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2025.04.27

「ラッフルズに5万円台で泊まれる」「幼稚園のお遊戯会がショパン」「庶民の食堂に料理の天才」ポーランドに行きたくなる20のメモ

東欧の大国ポーランドが、いま行きどきです。というのも、2025年は10月に首都ワルシャワで5年に一度の「ショパン国際ピアノコンクール」が開催されることもあり、音楽の国として盛り上がりをみせているから。ワルシャワは音楽以外も見どころ満載。緑豊かな夏や“黄金の秋”と呼ばれる紅葉シーズンが美しいのはもちろん、冬の雪景色も趣深いです。

BY :

文/大石智子(ライター)
CREDIT :

写真/升谷玲子 取材協力/ポーランド政府観光局

「ラッフルズに5万円台で泊まれる」「幼稚園のお遊戯会がショパン」「庶民の食堂に料理の天才」ポーランドに行きたくなる20のメモ
ポーランドといえば、今年10月にワルシャワで5年に一度の「ショパン国際ピアノコンクール」が開催されることで注目を集めている国。世界中のクラシックファンが、開催期間中にワルシャワを目指します。そんな特別な週がありながら、実は普段から日本人の琴線に触れるトピックスに溢れている国なのです。現地で知った魅力をお伝えしていきますので、次の旅先の候補にご検討あれ!

大人こそ、欧州の穴場ポーランドへ

この原稿を読んでくださっている皆さま、いままで「ポーランドに行きたい!」と思う機会はあったでしょうか? “YES”はそう多くないと、ポーランド好きの筆者は弱気に想像します。卒業旅行や新婚旅行でポーランドを選んだ人も、少なそうだなと。なぜなら、一般的に旅先としては謎国のはずだから。

ショパンの故郷であることや、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所があることは有名でしょう。「ピアノの詩人」と「負の遺産」。とてつもない影響を世界に与え続ける両者が揃う国です。そして現代ではまったく話が変わり、おそらく最も有名なのはサッカー選手のロベルト・レヴァンドフスキ(FCバルセロナ所属)。Instagramのフォロワーは3714万人に及び、今シーズンも4月17日時点で公式戦40ゴールを記録しています。
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それら事柄は知られていたとしても、ポーランドで体験できるカルチャーを知らない人は多いはず。でも、そんな馴染みがない人にこそ行ってほしい。連れに誘われた未知の映画やライブに感化されることがあるように、新たな価値観に気づかせてくれるのがポーランド。自分の趣味が固まっている大人ほど、謎国がくれる発見は刺激的です。

筆者の場合、ポーランド渡航歴はまだ3回ですが、滞在で見聞きしたメモがパワーワード揃いでした。そこで、メモの言葉を引き出しにポーランド旅行の魅力をご紹介していきます。まずはワルシャワ編から。

メモ1:徹底的に破壊され、徹底的に再建した街、ワルシャワ

赤く光るビルは、その形状から「帆」と呼ばれる高層マンション。
▲ 赤く光るビルは、その形状から「帆」と呼ばれる高層マンション。
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古い建物が多く残る他のヨーロッパの都市と違い、ワルシャワの街に近代的な印象を受ける人は少なくないでしょう。ビルが建ち並び、道路の車線も多い。なぜなら、ワルシャワとは復興の街だから。

第二次世界大戦でワルシャワはドイツ軍により徹底的に破壊され、街は瓦礫と化しました。1945年には建物の約84%を消失。かつて「北のパリ」と呼ばれた街並みは崩され、王宮を含む歴史的建造物まで攻撃されました。

そんななか、市民たちは「失った街を自分たちの手で取り戻す」と、復興に向け団結。その結果として見てほしいのが旧市街です。

戦前の写真や絵を元に、市民たちは壊された建物のヒビまで再現。復興への執念によって蘇ったワルシャワ歴史地区は、1980年にはユネスコ世界遺産に登録されました。破壊と再建が繰り返された国の象徴である旧市街から歩き始めると、その後の観光も奥深いものになりそうです。
ワルシャワ歴史地区に立つ旧王宮(右)。
▲ ワルシャワ歴史地区に立つ旧王宮(右)。
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メモ2:治安のいい“黄金の秋”が最高 

ワジェンキ公園で見た落葉の瞬間。
▲ ワジェンキ公園で見た落葉の瞬間。
ワルシャワの街を歩いていて感じるのは、ほっとするほどの安心感。欧州の大都市にいると、「この人スリかな?」「こっちの道なんか嫌な予感がする」と思う瞬間があります。前は安全と感じていた街が、2〜3年で不穏になることも。
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それら都市と比べると、明らかに治安がいい。散歩するにも解放的で、特に気持ちいいのが紅葉に包まれる秋。ポーランドの秋は、その美しさから“黄金の秋”と呼ばれています。

ワルシャワ市は、なんと総面積の約25%が緑地。青葉が茂る夏が過ぎると、街は黄色や赤に彩られていきます。特にワジェンキ公園の紅葉が美しく、光を浴びる黄色の葉っぱは、まさに黄金。それが風に吹かれて落葉する数秒は、心を奪われる瞬間です。街にいても自然の芸術を感じられる。それがワルシャワの街なのです。
ワジェンキ公園にて、落ち葉の絨毯の上にいたリス。
▲ ワジェンキ公園にて、落ち葉の絨毯の上にいたリス。
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メモ3:中心地のホテルが49㎡で1万円台は価格破壊!

「No.4 Residence」のこの部屋が1万円台から。筆者撮影。
▲ 「No.4 Residence」のこの部屋が1万円台から。筆者撮影。
コロナ禍が終焉してから、大都市のホテルの高騰が目立ちます。ラグジュアリーホテルとなれば、パリでは1泊30万円以上が増え、ローマも1泊20万円超。そんななかでワルシャワのホテルは高級からカジュアルまで軒並みお値打ち。東京のホテルと比べても半額以下です。筆者が2024年に自腹で泊まった以下3軒の価格をご覧ください。
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「No.4 Residence」1万4983円(49㎡)
「PURO Hotel Warszawa Centrum」3万814円(19㎡)
「Raffles Europejski Warsaw」7万1774円(40㎡)※高価格日に予約

No.4 Residence」はアパートメント的な3つ星ホテルですが、新しくそれなりにお洒落で十分でした。1万5000円以下で49㎡は奇跡と思ったら1つアップグレードしてくれたようで、とはいえ通常でも1万円台後半から。街の中心に位置し、費用対効果は抜群です。
「PURO Hotel Warszawa Centrum」の「クラシックルーム」(19㎡)。筆者撮影
▲ 「PURO Hotel Warszawa Centrum」の「クラシックルーム」(19㎡)。筆者撮影。
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続く「PURO Hotel Warszawa Centrum」はよりスタイリッシュ。狭い部屋に泊まりましたが、「エグゼクティブ スイート」(49㎡)でも4万円ほどです。家具のセンスがよくてパブリックスペースも洗練されたカジュアルなので、デスクワークをしながら連泊したい場所。ルーフトップのテラスが気持ちよく、自転車の貸し出しもあり、30〜40代女性のひとり旅にも好まれそうなホテルでした。
「Raffles Europejski Warsaw」の公式予約による宿泊料金。ポーランド通貨で4月は1315ズウォティ(約4万9600円)、5月で1475ズウォティ(約5万5600円)から。
▲ 「Raffles Europejski Warsaw」の公式予約による宿泊料金。ポーランド通貨で4月は1315ズウォティ(約4万9600円)、5月で1475ズウォティ(約5万5600円)から。
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カップルで泊まる本命は、「Hotel Bristol, A Luxury Collection Hotel, Warsaw(以下Hotel Bristol)」と「Raffles Europejski Warsaw」。ポーランドを代表する二大老舗ホテルで、ともに120年以上の歴史を誇ります。時を経ても優雅な時間が流れ、前者はマリオットの「ラグジュアリーコレクション」に加盟し、後者はご存知「ラッフルズ ホテル」。そのクラスが珍しくも5万円台で40〜50㎡の部屋に泊まれるのです。
「Warsaw Presidential Hotel」のダブルルーム(28㎡)。
▲ 「Warsaw Presidential Hotel」のダブルルーム(28㎡)。
その他泊まった「Warsaw Presidential Hotel」も好立地で2万円台から。ここはビジネス利用にもよさそうで、40階「Panorama Sky Bar」からの眺めは必見です。次に泊まりたい5つ星ホテル「Hotel Verte, Warsaw, Autograph Collection」は、約4万円からでした。
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メモ4:元ピアニストの首相が開業したホテルと、168年の歴史を誇るホテルの梯子が大正解

戦前の姿を残す「Hotel Bristol」。
▲ 戦前の姿を残す「Hotel Bristol」。
メモ3でお伝えした「Hotel Bristol」と「Raffles Europejski Warsaw」ですが、実は向かい合って立つのでホテル梯子が楽々可能。どちらも歴史が長く、それは激動のワルシャワを生き抜いたことを意味します。
「Hotel Bristol」のバー「Lane’s」。
▲ 「Hotel Bristol」のバー「Lane’s」。
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まず「Hotel Bristol」は、1901年にポーランドが誇るピアニストで後に国家首相となったイグナツィ・ヤン・パデレフスキが開業したホテル。各国からの要人を迎え入れる迎賓館的な目的もあったため、贅沢なネオ・ルネッサンスの外装で、ポーランド初となるエレベーターも設置されました。

ホテルで政府の会合が開かれたり、マレーネ・ディートリッヒやパブロ・ピカソが泊まったり、名だたる著名人が「Hotel Bristol」に宿泊。そんななか第二次世界大戦が始まりますが、このホテルは戦火を生き延びます。皮肉にも敵国ドイツ軍に利用されていたため、ほぼ無傷で再オープンに漕ぎつけたのです。
アンティークの家具が並ぶ「パデレフスキ スイート」(110㎡)。
▲ アンティークの家具が並ぶ「パデレフスキ スイート」(110㎡)。
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老朽化が進み、一時はワルシャワ大学の図書館となった時代もありましたが、かつての栄光を取り戻すべく、大規模改装を経て2013年にマリオットの「ラグジュアリーコレクション」として再オープン。

創業者がピアニストという何ともポーランドらしいホテルなので、白いピアノを置いた「パデレフスキ スイート」に注目を。約34万円からで、スイートルームとしてはお手頃です。
「Raffles Europejski Warsaw」の「デラックス ルーム キング」(40㎡)。筆者撮影
▲ 「Raffles Europejski Warsaw」の「デラックス ルーム キング」(40㎡)。筆者撮影。
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代わって「Raffles Europejski Warsaw」は、元は1857年に国内一の豪華な宿として建てられたホテル。多くの芸術家が集う場所として賑わい、アトリエをかまえた作家も数しれず。しかし、第二次世界大戦が始まると、ホテルは甚大な被害を受け営業再開は不可能に。1948年には軍事学校へと改築され、その後、ソビエト連邦からのユダヤ人移民のための施設となった時期もありました。

歴史の流れに翻弄されながらも、元は宮殿のような華やかさがあった場所。本来の輝きを取り戻すべく、1962年に再びホテルとして復活を遂げました。
天井まで麗しくアーティスティック。筆者撮影。
▲ 天井まで麗しくアーティスティック。筆者撮影。
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2018年には5年もの改築期間を経て、「Raffles Europejski Warsaw」として、さらにラグジュアリーに変貌。かつて芸術家が集ったホテルは、ポーランドの近現代のアートを集めたギャラリーとしてもゲストを魅了します。所蔵する作品は500点以上。2泊以上のゲストにはプライベートアートツアーも提供されます。
「メモリー・ルーム」の窓の外は、「無名戦士の墓」がある庭園。筆者撮影。
▲ 「メモリー・ルーム」の窓の外は、「無名戦士の墓」がある庭園。筆者撮影。
個人的にこのホテルで最も好きな場所は、客室階の角に設けられた4つの「メモリー・ルーム」でした。そこに飾られるのは、古きよき時代のパーティーの写真や、婦人たちのハンドバッグ、戦前の風景画など。展示の前に椅子が置かれているので、失われた美しい時代の形跡をゆったり眺められます。
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メモ5:幼稚園のお遊戯会からショパン。ショパンは聴くものではなく“馴染んでいるもの”

「フレデリック・ショパン博物館」でのショパン彫像展。筆者撮影。
▲ 「フレデリック・ショパン博物館」でのショパン彫像展。筆者撮影。
ポーランドで最も有名な人物、フレデリック・ショパン(1810〜1849)。国際空港の正式名まで「ワルシャワ・ショパン空港」ですから、いかに国の誇りか。「高知龍馬空港」に通ずる由来です。ではワルシャワ市民にとってショパンはどんな存在か? ポーランド在住20年超になるガイドの藤田ひろみさんによると、「ショパンは国民気質のひとつのようなもの。聴こうと意識するより、もう馴染んでいます」とのこと。
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「例えば、幼稚園のお遊戯会からショパンです。でも園児たちはショパンとも思っていないんですよ。夫の姪っ子の発表会を見に行った時も、子供たちが踊るのに流れてきたのは『アンダンテ・スピアナート』。列車や飛行機に乗った時にもショパンが流れて、この前も特急に乗ったら、『ノクターン』が流れてきました」と藤田さん。

なお、日本では小中学校の音楽でみんなが楽譜の読み方を習いますが、ポーランドでは楽譜が読めると「あなた、音楽学校に行っていたの?」と言われるとか。国立音楽小学校はあるものの、普通の学校では日本の方が音楽の授業が多い。それでも、ショパンの様々な曲を鼻歌で歌えるのがポーランド国民。そんな日常に溶け込むショパンを旅人も感じられるのが、“ショパンのベンチ”です。市内にスピーカー内蔵ベンチが15基点在し、ボタンを押すとショパンの旋律が奏でられます。
“ショパンのベンチ”は場所ごとに異なる曲が入り、全制覇する人もいるとか。
▲ “ショパンのベンチ”は場所ごとに異なる曲が入り、全制覇する人もいるとか。
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メモ6:ショパンは身体が弱いから音楽で戦った。最後はコニャック漬けの心臓だけ祖国に帰還

ショパンの心臓が眠る「聖十字架教会」の柱(右)。
▲ ショパンの心臓が眠る「聖十字架教会」の柱(左)。
ショパンの人生は歴史に翻弄され、最後はパリで生涯を閉じました。ポーランドで過ごしたのは20歳までで、その後はパリが拠点。離れた祖国はロシア帝国の支配下となり、『革命のエチュード』はワルシャワ11月蜂起の失敗(1830年)への絶望が生んだ曲と言われています。祖国を想い続け、戦争や侵略を憂いたショパン。
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ストーリーに富む生涯のなかで、ここで一つだけお伝えしたいのが、病床のショパンは「心臓だけはポーランドに」と遺言を残していたこと。祖国に帰れないまま39歳の若さで旅立つと、ショパンの心臓はコニャック漬けの瓶詰めとなり、姉がスカートの中に隠し持ってポーランドに運んだといいます。

その心臓が眠るのが、ワルシャワの「聖十字架教会」。そこに音楽は流れませんが、あえて静寂から始まるショパンツアーもいいでしょう。そのツアーに含めたい場所は、以下の写真をご参照ください。
ワルシャワから西にクルマで約1時間に位置するショパンの生家(ジェラゾヴァ・ヴォラ)。
▲ ワルシャワから西にクルマで約1時間に位置するショパンの生家(ジェラゾヴァ・ヴォラ)。詳細はコチラ
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生家内に置かれたショパンが晩年使用していたピアノ。
▲ 生家内に置かれたショパンが晩年使用していたピアノ。
ショパンの生家の隣にある公園は紅葉が見もの。
▲ ショパンの生家の隣にある公園は紅葉が見もの。
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ショパンの生家からクルマで10分に位置する「聖ロフ教会」。ショパンはここで洗礼を受け、当時使われた洗礼盤が現存します。
▲ ショパンの生家からクルマで10分に位置する「聖ロフ教会」。ショパンはここで洗礼を受け、当時使われた洗礼盤が現存します。詳細はコチラ
「聖ロフ教会」は要塞建築の外観が特徴的。
▲ 「聖ロフ教会」は要塞建築の外観が特徴的。
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ワルシャワ「フレデリック・ショパン博物館」には、代表作の楽譜と合わせたオーディオルームもあり。筆者撮影。
▲ ワルシャワ「フレデリック・ショパン博物館」には、代表作の楽譜と合わせたオーディオルームもあり。筆者撮影。詳細はコチラ
ワジェンキ公園にあるショパン像。この像の横で、毎年5月~9月、日曜の正午と16時にピアノコンサートが開催されます。
▲ ワジェンキ公園にあるショパン像。この像の横で、毎年5月~9月、日曜の正午と16時にピアノコンサートが開催されます。
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メモ7:一番安い食堂に料理の天才がいた!

「Bar Bambino」のピエロギ(約640円)。
▲ 「Bar Bambino」のピエロギ(約640円)。
料理の天才は、必ずしも有名店にいるとは限らない。ワルシャワのミルクバー「Bar Bambino」でそう感じてしまったのでした。

ミルクバーとは、1960年代の共産主義政権が生み出した食堂。60年代以降、安くて誰でも食事のできる食堂が政府の補助金のもと増えましたが、1989年に共産主義が終わると、私営レストランに負けていき、豊かさと反比例してミルクバーは減っていきました。しかし現代でも、働く庶民や旅行者たちに求められ、ポーランドの日常食の遺産といった存在に。前述の藤田さんによると、特殊な食習慣からのニーズもあるようです。
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「ポーランドでは、1日4食とる人が多いです。まず朝7時頃に家で朝食をとり、午前中のうちにミルクバーなどで“第二朝食”をとります。勤務時間中にささっと食べる感じですね。ランチの概念がなく、午後3〜5時の食事がメイン。夕食は夜食の感覚で、パン一枚とハムだけなど、火を使わない食事が一般的です。だからポーランドには通し営業のお店が多い。(昼1時や夜7時頃に行って)この店流行ってないと思っても大丈夫。食事の時間ではないだけです」

「Bar Bambino」も朝8時から夜8時まで営業(土日は朝9時から)。確かに“第二朝食”の時間となる10時頃に賑わっていました。

そこでいただけるのは、ポーランド版餃子のピエロギや、ジュレックという発酵ライ麦のスープといった伝統料理。それらがレストランの味というより“おばちゃんの味”として提供されます。

実は筆者が最初に「ポーランドに行きたい!」と思ったのも、2008年頃『BS世界のドキュメンタリー』でミルクバーが取りあげられ、そこに映った絶妙にやさぐれたおばちゃんシェフに惹かれたから。
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サワークラフト(約210円)。
▲ ザワークラウト(約210円)。
チーズケーキ(315円)。
▲ チーズケーキ(315円)。
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話を「Bar Bambino」に戻すと、この店は1品160円から始まり肉料理でも500円ほどで、100品以上ものメニューが揃います。そのなかでも、ここの野菜料理が大好きになってしまった。美味しい料理が黄金比に基づくとしたら、「Bar Bambino」にはそれを知る人がいるのかもしれない。

漬け加減と味付けが完璧なザワークラウトも、桃が入った根セロリのサワークリーム和えも、真似したいけど絶対に同じ味には出来ない。だからもう一度現地で食べたいと切に願う。

普通の野菜を美味しくする方法を、おばちゃんの腕が覚えている。それもひと皿160〜210円。1切れ315円のチーズケーキも、満腹でも完食せざるを得ない、普通と魔性が入り混じる食べ心地でした。「家の近くにあったら…」と叶わぬことを、いまでも思います。
ミルクバーは、元は乳製品や野菜を中心に提供していたので、その呼び名がつけられました。
▲ ミルクバーは、元は乳製品や野菜を中心に提供していたので、その呼び名がつけられました。
次回は、知られざる生肉天国ポーランドの“タルタルステーキ”について
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大石智子(おおいし・ともこ)

● 大石智子(おおいし・ともこ)

出版社勤務後フリーランス・ライターとなる。男性誌を中心にホテル、飲食、インタビュー記事を執筆。ホテル&レストランリサーチのため、毎月海外に渡航。スペインと南米に行く頻度が高い。柴犬好き。Instagram(@tomoko.oishi)でも海外情報を発信中。

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