2025.05.03
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第11話 その1】
あなたのためなら僕はいつでも命を差し出す
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第11話 その1】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
源氏首相の暗殺を依頼した徳川財閥十三代の娘・躅子(ふみこ)様の別宅に集められた殺し屋たち。久々の再開を果たしたヒロシとみゆき、Shunに遅れて、ひと仕事終えたこっさんが加わった。(これまでのストーリーはこちらから)

【16】 松岡Shun
あんたは結婚した途端堕落した、腹が出てきた
「たまたまだから。意味ありげに言わないで」
躅子様が冰冰(ヴィンヴィン)さんと部屋に下がった後も、ヒロシとみゆきはだらだらと飲み続けた。ヒロシはソファに横になり、みゆきは膝を崩してスカートの中が見えそうだ。ふたりとも顔が真っ赤だった。躅子(ふみこ)様が言ったように、ふたりは仲が良かった。離婚した夫婦には見えないほど。
「ねえ、ふたりってさ、結婚してたんだよね」
僕の声にふたりの動きが止まる。嫌なことを思い出させるなという顔になる。
機嫌良く飲んでいたみゆきの目が据わる。
「あんたと結婚した直後に後悔した。つくづくわかった。私は誰かのものになっちゃダメだって。私に鳥かごは似合わない。」
「結婚する前に気づけよ」
「結婚して気づいたの。それにね、あんたが悪いの」
「俺が?」
「あんたは私と結婚した途端、退屈になった。堕落した。腹が出てきた。私の前で平気で屁をこくわ、トイレは閉めずに大はするわ。そんな人じゃなかった。格闘家と一緒。満たされたらダメだよね」
「俺はいつだって飢えてる」
「きょうあんたを久し振りに見てちょっと安心した。むかしのボディに戻ってるし、顔つきもいい。おまけにちょっと賢くなった? 何があったか知らないけど」
ヒロシは黙って芋焼酎を啜(すす)る。僕が口を開けようとするたび、好き勝手に喋り出す。
「まだ六本木?」
みゆきの問いにヒロシは頷く。
「海の家もまだある。相変わらず海鳴りが喧しい」
「そうなんだ」
「おまえが気に入っていたから」
ヒロシがみゆきを見る。ふたりの間で時間が止まる。この手の沈黙を破るのは得てして愛されているほうだ。
「あー思い出した。私、あれも嫌だった」
「なんだよ」

おまえ知らないのか。カジヒデキじゃないか
「〝俺たちの仕事は、歴史の教科書には載らない、クレジットしてもらえない黒子のようなものだ。だけど俺は親父からこの仕事に誇りを持つよう教わってきた。俺はライフル銃を握って狙いを定めているとき、この世界の頂上に立っている。錯覚なんかじゃない。アカデミー賞を取れるような主役を務めている〟……笑える!」
ヒロシは苦虫を噛み潰した顔になる。
「あんた見張り番? 何? お邪魔虫?」
え、この罵り合いは前戯だったの? 夫婦って奥が深い。あ、元夫婦か。
みゆきは立ち上がる。
「もう寝る。疲れてるんだから来ないでよ」
色目遣いにみゆきは部屋から出て行った。
僕とヒロシは部屋で宴を続けた。ヒロシはスマホのSpotifyをいじると音楽をかけた。ハッピーなポップソングが鳴る。
「誰だっけ、これ」
「おまえ知らないのか」
「知らないよ」
「カジヒデキじゃないか」
当たり前のようにヒロシは言った。この人がこんな幸せいっぱいのラブソングを聴くとは思わなかった。意外な一面だった。
「まさかとは思うけど、みゆきさんの影響?」
ヒロシの湯飲みを持つ手が止まった。こんなにわかりやすい人がいるだろうか。
「いいからここちょっと聴け」
ふたり表通り歩く 手と手つないで
髪に触れる 頬染める 夢中なとき
優しい風吹いてきた 僕ら笑う
そんなささやかなことさ 世界中

俺は、殺し以外にやることがない。自分の手を汚す仕事しかできない
ヒロシが瞬時に銃を抜く。殺し屋丸出しの反応を見せた。
「おまえバカか? ちゃんと歌詞を聴け。〝髪に触れる〟、つまり〝神に触れる〟だぞ! すごくないか? ささやかな幸せを感じているふたりが全知全能の存在にまでアクセスするって、こんなに端的に、誰にでもわかりやすく、幸福論を歌うことができるか?」
アラン、ヒルティ、ラッセルとか読んでなさそうなこの人に何て説明してあげよう。
「あ、理解できないって顔したな? もう殺す!」
僕の顔に銃を突きつける。
「わかった! わかったから!」
ヒロシは渋々銃を仕舞う。
「次カジさんをバカにしてみろ。容赦なく撃つからな」
やれやれ。でもこの人のこういうところ、嫌いじゃない。
「ヒロシさん、この仕事が終わったらどうする」
「どうするって」
「金も入るしさ、俺は足を洗おうと思う。それで別のことをやる。ヒロシさんは」
「俺は、殺し以外にやることがない」
「第二の人生を始めたらいいじゃん」
「…………」
「ヒロシさん、この仕事が終わったら ──」
俺は話を切り出したつもりが、逆に遮られた。
「俺は自分の手を汚す仕事しかできない」
いくら酔っても言えなかった。謝る勇気がなかった。
あんたが〝最後の伝説〟イタミに犯されたのは、僕の責任なんだと。
いつぞや六本木の交差点であなたと視線を交わした。あの短い時間、僕は眼念術を仕掛けた。
── あなたが次に強い視線を感じたら、体が無抵抗になる。
そう念じた。
だからイタミにやられ放題やられた。あなたが欲しかったばかりに、僕がしたかったことを他人にやられた。いくら手を突いても僕は許されない。
だから密かに願う。あなたのためなら、僕はいつでも命を差し出したい。

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新刊『無法の世界』(KADOKAWA)が好評発売中。カバーイラストは江口寿史さん。
SNS/公式X