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2021.07.21

■平出和也(登山家)前編

世界を驚かせた登山家・平出和也「自分が歩いた跡が道になる。そんな登山がしたくて」

登山界のアカデミー賞といわれる山岳賞「ピオレドール」を3回も受賞し、今や世界にその名を轟かせるアルパインクライマーの平出和也さん。世界の未踏峰、未踏ルートを次々と開拓してきた超人的な登山スタイルを支えるメンタルはどのようにして生まれたのでしょう?

CREDIT :

文/浜野雪江 写真/岸本咲子

世界の未踏峰、未踏ルートを切り拓き、2009年に登山界のアカデミー賞といわれる山岳賞「ピオレドール」を日本人として初受賞したアルパインクライマーにして山岳映像カメラマンでもある平出和也さん。挑戦する山や岩壁の難易度を年々上げながら、新ルートを次々に開拓してきました。
 
15年にわたり挑み続けたパキスタンの鋭鋒シスパーレの頂には、2017年に4度目の挑戦で到達。難攻不落といわれる北東壁からの登頂に成功し、世界の称賛を浴びました(この登頂で2度目のピオレドールを受賞)。

独創的で果敢な登山スタイルは圧倒的かつ超人的ですが、平出さんは決して“命知らず”のクライマーではありません。山を敬い、己の命を尊びながら、より困難な道を選び、力の限りを尽くすのです。自ら望んで過酷な挑戦をし続けるのはなぜなのか?  登山家になった経緯とあわせて伺いました。

自らチャンスをつかみとって達成したものこそ、桁違いの充実感がある

── 今回のテーマは「挑戦し続ける大人はカッコいい」ですが、平出さんは「カッコいい」ということを意識したことはありますか?

平出 20歳で登山を始めた頃は、「カッコいい登山家になりたい」と思ってましたね。ただ、振り返ってみると、そう思っていた時が、一番カッコ悪かったんじゃないかなと思うんです。「カッコいい登山家になりたい」とか「カッコいいラインから登りたい」という思いが先行するのは、表面的なものばかり求めて、自分を誰かと比べていたから。20年経った今は、誰かと比べるのではなく自分と対峙するような、自分だからこそできる登山をしたいと思っています。

そこでは「カッコよさ」というのは求めておらず、自分に正直に、自分のやりたいことをやっているだけです。登山にも、長くやってきたからこそ見える世界があり、より苦しい思いも味わってきました。そうした中で僕が今、自分らしい活動をしていることが、結果的に「カッコいい」と思っていただけるのであれば、それはとてもうれしいことです。
── 自分らしい活動というのは、やりたいことを意識的に選ぶことで見えてくるものですか?

平出 そうだと思います。子どもの頃は、与えられたチャンスをものにする場合が多いと思いますが、与えられたチャンスで輝いているうちはまだまだ未熟で、自らチャンスをつかみとって達成したものこそ、桁違いの充実感があります。大人になるにつれ、僕も徐々にチャンスをつかみ取るほうに変わっていきましたが、それには待っているだけではダメで。自分がチャンスをつかみ取るためには何が必要かを考え、コツコツと小さなことを積み重ねて、用意周到に物事を進めるタイプだったと思います。
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── 登山を始める前にも、中学時代は剣道を、高校時代は競歩を極められています。その後、競技スポーツとは異なる登山を始めたのはなぜですか。

平出 中学や高校の頃は、得意な運動で人と競って一番になることが大好きだったし、一番になるために努力することにやりがいを感じていました。人の背中を追いながら、自分の限界を超えようと頑張っていたんです。でもそれを一所懸命やってきたからこそ、決められたルールの中で人と競うことに対して、次第に違和感をもち始めたんです。これまで一番を目指してやってきたけれど、それは単に人と競っていただけで、自分は本当に強い人間なのかな? と思って。

僕の父は警察官でしたが、週末は必ず祖父の家に帰り、田んぼや畑で農作業をしていました。僕も田植えや稲狩りをよく手伝わされましたが、ぬかるんだ田んぼの中を歩くと、陸上の全国で入賞した自分より、父のほうが断然速い。自然の中で生きる強さでは、とても父にかなわなかったんです。

思えば幼い頃も、地域に密着した仕事で多くの人に頼られている父の姿を見て、自分も人から頼られる大人になりたいと思っていたし、地震が起きたときなどは、とっさに父にしがみついていた(笑)。自分もそういう“人間としての強さ”を備えた人になりたいと、心の底から思ったんです。これからは人と競うのではなく、自然の中で一歩前を歩く自分と対峙するような活動を真剣にやってみたいと思い、山岳部に入部しました。大学2年生の時です。

自分がやりたいのはこういう登山じゃないと感じた

── 高校卒業まで長野県で過ごされて、登山経験も豊富だったのでしょうか。

平出 山の“や”の字も知りませんでした。小さい頃から父に連れられて近くの山へ遊びにいっていたので、山は遊び場としては身近でした。けれど、自然があまりにも近くにありすぎたために、特別な場所ではなかったんです。

でも、山岳部に入部した時点で、OB主体のヒマラヤ遠征隊が2年後にヒマラヤへ行くと知り、「僕も行きたい!」と猛アピールして参加しました。当時は、“ヒマラヤ山脈は世界の屋根“ぐらいの認識しかありませんでしたが、「あんなところに本当に行けるんだ! 行ってみたい!」という好奇心がものすごくあったんです。
── 2年後の大学4年生の春、実際に、ヒマラヤ山脈の未踏峰クーラ・カンリ(7381m)東峰に登頂されたんですね。

平出 その秋には、別の大学の学生とふたりでチョー・オユー(8201m)という山にも登頂しました。ただ、世界中から人が集まる山で、ルートにロープが張られていたりするんです。登る場所が指定された中で、前を歩く人がいたら、追い抜かそうとする自分がいた。競技場を出たはずなのに、まだ競技場の中にいることに気付き、自分がやりたいのはこういう登山じゃないと感じたんです。そこで改めて、“自分はどんな登山家になりたいのか”を探す旅をしなきゃダメだなと思い、K2(8611m)、ラカポシ(7788m)を始め難しい山がたくさんある、パキスタンのカラコルム山脈を見に行こうと決めました。

まずは、カラコルム山脈の地図を張り合わせて大きな地図を作り、過去に人が登った頂と、人が歩いた道に線を引きました。すると、線のない真っ白な部分が浮かび上がって。それは単に人が気づいていないだけなのか、それとも地形的な問題で行くのが難しいのか? そこがなぜ空白なのかを自分の目で確かめたくて、2002年にカラコルム山脈へ、自分が将来登りたい山を探す旅に出かけました。

実はこの旅で初めて、シスパーレ(7611m)という山にも出合ったんです。その時は、「カッコいい山だな!」って、とても高く遠く見えた。何年かかってもいいから、自分の人生で必ずあの頂を踏みたいと、強い思いで見上げました。その後、2004年に初めて自分で登山隊を組み、ゴールデンピーク(7027m)に新ルートで登頂しました。

それからは、世界で誰も登っていないルートから、今の自分があと数段、努力すれば届きそうな山の頂を目指す日々が始まって。自分が歩いた跡が道になる。そんな登山がしたくて、20代は本当に多くの山に登りました。
▲ シスパーレを登る平出さん(2017) 写真提供/石井スポーツ
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若さゆえにできる無茶をして、いろいろ痛い思いもして学んできた

── 登る山はどのように決めるのですか。

平出 登山経験を積むことで、次の山が見えてきます。僕は大学生の頃から「夢のファィル」というのを作っていて、海外の雑誌とかで、カッコいいなぁ、いつか登りたいなと思う山をスクラップしてファイルに入れてるんです。今は実力が伴わず、そこを登る自分がイメージできないからファイルに入るわけですが、いろんな登山を経験しながら年に1回くらい見返すと、20から30ある山のうちひとつくらいは、「今ならここ、行けそうじゃないかな」と思える山が出てくるんです。

実はその中には、「この山に登ってカッコいいと思われたい」という理由からファイルに入った山もあります。

── それはどのあたりですか。

平出 2005年に登った、インドのシブリン(6543m)なんかはそうです。シブリンは、鋭角にそびえる山容から、“インドのマッターホルン”とも呼ばれるとても難しい山です。一緒に登った谷口けいさんとも、「自分たちじゃ無理なんじゃないかな」と話してきた山ですが、いろんな経験を積み上げて、挑戦しようという気持ちになった。結果的には成功してオリジナルルートをひくことができ、初めて海外の雑誌に僕の名前が載るなど、世界で評価された登山になりました。

しかし、この頃の僕はまだまだ未熟で、足元の危険を顧みずに突き進み、凍傷で足の指を少し切るという代償を負いました。山頂を目指していると、どうしても視野が狭くなるものですが、若くてイケイケの僕は山頂にしか視線がいかなかったんです。

とはいえ、「俺、カッコいいんだよ」というところを見せつけたい思いや、若さゆえの無鉄砲さがあるからこそできることもあって。周りの評価ばかり気にしていた当時の自分は今から思うと非常にちっぽけですが、その一方で確かに、あのときだからできた挑戦でもあった。今の自分はもう、こういう無茶な登山はしないんです。あのとき、若さゆえにできる無茶をして、いろいろ痛い思いもして学んできたからこそ、今こうして虚栄心にとらわれない挑戦ができているんじゃないかと思います。
── 未踏峰、未踏ルートにこだわる一番の理由はなんですか。

平出 その山にどのルートで行くかを含めた課題を自分でつくり、登りながら答え合わせをするのが楽しいからだと思います。インターネットでなんでも検索できる今の時代でも、人類が誰も足を踏み入れたことのない未踏ルートの情報はどこにも載っていません。ガイドブックも正解もない中で、自分が正解だと思う道を行く。100%そこが未知の世界だから、僕は行きたいと思うんです。

もちろん、楽しいからだけではなく、そこが、自分をもっとも成長させてくれる場所だと知っているからでもあります。社会で働くビジネスマンが会社で成長するように、僕は山で成長してきているんです。山には、人知を超える自然の驚異や猛威という上司がいて、その中でうまく付き合わなきゃいけません。そこでは弱い自分を認めなければいけない時もあれば、果敢に挑戦しなきゃいけない時もある。それが高くて険しい場所になればなるほど、自分をより成長させてくれるんです。
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命をかけても登れない山があることをシスパーレに学んだ

── シブリンから帰って療養後には、シスパーレに初挑戦されていますね。

平出 2006年に「夢のファイル」から抜いた山がシスパーレでした。この時に挑戦した北東壁は不安定な雪で、パートナーは「登るより生きて帰りたい」と言いました。私はシブリンで凍傷という痛い目に遭っているのにまだまだ視界が狭くて。6000mで敗退しましたが、若さゆえに自分の弱さを認められず、「俺は命をかければどんな山でも登れる」なんて思ってました。

その後もたくさんの登山で成功と失敗を経験し、人の死にも直面して、自然界の中で、自分がいかにちっぽけな存在であるかを痛感しました。やり残しているシスパーレに再び登ろうと思ったのは、最初の挑戦から5年経った時です。

今度は反対側の南西壁から挑みましたが、全体の3分の1ぐらいまでしか登れませんでした。5350m地点で天気待ちをして晴れた時、「この晴れを、生きて帰る時間に使おう」と決めて、心穏やかに敗退しました。5年前の僕だったら、そのまま登っていたと思います。でもこの時は、「命をかけても山って登れないんだな」ということをシスパーレに教わり、自分の弱さを初めて認めることができたんです。気づけばシスパーレは、人間として、登山家として、自分に足りないものを教えてくれる“ものさし”のような存在になっていました。
── そして翌年も、2度目と同じ南西壁からシスパーレへ。勝算はあったのでしょうか。

平出 3度目の登攀は、厳しい環境になるほど強さを見せる、僕にとって最高のパートナーの谷口けいさんと挑みました。登頂の可能性を強く感じていましたが、巨大なセラック(氷塔)に阻まれて5700mで敗退。この時ばかりは諦めの境地で山を下り、下山中も一度も山を振り返りませんでした。もう二度とこの山には戻って来ないだろう、違う山に目を向けよう。そう思いましたね。

しかし、その後2015年に谷口さんが日本の山で遭難で亡くなり、僕はもう一度シスパーレに向かうことになります。けいさんとは、支え合うだけでなく、お互いが伸び伸び成長するための手助けができる最良の登山パートナーでした。衝突したこともあるけれど、生きていれば、もっともっといいパートナーシップで険しい山に登れたかもしれない。そんな未来を共有できる人がいなくなったことが寂しくて、自分はこの先、山を続けられるのかとても不安でした。

翌年も、新たに中島健郎とパートナーを組み、チベットのルンポカンリ(7095m)という山に登頂しましたが、心のモヤモヤは晴れなくて……。けいさんの死を乗り越え、登山家として新しいスタートを切るために、僕が望んだのはシスパーレに帰ることでした。過去に人が通ったルートから登る、自分にとってはカッコ悪い方法をとることになってもいい、原点の山であるシスパーレの頂になんとしても立ちたいと思いました。

※中編(22日公開)に続きます。

平出和也(ひらいで・かずや)

1979年5月25日、長野県生まれ。中学で剣道、高校で陸上競技(競歩)を経験したのち、大学2年で山岳部へ。4年生の春にはヒマラヤ遠征に加わった。少人数で、荷物を軽量化しスピーディに登る「アルパインスタイル」を得意とし、未踏峰・未踏ルートにこだわって登山を重ねてきた。2008年、インド・カメット峰に登頂し、ピオレドール賞を日本人初受賞。山岳カメラマンとしても活躍し、13年には、三浦雄一郎氏の世界最高齢80歳でのエベレスト登頂のカメラマンとして同行。第21回植村直己冒険賞受賞。17年8月、パキスタン・シスパーレ峰に登頂し、2度目のピオレドール賞を受賞。19年、パキスタンのカラコルムのラカポシの未踏の南壁ルートから登頂し、3度目のピオレドール賞を受賞。世界のトップクライマーの一人として高い評価を受けている。石井スポーツ所属。

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