表)

ふたりめは瀬戸潔さん。現在、新潟県・角田浜でワイナリー「カンティーナ・ジーオセット」を所有し、ブドウ栽培とワイン醸造を自ら行っています。

この瀬戸さんがユニークなのは、49歳のとき、26年間勤務した広告代理店を早期退職して、ワインの世界に飛び込んだ、という点。生まれ育った東京を去り、新潟に新天地を求めた理由とは?
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―脱サラしてワインづくり。勇気のある転身ですね。

「僕のワインとの馴れ初めにはイタリアとサッカーが重要な役割を果たしています。僕が社会人になった80~90年代初頭はイタメシブームと呼ばれた時代でした。

初めてワインを美味しいと思ったのも、デートで行ったイタリアンレストラン( 青山の『ポンテヴェッキオ』だったかな)でバルバレスコを飲んだとき。その後は手に入る原産地呼称ワインを手当たり次第に飲み始め、98年のサッカーW杯のあと、日本選手がセリエA(イタリアのプロリーグ)に移籍しはじめるとイタリアやワインの情報も充実してくると同時にイタリアの地方ワインにどっぷりとのめり込みました。

その後、贔屓の選手がアルビレックス新潟(Jリーグ)に移籍したのをきっかけに新潟を訪れ、当時としてはとてもユニークな経営を行っていた『カーブドッチ』(新潟県・角田浜)を知りました。

苗木のオーナーになる特典として収穫体験をさせてもらい次第にワイン造りへ憧憬が生まれたこのころ、中越地震(2004)がおきました。アルビレックス新潟と地震、このふたつをきっかけに新潟愛にめざめ、2010年に第二の人生を歩む決意を固めたんです。

当時は49歳。年金は将来的に70歳までもらえないだろうし、死ぬ前日まで自分で働き、稼いでいたほうが精神衛生的にもいいのではないか、と」


―具体的にはどんなアクションをとったのですか。

「 『フェルミエ』(2006年に創業した新潟市のワイナリー)の本多孝さんに倣い、『カーブドッチワイナリー経営塾』に入塾、ワイン造りの基礎を学びました。研修期間に『もうあきらめて帰りなさい』と言われることも覚悟していたんです。

50歳ですから思うように身体も動かないし、なにもかも初めてのことばかり…。そして1年が経過ししばらく経って『そろそろ準備に入れば』とお墨付きをいただきました。

2011年12月に土地を取得して法人を立ち上げ、12年から畑と建設用地を開墾。12年にはカーブドッチの醸造所を借りてワインを仕込み、13年に果実酒醸造免許を取得。自分のワインを自分のワイナリーで瓶詰めし、この年ようやくワイナリーをオープンさせたわけです。

現在1ヘクタールの畑を所有・管理していますが、ここまでの費用ざっと7000万円です」
カンティーナ・ジーオセット
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―途中でギブアップしたいと思ったことは?

「毎年苦しいことはたくさんありますが、やめたいと思ったことはありません。サラリーマンを続けていても苦しいことは同じようにありますからね。

それ以上に、苦労して造ったワインができあがったとき、そして熟成によって予想以上の味わいになったとき、またお客さまに楽しんでもらえたときが本当にうれしいのです。

僕の理想としているワインは、愛好家が多くの種類をゲームのように飲みくらべるワインではありません。ひとつのテーブルを仲間と囲み、今日生きていることに感謝して楽しむ会話と食事、そこに寄り添うワインです。

どんなワインを飲んだかではなく、ワインがあって会話が弾んだ、豊かな時間を過ごせたといわれることがワインメーカーとしての一番の希望です」
カンティーナ・ジーオセット
イタリアワイン好きの瀬戸さんらしく、ネッビオーロ、バルベラ、ランブルスコなどイタリア品種を中心とした栽培品種が並ぶ。注文・問い合わせはカンティーナ・ジーオセットまで。http://ziosetto.com/wine/
将来の夢は地域に必要とされるワイナリーになりたい、と語る瀬戸さん。地元の小学校と連携して収穫体験学習を行うなど、限界集落化している集落を少しでも活性化させようとさまざまなプロジェクトにも取り組んでいます。

50歳を目前にしてまったく新しいことに取り組むとはなんと大胆な、と思っていましたが、実は青山のイタリア料理店でワインを飲んだときから、その運命は決まっていたのかも? ワインに魅せられた人生は第二章を迎えたばかり。エピローグはまだまだ、です。 

仲間たちとワイン造りを学ぶ現役グラフィック・デザイナー

◆ハヤシコウさん(ミズコルビノ・デザイン代表)

仲間たちとワイン造りを学ぶ ハヤシコウさん(ミズコルビノ・デザイン代表)
ハヤシコウ/1975年生まれ。グラフィック・デザイナー、アーティスト。多摩美術大学美術学部卒業後、都内イタリアレストラン勤務の後、イタリアに留学。帰国後はワインバー勤務の後、ミズコルビノ・デザインを設立。イタリア料理店を中心に、飲食店のロゴマークや内装、メニューやワインリストの監修、及びイタリアに関連した番組や記事の監修も手掛ける。 
ハヤシコウさんは飲食店のロゴや内装デザイン、商品パッケージなどを中心に手がけるグラフィックデザイナーです。2001〜2003年、イタリア国立ウルビーノ美術学校に学んだことから、イタリア料理やワインに造詣が深く、最近ではイタリアにかかわるイベントのプロデュースも手がけているとか。
―ワイン関係のグッズも多くデザインしているそうですが、中身も造ってしまうとは…なぜでしょう?

「ワインのエチケットや販促グッズのデザインを依頼される機会が多いんです。もちろんワインの造り方や理論は本や資料で勉強できますが、実際に自分の目で見て、体験していると、ワインメーカーからのオーダーをより深く理解することが出来て、その気持ちに寄り添えるかなと」


―座学ならワインスクールがありますが、造るのはどこででもできることではないですね。

「増子敬公さんが主宰する『Cfa Backyard Winery足利学校』(栃木県足利市)に通っています。増子さんはワイン醸造を日本各地のワイン生産農家に指導してまわっている第一級のワイン醸造家ですが、その増子さんが自社のワイン醸造所を提供してくれて、その技術を惜しげもなく教えてくれる、大人のためのワインメイキングスクール。

1年に一度募集があり、現在三期生までいまして、僕は二期・三期生。大体月に一度“登校”して作業をしています」
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―ワイン造りの楽しみとは?

「ワインは僕にとってこどものような存在。男はこどもを産めませんからね。自分の手で何かを生み出すという経験はものすごくうれしくて貴重な機会なんです。二期生で造ったワイン計7種はすべて僕がエチケットをデザインしました。おかげさまでほぼ完売し、ありがたいですね」
「Cfa Backyard Winery足利学校」第二期生が造った7種のワイン
「Cfa Backyard Winery足利学校」第二期生が造った7種のワイン。ほぼ売り切れだが一部の在庫あり。問い合わせはhttp://winemaker.jp/まで。 
スクールには趣味でワインが好きな人や、ワインビジネスに関わる人、飲食業の人などさまざまなバックグラウンドをもつ人たちが集結。

互いのワインへの想いをぶつけながら、ひとつのワインを造っていくには、ときに議論が白熱し、ときに笑いが絶えず、なかなかに濃い時間をともに過ごしているようでした。

「足利学校」主宰の増子敬公さんはわずか54平米の醸造所でワインを造るマイクロワイナリーの草分け的存在ですが、この中から第二、第三の伝説的なワインメーカーが生まれるか? これからに注目です。

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