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2021.07.23

■平出和也(登山家)後編

現代最高の登山家・平出和也「周りから笑われても、結局最後は、自分がどう生きたか」

登山界のアカデミー賞といわれる山岳賞「ピオレドール」を3回も受賞し、今や世界にその名を轟かせるアルパインクライマーの平出和也さん。世界の未踏峰、未踏ルートを次々と開拓してきた超人的な登山スタイルを支えるメンタルはどのようにして生まれたのでしょう? いよいよ最終回です。

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文/浜野雪江 写真/岸本咲子

自分が歩いた跡が道になる。そんな登山を目指し、世界の高峰に挑むアルパインクライマーの平出和也さん。登山界のアカデミー賞といわれる「ピオレドール」を3度受賞した世界屈指のクライマーであると同時に、自らの登山を壮大な映像で記録し、海外からのオファーも絶えない山岳映像カメラマンでもあります。

前編中編に続く今回は、平出さんがファインダー越しに見ているものや、15年かけて挑んだシスパーレに登頂後、自身に起きた不測の事態、そして、いつまでも好奇心を持ち続ける秘訣についても伺いました。

ドローンという名前すらない時に空中から撮影するカメラを自作していた

── 平出さんは登山家としての活動だけでなく、ご自分の登山を空中から撮影したり、映像カメラマンとして、名だたる冒険家の挑戦に同行して撮影されています。クライマーであると同時に、映像カメラマンになろうと思ったのはなぜですか。

平出 僕はもともと発明やモノ作りが好きで、新しいアイデアが浮かぶ瞬間がとっても好きなんです。大学も工学部で、機械をいじるのは得意なので、「普通は見えない世界を、そっち側から見たらどうなんだろう?」などと考えて、凧にカメラをつけてカイトカメラを作ったりして、2005年頃から自分の登山を映像で記録していました。

当時はドローンという名前すらついていなかった、空中から撮影する機器も、基板を買ってきてパーツとモーターを組み合わせ、カメラが水平をとるようにプログラムして、自分で作りました。今は誰でも機械を買ってきてボタンを押せば、自動的に撮れる時代になっちゃいましたけど、僕の場合は、そうした試行錯誤の中で編み出したものだったんです。まぁだから、好きだった、というのが始まりですね。

それを、テレビ局のプロデューサーをしている山岳部の先輩に見せたら、「お前、こんなことができるんだ。じゃあ次、ガチャピンとヒマラヤへチャレンジするから一緒に行ってくれよ」と言われたのが皮切りで。その後、トントン拍子にいろんな撮影に行くことになったんです。だから、一番最初にお金をもらってやった仕事は、「ガチャピン」なんですよ(笑)。

── なるほど。それが今では大切なお仕事になっているわけですね。

平出 雪山での撮影は冒険の色が濃く、アスリートでもある僕にしか行けない場所もあるので、自分の中では“アスリートカメラマン”だと思っています。通常、冒険家のチャレンジがオンエアされる時には、冒険自体はすでに終わっていますが、僕はリアルタイムにその場に立ち会うことができるので、最高の“特等席”なんです。

僕は、優れた冒険家たちが自然の中でどういう判断をするのかにすごく興味があるんです。それを、「僕だったらこうやるのにな」と思いながら撮っている時もあれば、「こんな選択があったんだ!」と気づかされることもある。だから、撮影の仕事というよりは、すべてが自分の冒険に生きてくる学びなんです。

高所で一流の冒険家を撮影するのも、自分だからできる活動のひとつですし、自分の登山を記録することで、世界の未踏峰や未踏ルートという、誰も見たことのない世界をみなさんにお見せできる。それは僕にとって、社会との大切な接点でもあります。
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三浦さんがどういう選択をして生きて戻ってきているのか知りたかった

── 2013年に、冒険家の三浦雄一郎さんが80歳で挑んだエベレスト(8848m)登頂の様子を撮影された時は、どんな思いで参加されたのですか。

平出 日本では、植村直己さんを始め、多くの冒険家が志半ばで亡くなっているんですね。その中で三浦さんは、生存する最高齢の冒険家なわけです。多くの冒険を重ねながら、三浦さんが生還し続けている理由はなんだろう、生涯現役でいられる理由はなんだろうって、ずっと思っていました。

僕は若いぶん体力もあるし、登山のスピードで言えば、僕のほうが速く山頂に到達できます。でもそういう単純なスキルではなく、三浦さんが山とどう対峙し、どういう選択をして、生きて戻ってきているのかを知りたかった。三浦さんの登山に同行することで、何か気づけたらいいなと思ったんですよね。

── 実際に同行されてみて、いかがでしたか。

平出 三浦さんと8500mの最終キャンプに入った日は、すごく天気が悪かったんです。吹雪の中、前を歩く三浦さんをうしろから撮りながら、『今日は天気悪いし、取れ高少ないなぁ』とかいろいろ考えてて。そしたら、三浦さんがパッと振り返って、「平出くん、この吹雪の中で歩いてるところも撮っといてね」と言ったんです。

ただでさえ、冒険家にとって登頂間近の時期というのは、ピリピリしてかなり視界が狭くなっている時です。しかも、翌日に登頂を控えた三浦さんにはたくさんのスポンサーがついていて、“明日絶対に成功させなきゃいけない”という、かなりのプレッシャーの中にいるはずです。それが登頂の1カ月前の話なら緊張感も全然違いますけど、まさに翌日に頂上アタックというタイミングで、「吹雪の中で歩いてるところも撮っといてね」って……。この余裕はなんなんだ!?って(笑)。

衝撃の中で僕は、やっぱり三浦さんは視野が広いんだなぁと思ったんです。この人は、目の前の頂をもちろん目指しているんだけれど、山頂だけを見てるんじゃなく、周囲の見えるものをすべてしっかり見た上で、山頂も見てるんだって。それが、三浦さんが生きている理由なんだなと気づきました。
▲ K2の偵察登山のためにラカポシに登頂した平出さん(2019)。写真提供/石井スポーツ
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谷口さんは僕の身体の中で確かに生き続けている

── 毎年、冒険の登山と撮影での登攀を両立されていますが、2017年のシスパーレ登頂後は、しばらく撮影の仕事が続いていますね。

平出 山を始めた時って、山へ行けば行くほど登りたい山がどんどん増えたんですね。ひとつ登ると、次に登りたい山が10個ぐらい出てきて、そのうちの一つに登ったら、またさらに10個ぐらい出てきて……ということの繰り返しだったのに、なぜかシスパーレに登った時に、次の山が見えなかったんです。15年間思いを馳せたシスパーレに登頂して、もう、これ以上の経験ができる山に出合えないんじゃないか、この経験を超えるような経験がこの先できるのかな? と思ってしまって。途端に、誰かと競っていたわけじゃないのに、燃え尽きてしまったんです。

自分との対峙の中でやっていることなのに、燃え尽きるってどういうことなんだろう? って。そんなこと、自分でも初めてで、戸惑いました。今思えば、シスパーレがそれだけ苦しい登山だったということなんですけど。1年ぐらいは全然頑張れず、もうこれからは、お世話になった山に対して、撮影することで恩返しをしていこうかと考えた時もありました。

── 燃え尽き状態からは、時間が経過することで回復されたのですか。

平出 まぁそうですね。実は4度目の挑戦でシスパーレに登れたあの時、山は何を教えてくれたのかな、という疑問の答えが、ずっと見つからないまま悶々としていたんです。思えば僕は、山に登り続けているからこそ、そこで得たものを振り返ることができてきた。ここで終わってしまったら、4度目のシスパーレを振り返ることができずに終わってしまうなと思ったんです。

あれが自分にとって、どういう価値のある登山だったのか。その答えを見つけるためにまた山へ行こうと思い、次の目標をK2(8611m)に定めて、K2の偵察登山に行きました。そして2019年に、K2の未踏の壁に挑むためのトレーニングとして、カラコルム山脈のラカポシに登ったんです。

── ラカポシで、納得のいく答えは見つかったのでしょうか。

平出 ラカポシの山頂に立った時、2年ぶりに彼方にそびえるシスパーレを見下ろしたんです。4度目のシスパーレは、谷口さんの死を乗り越えるための登山でした。一緒に足跡を残したつもりで山頂に写真を埋めてきたわけですけど、ラカポシの山頂からシスパーレを見た時、谷口さんが僕の身体の中で確かに生き続けていることを改めて感じたんです。人の死というのはすべての終わりじゃなく、また新たな始まりであるということを、4度目のシスパーレに教えられたのかなと思います。

ラカポシの頂からは、僕たちが次に目指すK2が、遠く100km先に見えて。「次はあの頂に行きなさい。また新たなスタートを歩んでいきなさい」と言われたような気がしました。
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自分さえ歩き出せば、どんなところにでも行ける

── 世界で2番目に高いK2は、登頂の難しさは世界一で、遭難者の多さから、「非情の山」「魔の山」とも呼ばれているとか。なぜそこまで挑戦し続けることができるのですか?

平出 義務とかノルマじゃなく、すべては自分のためだからでしょうね。これが義務やノルマだったら、興味が半減してモチベーションが湧かなかったり、こなした時点で活動が終わってしまうと思うんです。でもそうじゃない、自分にとっての一番、自分にとっての最高の頂を踏みたいと思って、僕はやっています。

何事も、イメージできすぎると面白くなくなっちゃうように、僕も、経験値が上がってもイメージができないぐらいのことをやりたい。僕にとってリスクのない冒険は、成長もない冒険になってしまうので、挑戦の内容も年々グレードアップしていくんです。これだけいろんなことをやっていても、僕はまだ自然の一部しか知らないし、自然の中ではまだまだ無力です。いつまでたっても超えることはできないものを相手にしているからこそ、永遠に成長できるんだと思っています。

今僕たちが見据えているK2は、今の自分にとって“生きていくことを試すような山”です。あのシスパーレですら15年かかったので、K2の頂に立つのは20年後になるかもしれない。でもそのぐらい思いを馳せられるものにまた出合えたわけですから、可能な限り挑みたいですね。
── そのとめどない好奇心を、大人になっても持ち続ける秘訣みたいなものはありますか。

平出 僕の場合は好きなことをやらせてもらっているぶん、仕事も趣味も全部ごちゃまぜで、どこまでが仕事でどこまでがプライベートかの境がないのでなんとも言えないんですけど(笑)。読者の方の中にもそういう方もいれば、仕事とプライベートの区分けがはっきりしてる方もいると思います。ただいずれにしても、内側から湧き上がる好奇心や探求心というのは、たぶん子供の頃、みんな絶対あったものだと思うので、それをもう一度思い出してほしいなっていう気がします。

結局最後は、自分がどう生きたか。自分がどう成長し、どう道を歩いてきたかですよね。周りから笑われても、自分にとって最善の道をみんな選んで生きてきていると思うし、それは僕も同じです。自分さえ歩き出せば、どんなところにでも行ける。僕はそう思っていますね。

自然の中からひょいと現れたような飾り気のなさで、時にユーモアを交えつつ、数々のエピソードを語ってくれた平出さん。優しい語り口調の中にはあふれる山への思いと、人々への愛情がにじんでいました。「結局最後は、自分がどう生きたか」。そう言い切る瞳は、限りなく深く澄んでいて。そこには大人も敬い憧れる、“カッコいい大人”の姿がありました。

平出和也(ひらいで・かずや)

1979年5月25日、長野県生まれ。中学で剣道、高校で陸上競技(競歩)を経験したのち、大学2年で山岳部へ。4年生の春にはヒマラヤ遠征に加わった。少人数で、荷物を軽量化しスピーディに登る「アルパインスタイル」を得意とし、未踏峰・未踏ルートにこだわって登山を重ねてきた。2008年、インド・カメット峰に登頂し、ピオレドール賞を日本人初受賞。山岳カメラマンとしても活躍し、13年には、三浦雄一郎氏の世界最高齢80歳でのエベレスト登頂のカメラマンとして同行。第21回植村直己冒険賞受賞。17年8月、パキスタン・シスパーレ峰に登頂し、2度目のピオレドール賞を受賞。19年、パキスタンのカラコルムのラカポシの未踏の南壁ルートから登頂し、3度目のピオレドール賞を受賞。世界のトップクライマーの一人として高い評価を受けている。石井スポーツ所属。

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