2025.04.27
「ラッフルズに5万円台で泊まれる」「幼稚園のお遊戯会がショパン」「庶民の食堂に料理の天才」ポーランドに行きたくなる20のメモ
東欧の大国ポーランドが、いま行きどきです。というのも、2025年は10月に首都ワルシャワで5年に一度の「ショパン国際ピアノコンクール」が開催されることもあり、音楽の国として盛り上がりをみせているから。ワルシャワは音楽以外も見どころ満載。緑豊かな夏や“黄金の秋”と呼ばれる紅葉シーズンが美しいのはもちろん、冬の雪景色も趣深いです。
BY :
- 文/大石智子(ライター)
- CREDIT :
写真/升谷玲子 取材協力/ポーランド政府観光局

大人こそ、欧州の穴場ポーランドへ
ショパンの故郷であることや、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所があることは有名でしょう。「ピアノの詩人」と「負の遺産」。とてつもない影響を世界に与え続ける両者が揃う国です。そして現代ではまったく話が変わり、おそらく最も有名なのはサッカー選手のロベルト・レヴァンドフスキ(FCバルセロナ所属)。Instagramのフォロワーは3714万人に及び、今シーズンも4月17日時点で公式戦40ゴールを記録しています。
筆者の場合、ポーランド渡航歴はまだ3回ですが、滞在で見聞きしたメモがパワーワード揃いでした。そこで、メモの言葉を引き出しにポーランド旅行の魅力をご紹介していきます。まずはワルシャワ編から。
メモ1:徹底的に破壊され、徹底的に再建した街、ワルシャワ

第二次世界大戦でワルシャワはドイツ軍により徹底的に破壊され、街は瓦礫と化しました。1945年には建物の約84%を消失。かつて「北のパリ」と呼ばれた街並みは崩され、王宮を含む歴史的建造物まで攻撃されました。
そんななか、市民たちは「失った街を自分たちの手で取り戻す」と、復興に向け団結。その結果として見てほしいのが旧市街です。
戦前の写真や絵を元に、市民たちは壊された建物のヒビまで再現。復興への執念によって蘇ったワルシャワ歴史地区は、1980年にはユネスコ世界遺産に登録されました。破壊と再建が繰り返された国の象徴である旧市街から歩き始めると、その後の観光も奥深いものになりそうです。

メモ2:治安のいい“黄金の秋”が最高

ワルシャワ市は、なんと総面積の約25%が緑地。青葉が茂る夏が過ぎると、街は黄色や赤に彩られていきます。特にワジェンキ公園の紅葉が美しく、光を浴びる黄色の葉っぱは、まさに黄金。それが風に吹かれて落葉する数秒は、心を奪われる瞬間です。街にいても自然の芸術を感じられる。それがワルシャワの街なのです。

メモ3:中心地のホテルが49㎡で1万円台は価格破壊!

「PURO Hotel Warszawa Centrum」3万814円(19㎡)
「Raffles Europejski Warsaw」7万1774円(40㎡)※高価格日に予約
「No.4 Residence」はアパートメント的な3つ星ホテルですが、新しくそれなりにお洒落で十分でした。1万5000円以下で49㎡は奇跡と思ったら1つアップグレードしてくれたようで、とはいえ通常でも1万円台後半から。街の中心に位置し、費用対効果は抜群です。



メモ4:元ピアニストの首相が開業したホテルと、168年の歴史を誇るホテルの梯子が大正解


ホテルで政府の会合が開かれたり、マレーネ・ディートリッヒやパブロ・ピカソが泊まったり、名だたる著名人が「Hotel Bristol」に宿泊。そんななか第二次世界大戦が始まりますが、このホテルは戦火を生き延びます。皮肉にも敵国ドイツ軍に利用されていたため、ほぼ無傷で再オープンに漕ぎつけたのです。

創業者がピアニストという何ともポーランドらしいホテルなので、白いピアノを置いた「パデレフスキ スイート」に注目を。約34万円からで、スイートルームとしてはお手頃です。

歴史の流れに翻弄されながらも、元は宮殿のような華やかさがあった場所。本来の輝きを取り戻すべく、1962年に再びホテルとして復活を遂げました。


メモ5:幼稚園のお遊戯会からショパン。ショパンは聴くものではなく“馴染んでいるもの”

なお、日本では小中学校の音楽でみんなが楽譜の読み方を習いますが、ポーランドでは楽譜が読めると「あなた、音楽学校に行っていたの?」と言われるとか。国立音楽小学校はあるものの、普通の学校では日本の方が音楽の授業が多い。それでも、ショパンの様々な曲を鼻歌で歌えるのがポーランド国民。そんな日常に溶け込むショパンを旅人も感じられるのが、“ショパンのベンチ”です。市内にスピーカー内蔵ベンチが15基点在し、ボタンを押すとショパンの旋律が奏でられます。

メモ6:ショパンは身体が弱いから音楽で戦った。最後はコニャック漬けの心臓だけ祖国に帰還

その心臓が眠るのが、ワルシャワの「聖十字架教会」。そこに音楽は流れませんが、あえて静寂から始まるショパンツアーもいいでしょう。そのツアーに含めたい場所は、以下の写真をご参照ください。







メモ7:一番安い食堂に料理の天才がいた!

ミルクバーとは、1960年代の共産主義政権が生み出した食堂。60年代以降、安くて誰でも食事のできる食堂が政府の補助金のもと増えましたが、1989年に共産主義が終わると、私営レストランに負けていき、豊かさと反比例してミルクバーは減っていきました。しかし現代でも、働く庶民や旅行者たちに求められ、ポーランドの日常食の遺産といった存在に。前述の藤田さんによると、特殊な食習慣からのニーズもあるようです。
「Bar Bambino」も朝8時から夜8時まで営業(土日は朝9時から)。確かに“第二朝食”の時間となる10時頃に賑わっていました。
そこでいただけるのは、ポーランド版餃子のピエロギや、ジュレックという発酵ライ麦のスープといった伝統料理。それらがレストランの味というより“おばちゃんの味”として提供されます。
実は筆者が最初に「ポーランドに行きたい!」と思ったのも、2008年頃『BS世界のドキュメンタリー』でミルクバーが取りあげられ、そこに映った絶妙にやさぐれたおばちゃんシェフに惹かれたから。


漬け加減と味付けが完璧なザワークラウトも、桃が入った根セロリのサワークリーム和えも、真似したいけど絶対に同じ味には出来ない。だからもう一度現地で食べたいと切に願う。
普通の野菜を美味しくする方法を、おばちゃんの腕が覚えている。それもひと皿160〜210円。1切れ315円のチーズケーキも、満腹でも完食せざるを得ない、普通と魔性が入り混じる食べ心地でした。「家の近くにあったら…」と叶わぬことを、いまでも思います。


● 大石智子(おおいし・ともこ)
出版社勤務後フリーランス・ライターとなる。男性誌を中心にホテル、飲食、インタビュー記事を執筆。ホテル&レストランリサーチのため、毎月海外に渡航。スペインと南米に行く頻度が高い。柴犬好き。Instagram(@tomoko.oishi)でも海外情報を発信中。