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2025.06.30

諦められた靴が息を吹き返す場所ハドソン靴店・村上 塁が語る継承することの意義と豊かさとは【Part.1】

“その靴は直せない”。そう言われ、諦められてきた靴たちが全国から集まる最後の場所ともいえるのが横浜の「ハドソン靴店」。リペアの域ではなく、リビルド(レストア)された靴たちがまたその持ち主とともに歩み出す再出発の場所としても知られる同店の店主・村上 塁氏は、人の想いを温める魔法使いのひとり。どのような想いで、壊れた靴に向き合い、命を宿すことを選んできたのか──その哲学を聞いた、3部構成の第一弾です。

CREDIT :

写真/トヨダリョウ 文/船寄洋之 編集/渡辺 豪(LEON)

履き慣れた靴を捨てずに、直して履き続ける──職人の手を通じて、自分だけの一足が再び命を宿すという体験は、「豊かにものと向き合う」という、現代にこそ求められる贅沢なのかもしれません。靴の修理を通じて、人の思い出や時間、そして精神性に寄り添い続けるハドソン靴店の店主・村上 塁さんの言葉から、その本質を探ります。
ハドソン靴店・村上塁
横浜・松本町に店を構える「ハドソン靴店」は、全国から“最後の頼み”として靴が集まる修理の名店。持ち主の想いが詰まった、他店では断られた一足を、また歩けるように蘇らせる──その技には、受け継いだ確かな技術と、時間に寄り添う静かな覚悟がある。
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ハドソン靴店・村上塁

「誰も継がなかった店」と、職人の再出発

── 長く営まれてきたお店であることが、外観からも伝わってきます。まずは、ハドソン靴店の成り立ちを教えていただけますか?

村上 塁さん(以下村上) 僕は2代目になります。先代の佐藤正利さんが、メーカーでの修行を経て、1961年にこのハドソン靴店を立ち上げました。僕が先代に技術を教わるようになったのは、靴の専門学校に通っていた2008年、20代前半の頃です。すでに弟子はたくさんいたので、僕はそのなかでもかなり最後の世代だったと思います。

── 佐藤さんは、元首相・吉田茂や石原裕次郎をはじめとする多くの著名人を顧客に持ち、“最後の手製靴職人”のひとりとも呼ばれていた世代ですよね。
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村上 そうですね。その後、僕は浅草の靴メーカーで、底付けの仕事に就きました。製靴の中でも一番最後の工程で、靴底を本体に縫い付けて仕上げる役割ですね。手仕事の世界って、かっこよく見えるかもしれませんが、実際は市場が小さくて、職人だけで食べていくのは本当に難しいんです。下積みを終えても月給は4〜5万円くらい。将来のことを考えると、「これは厳しいな」と思っていたところに、先代が亡くなってしまって。2011年のことでした。
ハドソン靴店・村上塁
村上 その後、先代のおかみさんから「店を継がないか?」と声をかけられたんです。僕よりも先に技術を教わっていた人たちは何十人もいたのですが、当時すでにこの商店街はシャッター街になっていて、誰も継ごうとはしなかった。僕自身、靴の仕事を完全に諦めるにはまだ心残りもあって、「一度やってみようかな」と思い、引き継ぐことにしました。
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── 当初は、靴職人としてビスポーク(対話を重ねながら作る完全オーダーメイド靴)の制作を続けようとされていたんですよね。

村上 はい。でも実際にやってみると、この場所で注文してくれるお客さんは、ほとんどいませんでした。ここ最近のビスポークって、自分へのご褒美として、銀座とか青山みたいな“特別な場所”でオーダーする人が多いんですよね。だからここでは、思ったように注文が入らなくて。正直、閑古鳥が鳴いていました。

そんな中、「他の店で断られた」とか「途中で職人がいなくなった」といった理由で、修理の相談が来るようになったんです。最初は片手間で引き受けていたんですけど、だんだんそっちのほうが需要があることに気づいてきて。お店の雰囲気にも合っていたんでしょうね。それで、思い切って修理を中心にやっていく方向に舵を切ることにしました。
ハドソン靴店・村上塁
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流れに逆らわず、芯を失わず。しなやかな職人の背中

── 村上さんは、「日本最高峰の靴職人」とも称される関 信義さんにも師事されていますが、先代の佐藤さんや関さんと接する中で、どんな印象を持たれましたか?

村上 僕の中では、二人とも本当に頭のいい人だったという印象ですね。単に技術があるだけじゃなくて、時代を読む力があったと思います。その時々で柔軟にスタイルを変えていたし、必要に応じて立ち位置を変えながら生き抜いてきた人たちでした。修理を中心にしていた時期もあれば、ビスポークを手がけていた時期、メーカーで一職人として働いていた時期もある。まるでカメレオンみたいに、時代や状況に合わせて色を変えていく──そんな柔軟さを持っていました。

── 学んだ技術は、いまの現場でも活きていますか。

村上 ものすごく。先代や関さんに、「なんで職人になったんですか?」と聞いたことがあるんです。すると、二人とも即答で「金だよ」って(笑)。理想とか憧れじゃなくて、「とにかく食うため」だったと。当時は、隣の職人より1秒でも早く仕上げた人が上に行く世界。だから右手で使う道具は右に、左手の道具は左に。全部、最短距離で配置されている。道具の置き方ひとつで、0コンマ何秒違ってくる。それが積み重なると、大きな差になるんですよ。
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ハドソン靴店・村上塁
── 速さのため、効率のため、そして生き残るための工夫だったと。

村上 今でも、「意味のある動き」を大切にしています。うちの従業員にもよく言うんです。「なんでそこに置いたの? 意味があるの?」って。無意識に手を動かすのではなく、きちんと考えて動いてほしい、と。振り返ると、二人から教わったのは、ただ作る・直すだけではなく、“職人としてどう生きるか”という覚悟や生き方、スタイルにまで及んでいたと感じています。

一足の靴に、人生の記憶が染み込んでいる

ハドソン靴店・村上塁
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── ハドソン靴店では、「靴の修理は、思い出の修復でもある」という考えのもと修理を行っているそうですね。靴に強い思い入れを持つお客さまも多いと伺いました。

村上 そうですね。たとえば、この古いレッドウィングの靴の修理を依頼されたお客さまは、「これは大学を卒業して、社会人になって初めて買った靴なんです」と話してくれました。
村上 当時、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでこの靴を買って、怒られながら、歯を食いしばりながら社会を乗り越えてきた。その時代を一緒に歩いてきた“相棒”みたいな存在になってるんです。だからもう、単なるモノとしては見られない。

そういう方は、今では高級靴を何足も持っていることも多いのですが、「これは思い出だから直したい」と持ってこられます。感覚としては“愛車”に近いのかもしれません。中には余命宣告を受けて、「この日までに仕上げてほしい」と言われたこともあります。「その前に入院するから」、「その日しか受け取れないから」と。靴ってそれくらい“人生の一部”なんです。履いた人の記憶や思い出が染み込んでいる。僕はそれを直すことで、その人の大切な時間や想いに、ほんの少し寄り添えているんだと思っています。
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ハドソン靴店・村上塁
── そうした思いをお客さまが話せるのは、村上さんとの信頼関係があってこそではないでしょうか。
村上 うちは完全予約制で、お一人あたり1〜2時間の枠を取っているんです。初対面で「形見の靴なんです」とか「初任給で買った靴なんです」といった話が出てくることは、まずありません。だから最初の5〜10分ほど言葉を交わしながら、少しずつ信頼関係を築いていく。そのやりとりを、僕は“プレゼン”だと思っています。単なる接客ではなく、自分自身を売り込んで、お客さんの心を開いてもらう時間。それが僕にとっては、本当に大切なことなんです。

というのも、最初のうちにお客さんの興味を引き、心を少しずつ解きほぐして、「自分はこういうことができますよ」「あなたの求めているものを、こういう形で表現できますよ」と、きちんと伝えておかないと、その後にはなかなか響かないんです。そうやって、相手が何を求めているのかをくみ取り、それに対して「こう応えられます」と自分の技術やサービスで示す。それって、どんな職業でも変わらないと思うんです。僕の仕事も、みなさんの仕事も、根底に流れているものは、きっと同じだと感じています。

(Part.2に続く・・・)
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ハドソン靴店・村上塁

● 村上 塁

1982年、神奈川県横浜市生まれ。テレビで見たオーダー靴職人に憧れて大学を中退し、靴の専門学校に入学。その後、靴職人・佐藤正利氏や関 信義氏に師事し、靴メーカーでの実務経験も積む。2011年、佐藤氏の逝去に伴いハドソン靴店の2代目店主に。製造で培った高い技術を活かし、他店では断られるような特別な修理や難しい依頼を引き受ける。思い出の詰まった靴や形見の靴など、大切な一足を丁寧に蘇らせる技術と真摯な姿勢が評判を呼び、全国から依頼が殺到。海外から注文が届く。現在、年間1000足以上を手がける日本屈指の靴修理職人として、高い信頼を集めている。

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