2025.06.08
第6回 高島礼子 【vol.03】
美しい人、高島礼子。「このチャンスを逃してたまるか! と映画のプロデューサーを追いかけました」
大人の女性の美しさに迫るグラビア連載「美しい人」。第6回目に登場いただくのは高島礼子さんです。『暴れん坊将軍』『極道の妻たち』など数々の名作に出演し印象的な役を演じてきた高島さん。昨年、還暦を迎えたとは思えない若々しさが印象的な高島さんの「美」の秘密とは?
- CREDIT :
文/渡邉朋子 写真/野口貴司 スタイリング/村井 緑 ヘアメイク/黒田啓藏 編集/森本 泉(Web LEON) プロデュース/Kaori Oguri

第6回のゲストとしてご登場いただいたのは高島礼子さんです。デビュー35年を過ぎた今もドラマや映画、舞台に加え、最近ではバラエティにも出演して飾らない人柄が人気を集めている高島さん。vol.01(こちら)、vol.02(こちら)に続いて、最終回では仕事を始めたきっかけから、主役を務めるようになるまでの苦労、そして俳優という仕事の楽しさについても伺いました。



【interview 03】
本当に下手くそだった私を、京都の撮影所が手取り足取り教えてくれた
高島礼子さん(以下、高島) その頃、キャンギャルを2年ほどやって年齢も23、4歳ぐらいになっていたので、あとは適当にモデル事務所に入って、結婚でも目指すのかななんて思っていたんです。そんな時にたまたま私が出演したCMを見てくださった松平健さんとテレビ朝日の近藤(州弘)プロデューサーが同時に、この子はどうだろうということで、『暴れん坊将軍Ⅲ』出演のお話をいただいて、流れに身を任せました。

高島 もう本当に、えっ!? っていう感じでしたね。しかも『暴れん坊将軍』は唯一、親と一緒に見ていた大好きな番組だったんです。父には、モデルをやっているだけでも、ちゃらんぽらんな生き方だと責められていたんですが、『暴れん坊将軍』と聞くと、逆に「やりなさい、やりさない」と応援してもらえたので、健さんにお声がけいただいていなかったら、私は俳優デビューできていなかったと思います。
── 現場で松平健さんとお会いした時は、何かお話をされたんですか?
高島 いえ、健さんはあまりお話しされる方ではないので、ご挨拶に行った時も「うん? ああ、よろしくね」ぐらいで、今でもずっとそんな感じなんですよ(笑)。

高島 みなさん、そう言うんですけど、私は京都しか知らなかったので、これがザ・俳優なんだと思っていました。当時は演技経験もなく、本当に下手くそだったので、手取り足取り教えていただいて。ひと言答えると100返ってくるような感じで3時間ぐらいお説教をされたりという日々でしたけど、やっぱりその時の経験が今につながっているんじゃないかと思います。

高島 苦労と言っても、その分、健さんがすごくよくしてくださったので、むしろできない自分が腹立たしくて。のちにNHKの『あさイチ』に出演させていただいた時に、健さんが私についてコメントをくださったんですけど、「(高島さんは)運動神経が悪いのかな」とおっしゃっていて、健さん、そんなこと思っていたんだ! と思いました(笑)。
本当にセリフ覚えは悪いし、立ち回りもどんくさいし、自分でもなんでかな? と思っていたんですけど、健さんのひと言でわかりました(笑)。今思えば、健さんはじめ、みなさん、そんな私によくつき合ってくださったなと。私だったら、自分みたいにどんくさい子を育てるなんて無理です(笑)。

高島 やっぱり女の人って、30歳がひとつの山じゃないですか。京都を出た後、今の事務所にお世話になったんですけど、なかなか日の目を見ることがなく、25、6歳で10代の子たちと一緒に演技レッスンに通ったりもしていました。だから、30で芽が出なかったらさすがにやめようと思っていたんですけど、28、9歳の頃、事務所の副社長が連ドラで、私にとってはとてもいい役を頑張って取ってきてくださったんです。
でも私ったら、撮影が始まってから買い物中に転んでひじを複雑骨折する大怪我をしてしまって、すぐに手術になったんです。目が覚めたら副社長がいて、あぁ、もう終わったな……と思っていたら「一番つらいのは高島だってわかってるから。あとはどうにかするから今は静養しなさい」と言われて、怒られなかったことにびっくりしましたけど、副社長には本当に感謝しています。

高島 それが3週間ほど入院した後にギプスをしながら復活したら、私の役がバスにはねられた設定になっていて(笑)。3週間ぐらい休んでも平気な役だったこともあって普通に現場に戻れたんですけど、私のギプスを見てみんな、「すごい。本物みたい」って言うんですよ。最初はやさしさかなと思ったんですけど、みんな本当に知らなかったみたいで(笑)。でもそういう時は、みなさんにご迷惑をおかけして……とグジグジ考えるより、現場で一生懸命やって返すしかないというのは、この仕事を続けてきて思うことですね。
──そして、そこからさらに転機があったそうですね。
高島 同じ頃に、ある俳優さんが降板された映画の話がなぜか私に来たんです。全裸シーンもある体当たりの役だったんですけど、これが最後だなと思って「やります」と言いました。そのことを一応、父にも話したら「俳優って大変なんだね。まぁ思いっきりやってきなさい」と応援してくれて。え~っ! と驚きましたけど、親を泣かせるのはあり得ないと思っていたので、これで思いきりできるなという気持ちで挑みました。

高島 それは日刊スポーツ映画大賞でたまたま同じテーブルだった映画プロデューサーの奥山(和由)さんに「『陽炎』っていうのがあるんだけどさ、やってみる?」と言われて。『陽炎』と言ったら、樋口可南子さんのあの映画ですよ。え⁉ やりたい! と思ったんですけど、答える前に奥山さんは「じゃあね、また」と行ってしまって。私はそれまで、お母さんとか先輩とか普通の女性の役が多かったので、このチャンスを逃してたまるか! と、急いで会場の外にいたマネージャーさんのところにパーっと走って行って、「今、奥山さんから声をかけられたの! 名刺を持って追っかけて!」と言ったんです(笑)。
── その『陽炎』から『極道の妻たち』の4代目極妻へと大きな役が続きましたが、実際に演じてみていかがでしたか?
高島 そこまでいくともう樋口可南子さんの真似、岩下志麻さんの真似ということではダメなんですよね。だから自分のオリジナルで、とにかく一生懸命やるしかないと必死でした。その時も、まだ名もなきペーペーの私を、みなさんが応援してくれるんですよね。本当にありがたかったです。だから、私も誰かを応援できる人でありたいと思っています。

高島 今、楽しいですよ。変な話、今までキャリアのある役が多かったので、本当はバカなのにクイズ番組なんかに出たら大変なことになると思っていたんです(笑)。でも今はバラエティだろうがなんだろうが、依頼があったものはありがたくやってみましょうよという気持ち。だからガチ旅とかも楽しめる自分がいたのはちょっと新発見でした。
それまでは“俳優たるもの”と勝手に自分で作り上げた俳優像があったんですけど、それを守って何が楽しいのかなと思うようになって。俳優だったらなんでもできなきゃダメなんじゃない? というところから、いろいろなことが楽しめるようになってきた気がします。

● 高島礼子(たかしま・れいこ)
1964年7月25日、神奈川県生まれ。1988年、『暴れん坊将軍Ⅲ』で俳優デビュー。1993年、映画『さまよえる脳髄』でヒロイン役を演じ、体当たりの演技が話題に。『陽炎』、『極道の妻たち』の4代目極妻を務めるなど、数々の人気作に主演。2001年には『長崎ぶらぶら節』で第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。その後もドラマ『御宿かわせみ』、『天地人』、『女系家族』、『精霊の守り人』、映画『犬鳴村』、『祈り-幻に長崎を想う刻-』、舞台『女たちの忠臣蔵』、『春日局』、『メイジ・ザ・キャッツアイ』など多数の作品に出演。8月30日からは新歌舞伎座にて上演される石井ふく子白寿記念公演『かたき同志』に出演予定。
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