2025.12.04
あの桑田佳祐プロデュース“流し”のミュージシャン現る!
都内のバーで“流し”として歌い続けてきたミュージシャン、田内洵也。その歌声に惚れ込んだサザンオールスターズ・桑田佳祐がプロデュースしたシングル「深川のアッコちゃん(produced by 夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE)」は、せつなく郷愁を誘う日本版ブルースでした。これを聴かずして、オヤジの2025年は終わらない!?
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撮影/トヨダリョウ 文/松永尚久 編集/菊地奈緒(Web LEON)
「深川のアッコちゃん」を聴いた桑田さんが「いい曲じゃん」と。そしてプロデュースしていただくことになりました

田内洵也さん(以下、田内) 都内に僕が毎週“流し”で出入りさせていただいているバーがいくつかありまして、その中の1つにある日訪れると、マスターから「今日、桑田さんが来る。演奏できるかどうかわからないけれど、とりあえず立っておきな」と言われたんです。
そうしたら桑田さんがリラックスされているタイミングがあって、「すみません、失礼します」って感じで、エディ・コクランの「Twenty Flight Rock」を、いきなり予告なしで演奏しました。すると、ノリノリで聴いてくださって、翌日の桑田さんのラジオでも話していただいたりして。そこから交流がスタートしました。
── エディ・コクランの楽曲を選んだのは、なぜですか?
田内 ギターを抱えて国内外さまざまな場所で演奏しているのですが、この曲ってどこで披露しても反応がよくて。桑田さんが、ザ・ビートルズをお好きなことを知っていて、ジョン・レノンとポール・マッカートニーがバンドを結成するきっかけを与えた楽曲でもあるので、これだなと。空気を読まずに演奏しました(笑)。
田内 緊張って歳を重ねるごとにするなって思っていまして、当時20代後半だった僕はそれよりも桑田さんが目の前にいるうれしさのほうがまさっていました。中学生の頃から、10代の多感な時期を支えた音楽が桑田さんやサザンオールスターズでしたから。自分の活動の基礎を作ってくれた存在と言えますね。

田内 コロナ禍があってしばらく時間が空いて、久しぶりにお会いした時、桑田さんから「何かオリジナル曲はないの?」と言われ、「深川のアッコちゃん」を聴いていただきました。これは桑田さんにインスパイアされて作ったものなのですが「いい曲じゃん」とおっしゃって、今回のお話につながったのです。
── 原曲は田内さんによる作曲なのですね。
田内 初めて披露したあとに「いい曲だけど、サビのコードはこっちのほうがいいんじゃない?」みたいなご提案をいただきました。最初は予定調和的なよくある展開だったのですが、桑田さんがその中にシンプルなんですけど、違うコードを入れてくださって「こっちのほうが広がりがあるんじゃない?」って。その瞬間に、これまでバーで見てきた表情とは異なる姿を目撃したような気分になりました。虎が本気を出したみたいな。
── 人を寄せ付けないオーラみたいなものが?
田内 いや、TVやライブ会場などで見せる気さくな雰囲気そのままなのですが、音楽に対する集中力と情熱は誰よりも強いものをもっていらっしゃる印象。その背中を間近で見られたことで、僕の音楽に対する姿勢が大きく変わったと感じています。
音楽で生きていくためには飲食店で演奏させてもらうのが近道じゃないかなと“流し”の活動をスタート

田内 そうですね。僕も同じスタイルの方に出会ったことはありません(笑)。上京した際、自分なりに音楽活動をどうやってやろうかと考えた時、まず音楽で食べていかないといけないと思いました。
プロのミュージシャンになるため、音楽で生きていくために一番の近道は、飲食店で演奏するのがいいのかなと。最初は、浅草、人形町など下町にある酒場に顔を出し、やがて港区にあるオーセンティックなバーからも声をかけていただくようになりました。
ちなみに、場所を選ばずにギターを持ってどこでも演奏するという自分のスタイルを“流し”と言ってくださったのは、桑田さんでした。当初は、自分が“流し”とは思っていなかったのですが、桑田さんの表現が素敵だなって。それ以降“流し”を名乗らせていただいています。
── お酒の場での演奏は、酔っぱらいのオヤジに絡まれることも多いのでは?
田内 もちろんです。場所を選ばずに、人に呼ばれたらどこでもやっていたので、絡まれたり、説教されたりは日常茶飯事。僕が感情のいいハケ口になっていたんだと思います。でも、そういう経験ってミュージシャンをしていたら誰しもが経験するはずだし、絶対にするべき苦労じゃないかって。当時は嫌な気分になることもありましたが、振り返ると全部が面白かったなって思います。
田内 そうですね。だんだんと距離感のとりかたはわかってくるものです(笑)。

「深川のアッコちゃん」は、昭和のオヤジたちが集まる酒場で流れるBGMのイメージで作りました
田内 僕がそういう音楽を好きな部分が大きくて。昭和30〜40年代の高度成長期の東京を舞台にしたものにしたかったんです。そこに桑田さんが、ザ・ビーチ・ボーイズのようなコーラスなどを加えていただいたことで洋楽っぽさが生まれたと思います。
── ジャケットデザインも当時を連想させるものですよね。
田内 自分の想像以上のものに仕上げてくださって感謝しています。ただ昭和の雰囲気を踏襲しているだけでなく、そこに現代的な解釈が加わったサウンドと一体化しているようなビジュアル。本当に制作していただいたみなさんのおかげです。
── 歌詞もちょっと甘酸っぱい気持ちにさせるというか。オヤジたちの焼け木杭に火をつけるような内容になっていますよね。
── 古いアルバムをめくって懐かしんでいる感覚があります。
田内 再会して何かが起こるとか、そういうことではなくて。こういう時代もあったよねって思えるような。また、その淡い思いは叶っていないというところが、この楽曲のミソなのです。思い出をつまみに一杯ひっかけているというイメージです。
── ボーカルも印象的ですよね。てっきり桑田さんがAIを駆使して歌っているのでは?と思いました。そこはあえて“寄せ”にいったのですか?
田内 (笑)。桑田さんが昔からずっと憧れのミュージシャン、ボーカリストであり、あの方を夢見て練習してきたので。また、今回桑田さんが歌のディレクションもしてくださったので、畏れ多い表現ですが弟子入りできたみたいな。
── それぞれのフレーズをとても丁寧に歌っていますよね。
田内 もともと歌い方に悪い癖がありまして、それを桑田さんが優しく指導・修正してくださったおかげで、レコーディングの前と後で大きく変化しました。これは自分ひとりでは絶対にできなかったことです。
── 今回のコラボレーションで得たものは大きかったのですね。
田内 人生の第2章が始まりましたね。

田内 今回、本当に素晴らしい機会をいただき、桑田さんをはじめさまざまなスタッフのみなさんからのサポートを受けながら、新しい扉が開きました。ここからはまたいろいろな人の力を借りながら、自分の力で活動します。せっかくいただいたチャンスを活かして、できる限り歌っていきたいです。
── 今後のビジョンはありますか?
田内 今後は、聴いてくださる方の時間や人生にちゃんと寄り添えるミュージシャンでありたいと思っています。その意味で、僕が目標にしているのが桑田さんの在り方です。
桑田さんは、スピーカーの向こうで耳を傾けている人やライブで目の前にいる人たちのことを最優先して活動されています。音楽って独りよがりでもできるものなので、第三者のためと言うことはできても、実際に体現できている方ってそんなにいないと思うんです。
でも、桑田さんはそれを体現していてかつたゆまぬ努力をされている。その姿を見ると、自分は何をやっているんだっていう気持ちになる。今後は、そのギャップを埋められるように活動していきたいです。いつか「深川のアッコちゃん」を超える楽曲を発表したいですね。
コミュ力の秘訣は「人に興味をもつ」ことかも。相手のことを知りたいと思えば、自然と質問が出てきます
田内 今回のレコーディングには、桑田さんのバンドメンバーの方々にも協力いただいたのですが、スタジオで完成した楽曲をみなさんでチェックされている後ろ姿は、映画『七人の侍』の役者のようなたたずまいでした。カッコよさって、年齢に関係なく好きなものに対して誠実に向き合うことで生まれるのだなって感じました。
── そういうオヤジになりたいと思いますか?
田内 僕にフランスの友人がいて、とてもダンディなんですよ。彼はその道を極めたいから、たくさん勉強していて。そんな彼に僕も同じようになれるか聞いたところ「無理だよ。スーパーファニーなおじさんにならなれるかも」と言われまして(笑)。だから、そこを目指そうかと。一見、普通なのに、言動がユニークみたいな。周りの先輩たちが素晴らしすぎて、同じ場所にはたどり着けそうにないので、自分らしいアプローチで年齢を重ねたいと思っています。

田内 桑田さんほど面白い人はいないと思いますよ。毎回、お会いするたびに、大笑いさせていただきました。しかも真顔で面白いことを言うというか、想像もつかないアイデアを提案してくださる。「深川のアッコちゃん」のラストにセリフが入っているんですけど、あれは当初なかったんです。
桑田さんがいきなりスタジオで「昭和歌謡ってセリフ入るじゃん。加山雄三さんの楽曲みたいな。そういうものを入れてみない?」って流れで、“I miss you”というフレーズが生まれたのですが、スタジオでスタッフのみなさんが真剣に見つめる中「二枚目俳優みたいな気持ちで」と言われながら何度もレコーディングするのは、本当に恥ずかしかったです(苦笑)。
田内 完成すると桑田さんが「お前、勝手に入れちゃって!」とイタズラっぽい表情をされました。ほかでも、レコーディング中はずっとイジられていましたね(笑)。
── イジられやすさって、人からモテる条件だと思いますよ。
田内 最近思うのが、「こうしたほうがいいんじゃない?」と気軽に意見を言っていただける雰囲気を自分が醸し出せているとしたら、すごく有利だなと。“流し”で演奏していると、いろんなフィードバックをいただけるんです。それは本当に得だなって感じますね。
── 田内さんはコミュ力も抜群な印象ですが、初対面の人とどう打ち解けているんですか?
田内 僕はすごく人に興味があるんですよ。視点を変えると、人って誰しもがめちゃくちゃ面白いじゃないですか。パッと見、真面目で全然面白いことを言わなそうな人でも、実際お話してみるととてもユニークな面をもっていたりだとか。この人どんな人なんだろう?という好奇心が強いのかもしれませんね。
── なるほど。どんな人に対しても「興味をもつ」ことが大切なんですね。
田内 バーで“流し”をしていると、お客さんの仕事や家族の話を自然と聞くことも多くて、気づけばその人の物語に惹き込まれていることがよくあります。何気ない話から、どんどん相手のことを知っていこうという姿勢は、これからももち続けたいと思っているんです。
── ストレスは溜まりませんか?
田内 昔はありましたね。不本意な音楽活動がたまにあったんですよ。誰も聴いていない場所で演奏するとか、飲みたくないお酒を浴びながら歌うとか。でも、今回、純粋に音楽と向き合える環境が整った。そこからストレスなんて消え去って、ただただ感謝する日々になりました。いただいた環境に甘えずに、ひとつひとつの現場でちゃんと歌を届けていきたいと思っています。

● 田内洵也(たうち・じゅんや)
1989年長野県生まれ。愛知県とタイ(バンコク)にて育つ。幼少期からザ・ビートルズに憧れ、テニスラケットをギター替わりにして歌っていたが、中学時代のギター購入をきっかけにバンコクのストリートで弾き語りを始める。やがて、都内近郊のバーで“流し”(=酒場で客のリクエストに応じて歌う)の活動をスタート。25年1月には最新アルバム『Traveling Man』をリリース。
https://junya-tauchi.com/wp

■ 「深川のアッコちゃん」(produced by 夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE) 1100円(タワーレコード限定発売)/深川レコーズ
桑田佳祐のプロデュースによるシングル。自身が上京した当時暮らしていたという隅田川沿いを舞台に繰り広げられる、ほろ苦い人間模様を描いた内容。昭和歌謡のような郷愁を漂わせながらも、ブルースやR&Bなど洋楽からの影響も感じられる深みのあるサウンドをアテに、極上の一杯を嗜みたい。楽曲は好評配信中、CDはタワーレコード限定で発売。















