2025.12.12
【第36回】
日本人が気づかない日本の「鍋料理」の世界に誇れる凄さとは?
イタリア生まれのフード&ライフスタイルライター、マッシさん。世界が急速に繋がって、広い視野が求められるこの時代に、日本人とはちょっと違う視点で日本と世界の食に関する文化や習慣、メニューなどについて考える連載です。
- CREDIT :
写真/スガイ マッシミリアーノ 編集/森本 泉(Web LEON)
イタリアでは調理は厨房で完結する。テーブルで完成する「鍋料理」は特別!

街を歩けば、冷たい風に背を丸めた人々が、赤提灯や暖簾の奥へと吸い込まれていく。僕もその一人だ。席に着いてメニューを開く。目の前に運ばれてくるのは完成された料理ではない。生の食材が山のように積まれた、冷たい鉄鍋だ。そして、テーブルの上には小さなガスコンロ。ここからが、僕にとっての「カルチャーショック」であり、至福の時間の始まりなんだ。
今回は、イタリア人の目線から見たこの不思議で愛すべき「鍋料理」について語ろうと思う。

鍋にはひとつのプロジェクトをチームで成功させるような一体感がある
イタリア人は食事中、とにかく喋る。食べることも好きだけど、喋ることはもっと好きだ。でも、日本の鍋の前では、少し様子が違う。「もう煮えたかな?」「この肉はまだ早い」「豆腐が熱そうだ」会話のすべてが、目の前の鍋を中心に回る。鍋奉行と呼ばれる仕切り役が現れて、場の空気をコントロールする。鍋とはただの食事ではない。ひとつのプロジェクトをチームで成功させるような一体感があるといつも感じてしまうよ。
そしてひと口目。ハフハフと白い息を吐きながら頬張る。熱い! でも旨い! イタリア料理の煮込みは、食材がクタクタになるまで煮込むことが多い。野菜の食感がなくなるほど煮込むのが「マンマの味」だ。でも、日本の鍋の野菜は、シャキシャキとした食感を残して食べる。素材の輪郭がはっきりしているのだ。この「鮮度」と「加熱」の絶妙なグラデーションを自分でコントロールできる点も、食通を唸らせるポイントだ。

日本の鍋料理には、囲炉裏文化のDNAが色濃く残っている
つまり、日本の鍋料理には、囲炉裏文化のDNAが色濃く残っているんだ。「同じ釜の飯を食う」という言葉もあるとおり、みんなで火を囲んで鍋を食べる行為は精神的なつながりも感じられる。これこそが、鍋料理がもたらす最大の効能だと感じる。
イタリアにも「スカルペッタ(Scarpetta)」という文化がある。皿に残ったソースをパンで拭って食べる行為だ(行儀が悪いとされることもあるが、家ではみんなやる)。スカルペッタは「ソースを一滴も無駄にしたくない」という食への愛だ。日本の「シメ」も精神は同じ。でも、パンで拭うのではなく、炭水化物を投入して「新しい料理」として再生させる。このリサイクル精神と、最後の一滴まで味わい尽くす貪欲さ。日本人の食に対する、もちろん良い意味の執着心には、イタリア人の僕も共感が止まらない。

さあ、今日も鍋にしよう! 具材は何にする? ワインにするか、日本酒にするか。そんなことを相談しながら冬の夜が更けていく。これ以上の幸せが、ほかにあるだろうか。

● マッシ
本名はスガイ マッシミリアーノ。1983年、イタリア・ピエモンテ州生まれ。トリノ大学院文学部日本語学科を卒業し2007年から日本在住。日伊通訳者の経験を経てからフードとライフスタイルライターとして活動。書籍『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(KADOKAWA)の他 、ヤマザキマリ著『貧乏ピッツァ』の書評など、雑誌の執筆・連載も多数。 日伊文化の違いの面白さ、日本食の魅力、食の美味しいアレンジなどをイタリア人の目線で執筆中。ロングセラー「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)は145万PV達成。
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