2024.04.06
150万部の超ヒット『蜜蜂と遠雷』から進化。恩田陸の最高到達点とは?
「会社員を辞めて専業作家になって、年間6000枚とか書いていて。眠くないなぁ、なんでだろうと思っていたら、バサっと髪の毛が抜け始めて、お風呂場の床が髪の毛だらけ。全身脱毛症でした」。ふふっと笑う直木賞受賞小説家・恩田陸さんの最新作が、新たな代表作と評判です。
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文/河崎 環(フリーライター、コラムニスト) 写真/今井康一

ホラーもファンタジーもミステリーも、ストレートな青春小説も恋愛小説も自由自在に操ってきたとばかり思われた、恩田陸。だがこの多作な直木賞受賞小説家は、作品を絞り出す代償としてロマンティシズムなんてものと正反対の犠牲を払ってきた、と告白してくれたのだった。
「主人公の中でこれほど萌えたのは初めて」
創作の現場は、自身が紡ぎ出す美しい世界観とは正反対の修羅場。創作のプレッシャーと、自身の限界と。「才能ってなんだろう、というのが私のテーマなんです」。そして今回、恩田が身を削って書き続けた最新作に爆誕したのは、彼女自身「今まで書いた主人公の中でこれほど萌えたのは初めて」と語る、恩田陸作品史上もっともヤバく耽美な天才バレエダンサーだったのである。
8歳でバレエに出会い、15歳で海を渡った天才舞踊家の萬春(よろず・はる)が、才能あふれる人々との出会いを通して無二の振付家へと成長していくさまを4つの視点から描く、万華鏡のような、圧倒的にロマンティックで美しい世界が花ひらく。
子どもの頃から妄想が尽きたことはない
少女漫画のみならず、少年漫画にも没頭する子どもだったという。萩尾望都に山岸凉子、一条ゆかりや美内すずえ、石ノ森章太郎そして手塚治虫……。「ドラマティックな、ザ・ストーリー漫画が好きで」(恩田)。恩田が得意とする美的な世界観、“ドラマが起きないわけがない”ワクワクする予感をはらむ舞台設定や抒情的なストーリーラインは、そこで培われたのかもしれない。
優れたエンタメストーリーテラーである恩田の作品が取材する世界は、驚くほど多岐にわたる。演劇、音楽、学園、英国貴族の館、民間伝承や特殊能力、都市伝説、テロやAI、そして無差別殺人などなど。さまざまな舞台設定やキャラクターを操ってストーリーを編み続ける、尽きぬ想像力の源はなんなのだろう。

今作『spring』執筆に当たっても、かなりの量のバレエ公演や映像を見た。「2014年に、編集者さんと次はバレエを書きましょうという話になって、クラシックバレエの全幕ものを観始めました。それまでミュージカルやコンテンポラリーバレエは好きでよく観ていましたが、まだ書けないと言っているうちに、結果的に6年たっぷり観て」。
「書く」と「考える」を同時進行
その膨大なインプット量によるものなのだろう、作品中には、恩田の想像によるコンテンポラリーバレエ作品がいくつも出てくる。「この曲だったらこういう踊りかな、という妄想です(笑)。これまで聞いてきた音楽から、これだったら踊れそうだな、なんて、作品の演出を考えるのは楽しかったですね」。
いかに好きだからとはいえ、畑違いのダンス作品を妄想できるまでに観て学習する恩田の知的好奇心と、得た知識を原料に架空のダンサーによる架空の舞台を生成する妄想力と。恩田陸という作家がこの時代の優れた人気エンタメ作家の座にあるわけだ……と舌を巻く。
「筑摩書房のPR誌『ちくま』2020年3月号からの長期連載ですが、4人の語りで1章10回、全40回で終わるっていうのを最初に決めていたので、予定通りでした。『蜜蜂と遠雷』もそうでしたが、私の連載は『いつ終わるんだろう』と作者もわからないなんてのもあるんです。最後の章は、実は春本人を語り手にするとは決めていなくて、3人称にしようかと思っていたんですよね。ところが意外なことが起きて」
キャラクター本人がしゃべり出した
「やっぱり、春本人に語ってもらわなければダメだと。1章から3章まで他人の視点で書いているときは、出来事は語られても、春がどういう性格か、どういう人なのかわからなかったんです、作者にも。でも本人に語らせてみたら意外な性格が出てきて、これまでの“答え合わせ”のようなことが起きた。逆に、本人にしゃべらせてみないとわからないことってあるんですよね」

才能、といえば、恩田のような作家の才能もいったいどうなっているのだろう、というのが筆者のような凡人の感想だ。発想もすごいが、書き続ける量もすごい。
子どもの頃、夏休みの宿題は最後の数日間に泣きながらするタイプだったという。「大人は、泣くくらいならもっと前からちゃんとやっておけばよかったのに、なんて言うんですけれど、それができたら苦労はしない。今も締め切りがあるから必死こいて書くんです(笑)。私はもうほとんどずっと考えて考えて、でも今日もできなかった……っていう感じで、やっぱり考えてる時間がすごく長いのを、締め切りが近くなって一気に書く感じです」。
恩田のように多作のベストセラー作家すら、「締め切りがあるから必死」「今日もできなかった」という感情を抱えて書いているのだ! 「でも、考えてる時間が長いと普段フラフラ遊んでるって思われがちで、しかも夜になったらお酒飲んじゃうんで、なんか楽な商売だな、みたいに(笑)。とはいえずっと頭の片隅で考えてるから、あんまり解放された気がしないというか」。
限界を超えて書き続けた過去
会社員を辞めて専業作家になったときも、レストランに各出版社の担当編集者を一斉に呼んで、10本それぞれまったく違うタイプの作品プロットをプレゼンし、各社の連載を獲得したという営業エピソードは有名だ。
「フリーになるのがすごく怖かったんで、書く場所は確保したかったんです。今の時代の小説家は、デビューするときに『会社辞めないでくださいね』と言われるでしょう(笑)。10年間近く兼業で作家を続けて、しまいにはもう会社を辞めて小説に専念したらどうですか、って複数の担当者から言われるようになって。この作者は小説一本でコンスタントにやっていけるだろうと思ってもらえたのかな」
もちろんそれは創作のプレッシャーゆえだった。「創作には、量をこなさないとわからない部分というのもあるんですが、限界を超えたんですね。独立した時代は年間6000枚なんて書いてて、確かにそりゃ限界は超えたかな。そのころは体力もあったので、一息で80枚とか書けてたんです」。
修羅場を乗り越えて、自分の才能を乗りこなす技術を身につけた作家は強い。多作の恩田は、過去は振り返らない。「2年経つと文章が変わっちゃうんです。単行本が出て、次に文庫版が出るときには『今はもう、こうは書かないな』と思うことも。文章の息継ぎの場所が違うんですよね、今はこういう息継ぎはしないな、って。だけど書き直すなんてことは考えません。自分がもう別人になっちゃってるから。感じ方、考え方も変わっちゃってるんです」。
戦慄せしめよ
妄想し、創作した1日の終わりに、恩田は自分を解放するかのようにビールを飲み、そして寝る前には必ず本を1冊読む。
「やっぱり、人の本を読むと『最後までできてていいな』って思うんですよ。よくよく考えたら、この本を書き上げた人も実際にいるわけだから、偉いなって。漫画小説に限らず新書でも、フィクションでもノンフィクションでもアクションとかも」
まだ誰も読んだことのない文章を書いて本にする “創作の人”は、生みの苦しみを知る者ならではの、ちょっと不思議な角度からの感情を吐露してくれた。恩田が「世界を戦慄させるバレエの天才」を描いたのも、同じ“創作の天才”としての尽きぬ興味と、憧憬ゆえなのかもしれない。
『spring』はその名の通り春分を経た3月22日発売、初版には限定書き下ろし掌編のQRコードも収録される。美しい装丁に彩られた書籍から万華鏡のように広がる世界を、ぜひお楽しみいただきたい。
(文中敬称略)