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2023.10.04

佐野史郎「自分は他人。自分はあくまで道具。確固たる自分なんてありはしない」

舞台や映画、ドラマ、音楽、そして写真活動など幅広く活躍する俳優、佐野史郎さんが箱根「彫刻の森美術館」で写真展を開催することに。大病から復帰した佐野さんは改めて「なぜ自分は写真に魅せられるのか?」という根源的な問いかけを自らに行ったのでした。

CREDIT :

文/鳥海美奈子 写真/平郡政宏 スタイリング/中島エリカ ヘアメイク/中山知美 編集/森本 泉(LEON.JP)

佐野史郎 LEON.JP
LEON世代にとってはドラマ「ずっとあなたが好きだった」(TBS)の冬彦さんなど強烈な役柄で印象的な俳優・佐野史郎さん。ドラマや映画のみならず舞台、音楽、写真などの分野でも幅広い活動を続けてきましたが、この度、箱根「彫刻の森美術館」の2024年カレンダー写真の撮影を機に現地で自身の写真展を開催することに。

佐野さんにとって今回の展覧会は、「なぜ写真に魅せられるのか?」という根源的な問いかけを自らにするもので「生い立ちを遡って写真との縁を紐解く作業だった」と言います。2年前には多発性骨髄腫という大病を経験し、ようやく復帰した佐野さんにとって、ずっと撮り続けている写真とは何なのか、写真によりどのような世界や価値を創出しようとしているのか、じっくり伺いました。
── まずは、写真との出会いについて教えてください。

佐野史郎さん(以降、佐野) 僕の実家は松江(島根県)に江戸末期から続く開業医で、父は写真が趣味だったんです。それに母方の実家が、出雲大社にある写真館で。そんなこともあって、写真はごく身近な存在でした。父は結婚記念に二眼レフのカメラと現像、引き伸ばし機材一式を買って、母と一緒にそれらの機材とともに写真を撮っているんですよ。なかなかそんな夫婦はいないというか、いかがなものか、と我が親ながら思いますけどね(笑)。それ以外にも父はバイオリン、母はピアノを嗜む音楽好きで。この両親を見ると、まぁ、こんな息子ができても仕方ないよな、と感じます。
── 彫刻の森美術館からカレンダーの写真を依頼された時にはどのように感じましたか。

佐野 今から10年ほど前に、俳優仲間で兄弟と呼び合う井浦新さんが、同じく彫刻の森美術館で写真展をやっているんです。そんな縁もあって2021年にお話をいただいたんですが、その直後に僕は血液がんの一種である多発性骨髄腫であることが発覚したんです。それで撮影を一年延期してくださり、彫刻の森などを1年間にわたり撮影しました。

新と、それから永瀬正敏さんも、俳優仲間の中でも特にその審美眼に共感しています。林海象組や若松孝二組で一緒に仕事をして、彼らは写真家としても活動していますしね。僕が長男で永瀬さんが次男で、新が末っ子みたいな感じで、個性はそれぞれ違うけど、その眼差しには共通するものがあるのかもしれません。
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佐野史郎 LEON.JP
例えば僕は、ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスやソ連のタルコフスキーが大好きなんです。「人間は素晴らしい」と人間賛歌をするのではなく、自然物や人工物と同じように人間を捉える眼差しを持っているから。そういうアニミズム的な視点に僕は心動かされるし、新や永瀬さんの演技を見ていてもそうした自己に対する客観性を感じるんですよね。

── 今回の写真展のタイトル「瞬間と一日」にはどのような意味があるのでしょうか。

佐野 タイトルはアンゲロプロスの映画『永遠と一日』から拝借しました。死を前にした詩人の最後の一日を描いた作品ですが、一瞬の中に永遠がある、一日と永遠が変わらないこのひと時である、という感覚にとても心を動かされたので。

── ピンホールカメラという古典的な撮影方法を使うなど、興味深い写真がたくさんあります。

佐野 ピンホールカメラはレンズではなく小さな穴から差し込む光線を取り込んで像を定着させるという写真の原点なんです。それを使って撮った、写真展のポスターにもなっている一枚は、野外にある彫刻を写しています。赤い巨人の男が飛び立っていく、あるいは降臨しているようにも見える。

三脚を立てて数分間露光して撮ると、雲が流れているので光の入り方が変わり、二重露光のようになったりするんです。動いている人間が映らなかったり、見えない球体が写ったり。写るということ自体がとんでもない奇跡であり、驚きであるというのも改めて感じましたね。
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佐野史郎 LEON.JP
── この写真展で、改めて写真について気づいたことは他にありますか。

佐野 自分の精神がそこに写ってしまうというのが写真の魅力でもあり、恐さですね。それは、演技も同じですけれど。いくら口先で「人間は誰もが平等だ」とか「人間だけが素晴らしいわけではない」と言っても、シャッターを切ると、実は心の深層部分ではそう考えていないというのが、写真に如実に表れてしまう。自分の中にあるそういう傲慢さに気づかされたり、「お前、実はそうじゃないだろう」と突きつけられかねない恐ろしさが、写真にはあります。

── 今回は、セルフポートレートも撮っていらっしゃいますね。

佐野 僕は常々、「自分は他人だ。自分を自分と思うな。自分というのが自分だけで存在しているわけではないんだからな」と、自らに言い続けていて、そこは相当気をつけているつもりです。「自分はあくまで道具なんだ。確固たる自分というものがあるなんていう勘違いをするなよ」と。

例えば俳優の仕事でいえば、プロデューサーが決めたプロットがあって、この自分の身体があって、セリフを話す。写真であれば被写体があって、カメラがあって、それを撮る。そういう均等な関係性の中で、他人や周りの環境と反応した時に現象が起きるだけであって、この身体や機能を自分でどう使うか、コントロールするかというのを演技をする時も、写真を撮る時も気をつけているんです。

そんな自分がセルフポートレートを撮るというのは、自分という他人、他人という自分という矛盾と向き合わなければならない。それでも撮らずにはいられないというのは、根っこにとんでもない、マグマのような自己愛がやっぱりあるんじゃないかと思いますね。
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佐野史郎 LEON.JP
▲ ジャケット22万5500円/ラルディーニ、ニット3万9600円/フィリッポ・デ・ローレンティス、パンツ2万9700円/ブリリア1949(以上すべてトヨダトレーディングプレスルーム)
── 自己愛ですか。

佐野 そうですね。とはいえ、個人のエゴとも違うんですよ。自分の身体の中に長い歳月をかけて古代から伝達されてきた、細胞レベルのものへの愛情というのか。それを自己愛と呼んでいいのかわからないけれど、自分の体を通して他人とか、今は消失してしまった何千年も離れたものごとへの愛情を写し取りたい。

でも、「結局、それって自分のこと好きなんじゃない」と問われたら、「嫌いじゃないよ。平気で人前でお芝居したりするんだから、自分のことは嫌いじゃないんじゃないかな」と言いますけどね(笑)。あとはここに写っている私とは何者かというのを知りたいというのがある。あるいは自分がいるな、こうして生きてるな、と感じたいのかな。

── 今回は彫刻の森などを1年にわたって撮った写真と、「佐野史郎写真史」と題してご自身のルーツを辿る写真が展示されています。

佐野 写真展をやるなら、なぜ僕が写真を撮るのかわかるような構成にしてほしいという依頼が美術館側からあったんです。松江の実家は明治初期から残る古民家なので、百年前からの写真や父が撮った写真もたくさんが残されていて。そうした写真を並べて個人史を辿ると自然、古代史まで遡らざるを得なかった。

出雲大社は1300年前に国譲りの物語があるし、武士の時代も外圧によって終わり、明治新政府が誕生し、日清日露戦争や太平洋戦争があって、現在も特に東日本大震災以降、原発事故への対応などグローバル社会によって動かざるを得ない。国の成り立ちやそこに暮らす人たちとの関係など、すべて構造としては同じなんだと、改めて感じたんですね。
佐野史郎 LEON.JP
個人の物語と家族の物語、それに国の物語や一見関係ない彫刻の物語まで、すべてを織り交ぜてひとつのものに構成してるわけだから、まぁ、法事みたいなものですね。当初は、ただカレンダーを撮る仕事をしようとしただけで、ここまで広がりを見せるとは思っていなかったけれど、そのように物事を見ているんだなと自覚させられました。
── そういう想いは多発性骨髄腫という大病をされて、生死をさまよった経験によって得られたものなんでしょうか。

佐野 僕の病気が発覚した2021年春は、ちょうど新型コロナの流行の真っ只中で、志村けんさんや岡江久美子さんが命を落とされていました。初期のウイルスは疾病を持った人間にとっては直接命に関わるものだったし、それに個人の闘病が同時進行で起きた。敗血症も患って、もう駄目だ、早く楽にしてくれと思ったこともあったから、よく戻ってきたなとは感じます。

本来だったら死ぬはずだった人間を、現代医学という錬金術のような魔法によって蘇生させてもらった。あの時のことを考えると今こうして元気で写真展をやっているのが信じられないくらいで。大病によって考え方が変わったわけではないけれど、自分が何が好きか、どうしたいかということには自覚的になったところはありますね。これまで自分が思っていたことが確信には変わったかもしれません。
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佐野史郎 LEON.JP
── 治療のあいだも、俯瞰的な目でご自身を見ていたと仰っていましたね。

佐野 病気の時に俯瞰的になったのは、どうやったら精神的にダメージを受けないかという自己防衛的な感じでした。ただ、鳥瞰の視点は持ちたいといつも思っています。世阿弥の言葉に「離見の見」というのがありますが、「離れたところから自分を見る」ことで己の状態を知り、次にどうすれば良いかを探ることができる。

優れた監督や演出家からは物事を正面から見るのではなく、背後から、あるいは全方向から見るという身体感覚を教わります。そういう幽体離脱のような感覚を手に入れられれば表現者としてはしめたものだけれど、それは本当に難しい作業で。時折、舞台の上などでその感覚を掴むと、観客の皆さんがとても集中しているのがわかります。

── 今、68歳です。今後の人生をどう生きたいというのはありますか。佐野さんにとっての幸せとはなんでしょう。

佐野 演技や音楽、写真など、これまでやってきたいろんなことが今、分け隔てずに連なっていると感じています。20代から同じような俳優生活を送っていらした先輩たちを見ると、70前後で亡くなる方が多くて。だから自分も、10年前くらいから何か病気をするのかなとうっすらと思っていたところもありました。60代はその不安を払拭するためにむしろ一番勉強しなきゃと思っていたし、仕事もがむしゃらにしてきました。でもそうやって働きすぎた結果なのか、体を壊してしまって。
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願望としては、やっぱりまだ生き延びたいですよね。あんなふうに生死をさまよったのに、90歳になってもまだ仕事をしているというのが一番面白いのかな、って。

病気が発覚する直前によく「楽しかった」と口にしていました。体はわかっていたんですね。事実、ここまで楽しい人生を送ってきました。それでも生きたい。どれだけ強欲なのよ、と言われても生命に対する執着からは逃れられない。「生きたい」と思えることがやはり一番の幸福なんじゃないかな。生きていることの幸せや力強さ、自分が今ここに存在しているという喜びを他者とわかちあえれば、それが幸福なのではないかな、と思います。
佐野史郎 LEON.JP

● 佐野史郎(さの・しろう)

1955年3月4日、島根県出身。74年、東京神田神保町の美學校にて中村宏より油彩画を学ぶ。75年、劇団シェイクスピア・シアターの旗揚げに参加。80年、唐十郎の劇団状況劇場に入団。退団後、86年に林海象監督「夢みるように眠りたい」の主演で映画デビュー。92年のTVドラマ「ずっとあなたが好きだった」で演じたマザコン男性の桂田冬彦は、社会現象になった。2006年、植田正治の写真を題材にしたショートフィルム「つゆのひとしずく」を監督。08年、東京と大阪のフジフイルムフォトサロンにて初の写真展「あなたがいるから、ぼくがいる」開催。映画「太陽」(05)、「Fukushima50」(20)などに出演。

佐野史郎 LEON.JP

佐野史郎写真展 瞬間と一日

会期/2023年10月14日(土) ~ 2024年1月14日(日)
会場/彫刻の森美術館 丸太広場キトキ
開館時間/9:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日/なし(年中無休)
HP/佐野史郎写真展 瞬間と一日

トークショー
日時/2023年10月14日(土)13:30~14:30
場所/彫刻の森美術館 丸太広場キトキ
対談/立川直樹

2024年彫刻の森美術館カレンダー
2023年10月12日(木)発売予定 価格1540円(税込)
サイズ 壁掛けカレンダー(使用サイズ縦30cm×横30cm)
彫刻の森美術館ショップ、一部書店、amazon等で販売予定

※掲載商品はすべて税込み価格です

■ お問い合わせ

トヨダトレーディングプレスルーム 03-5350-5567

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