90年代から今まで二人が滑り続けるワケ
そして長年、編集者としてあらゆるファッション媒体に関わり、現在もアウトドアに特化したバイリンガル雑誌「OUTSTANDING(アウトスタンディング)」を手がけるデッツ松田氏。
同郷であり旧知の友人であるお二人は、90年代始めから欠かさずにスノボをし続ける、いわば生粋の“フリーク”として知られています。
昨今は、グランピングやアウトドア人気も影響してか、大人がスノボやスキーを改めて始めるケースも増えているといいます。とはいえ、かつての若かりし頃とは、今は環境もギアも大きく変化しました。
それゆえ、これから大人がスノボや雪山を愉しむには、どんな準備や心構えが必要なのか? その前に、そもそもお二人は、なぜスノボをやり続けるのか?
そんな素朴な疑問を投げかけつつ、“大人のスノボのススメ”をあらゆる視点から語っていただきました。
藤原ヒロシ(以下HF)「おそらく’93年頃だと思います。やり始めてすぐに『ROADKILL(ロードキル)』という(スノーボードの)ビデオが発売されたりして、世の中がブームになっていきましたね。それから数年してストーミー(エクストリームスポーツに特化した専門店)が渋谷に大きな店舗を出したのを憶えています」
デッツ松田(以下Detz)「僕が始めたのは、その1~2年ぐらい後だと思います。もちろん最初は、ゲレンデを普通に滑ることから始めて、どんどん深みにハマっていったという感じです」
HF「多分、僕もデッツもみんながやめていくなか、最後まで居残った二人だと思うんですけど(笑)。まだ、スノボが滑走禁止のところが多かった時代から、一度もやめずにずっと滑り続けていますから」
Detz「始めて2~3年経った頃に、だんだんつまらなくなってきたタイミングで、今でいうバックカントリーに出会ったのも大きかったかもしれません」
日本は世界有数のバックカントリー天国
HF「自分たちが始めた当時は、バックカントリーという言葉すら知らなかったけど、今は楽しめるところは増えていると思います」
Detz「海外よりも、むしろ日本は雪質がすごくいいと言われていますから、バックカントリーにも向いてますよ。特にニセコは、世界でもベスト3に入る雪質のレベルだし」
Detz「自分は北海道派かな。やっぱり雪質が最高だから好きですね」
── バックカントリーと聞くと、ハードで特別な根回しや準備が必要な気がするのですが、そんなことはないのでしょうか?
HF「ロビー活動は必要ないです(笑)。もちろん現地の人だったり、それぞれのプロフェッショナルというか、ガイドのような人たちがちゃんといるところのほうがいいですけどね。全然知らないところに急に行って滑るよりは、知り合いがいるほうが安心ではあります」
HF「いわゆるラグジュアリーリゾートだよね」
HF「そう。バックカントリーを滑りに行くことは、激しいスポーツをやりに行くというより、むしろラグジュアリーなことだと思います。そんなにガツガツとパークみたいに滑るわけじゃないし、僕もデッツも1日1本とか、そういう感じです。わりとのんびりと滑るイメージですよ」
Detz 「そういう意味では、バックカントリーは大人向けだと思います」
雪山では上下関係がなくなる感覚がある
HF「基本的な装備があれば、まったく問題ないです(笑)。ただ、バックカントリーは、ソーシャルな場でもあるので、コミュニケーションがちゃんと取れる人のほうが楽しめると思います。知らない人に会うことも多いし」
Detz「最初パウダーの深いところを滑る技術は必要だから、そこはハードルになるのかな、とは思いますけどね。でもガイドがいるところだったら助けてくれるから、ある程度滑れる人だったら、ガイドツアーから始めれば問題ないと思いますよ」
HF「僕がよく言うことですけど、雪山に入ると、自然に上下関係がなくなる感じがあるんですね。例えば会社員だったら、普段は上司に気を使うところがあるかもしれないけど、雪山でなら打ち解けて話ができる。おじいちゃんがいたらおじいちゃんと話をするし、高校生がいたら高校生とも話をする。そいうところが雪山の醍醐味なんですよ」
── なるほど。先ほどラグジュアリーというワードが出ましたが、昨今はラグジュアリーブランドの多くが、アウトドアの要素やストリートのエッセンスをデザインに取り入れています。そのあたりに関しては、お二人はどう感じていますか?
Detz「ザ・ノース・フェイスとか、街着とアウトドアの垣根のないものを出すブランドも増えていますよね。そういうものをいろんなシーンで着ることが当たり前になった気はします」
LVもモンクレールも自然に生まれたプロジェクト
Detz「グッチやいくつかのブランドが、ヒップホップ的な要素を取り入れたりしているけど、若かりし頃にヒップホップを聴いていた人たちも、今はいい歳なっているから、ラグジュアリーを着ることは全然おかしなことではないですよね。作る側(ラグジュアリー)もそういう層とコミットしている部分はあるとは思います」
HF 「そういう時代だしね。自分が(ルイ・ヴィトン時代の)キム・ジョーンズと(プロジェクトを)やったのは、単に昔から知り合いだったから。僕をストリートの人だと思っている人も多いかもしれないけど、若い頃から割とモードなものも好きだったし、自分自身は何も変わっていません」
── 自然な流れでラグジュアリーと結びついたということですね。
HF「そうですね。ストリートブランドがセルアウトしてダメになったとか言う人もいますけど、今どきセルアウトって言葉すらもう必要ないんじゃないかと思うんですよ。すごいコアだったものが、急にその精神を捨てて、金儲けのために何かをやるというのが、セルアウトのイメージかもしれませんが、もはや、それをどうこういう時代じゃない。どこがどこと結びついて大きくなろうと、コアな部分がなくなるわけじゃないから。メディアが勝手に言ってるだけな感じがします」
── モンクレールに関しては、いかがですか? やはり自然な流れで進んだプロジェクトなのでしょうか?
HF「クリエーションは、雪山とはまた別個のものなんですけど、マインドはそんなに(雪山と)遠いものではないです。モンクレールの社長も山が好きなので、互いによく話はしますよ。モンクレールは、スキーヤーやアルピニストから愛されているブランドですし、スタッフもスキーやスノボ、雪山が好きな人が多いですね。ただ、僕が作ったものを着てバックカントリーを滑るのは、ちょっと難しいけど(笑)」
Detz「都市部から雪山にアクセスするときに着るには、まさにぴったりな服だよね」
HF「確かに滑れるところはいっぱいありますが、日本に帰ってきて、デッツや友達とみんなで行くほうが断然楽しいですね(笑)」
Detz「多い時は20人ぐらいで行く時もあるしね(笑)」
HF「逆に一人で行く場合は、群馬ぐらいであれば、朝6時頃に家を出て、午前中だけ滑って帰れば15時には事務所に顔を出せる。ストレスもないし、ストイックでもないですよ」
── バックカントリーってそんなにライトに楽しめるものなんですね。
Detz「ストイックに考える必要は全然ないですね。みんな勘違いしてる人が多い。あと、今はギアも本当によくなってるからラクですよ」
HF「一番変わったのはブーツかもしれないですね。昔は滑り終わったら早く脱ぎたかったけど、いまはずっと履いていてもストレスがないよね」
Detz「バインダーも進化して簡単に履けるし、パウダー用の板だって充実してる」
HF「ここ20年で、そのへんも大きく変わっているから、大人が快適にバックカントリーを愉しむのは、そんなに大変なことじゃない。なんならキメキメの格好で行って、気分が乗らなかったら滑らないでお茶しててもいいわけだから(笑)」
● 藤原ヒロシ(ふじわら・ひろし)
1964年、三重県生まれ。音楽プロデューサー、DJ、作曲家、ファッションデザイナー、フラグメントデザイン主宰ほか、特定の肩書きを持たないクリエイター。音楽活動だけでなく、2018年は、タグホイヤーとのコラボモデル「「タグ・ホイヤー カレラ キャリバー ホイヤー 02 by Fragment Hiroshi Fujiwara」の発売や、ポケモンとの合同プロジェクト「THUNDERBOLT PROJECT(サンダーボルトプロジェクト)でも世界から大きな注目を集めた。
● デッツ松田(でっつ・まつだ)
1961年、三重県生まれ。編集プロダクションdoubteverything代表、ファッション誌OUTSTANDING編集長。『Hot Dog Press』、『ASAYAN』、『POPEYE』、『HUgE』ほか、80年代より多くの雑誌の編集に携わる。90年代にフジテレビ系列局で放送されていた伝説のクイズ番組『カルトQ』の放送作家としても活躍。藤原ヒロシ氏とは、生まれ育った実家が近所という間柄。