2025.03.29
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第9話 その3】
その仕事の依頼者は
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第9話 その3】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
時の首相暗殺を請け負った四人の殺し屋を始末するため政府に雇われた刺客"最後の伝説"イタミがついに現れた。ヒロシは凌辱の限りを尽くして甚振(いたぶ)られ、こっさんは家族と住む京都の自宅を放火により失った。(これまでのストーリーはこちらから)

【12】 北村みゆき
ヒロシはとうとう男に手を出したようだ
部屋に戻ると、扉の前に黒スーツの男がふたり立っていた。私は見なかったふりをして背中を向けた。私の名を呼ぶ声がする。通路の先にも男たちが待ち伏せしていた。
私は襲いかかる男たちを合気で投げ飛ばした。五人中四人まで頭から叩き落とした後、残った男が少し離れた場所から左手で私を制しながら、ゆっくりと右手でスーツの内ポケットからSPの身分証明書を差し出した。SPは乾いた声で告げた。
「躅子様が、あなたをお待ちです」
「みゆき」
ほらね、やっぱり無事だった。私を気安く呼ぶのは世界にこの男だけ。
「ヒロシさん、知ってる女?」
彼の後ろに若くて華奢な男が付いていた。ひと目でぴんと来た。なんだ元夫、いつのまに「クラス替え」したのか。
ヒロシが腰を下ろすとき、甲斐甲斐しく椅子を引いた男の名はShun。いまどき男に尽くすような古い女が見つからず、とうとう男に手を出したようだ。
「あんたのことだから、くたばるわけないと思ってた」
皮肉交じりに言ってやった。ヒロシは、まあなと答えた。よく見ると頬が痩けている。
「会ったぜ、“最後の伝説”に」
ヒロシは信じがたいことを口走った。この世界に身を置いて、知らない者はいない。“最後の伝説”と会った人間は初めてだった。ヒロシは足を引き摺るなど、満身創痍の態に見えるが、とりあえずは五体満足に見えた。
「どんな人だった?」
私はとりいそぎ訊ねた。ヒロシはもったいぶるようにひと呼吸置くと、森の茂みの向こうを見つめながら、こう呟いた。
「地獄だ。人間というより、地獄そのものだった」

【13】 Matsuoka Shun
「ふ~ん、イタミにそんな過去がね。私、彼女のこと嫌いじゃないな。“女殺しの依頼は受けない”ってところもいい。男に虐げられてきた同胞って感じ。“イタミパイセン”って呼びたいな」
あきれた。感心するのは自由だが、奇跡的に生き延びた元夫に言う言葉かね。短い期間とはいえ、こんな女とヒロシはよく結婚していたな。
「だいたい男って威張りすぎなんだよ」
「おまえも負けてないぞ」
ヒロシのツッコミも、みゆきには馬耳東風だった。
いいかげんにしろ。ヒロシはこの女の暴言に慣れっこのようだ。
みゆきはいかに男が女より劣った生き物か、熱弁をふるった。彼女の独擅場だった。
「だいたいね、私に言わせりゃ、ヤッた女の数を競ったって、女から何も学ばなかったら童貞と同じなんだよ。ゴミ、チンカス。そもそもさ、男は独身でも妻帯者でもミスターなのに、女は独身だとミス。結婚したらミセスっておかしくない? 男が不倫したら“女性問題”。何だよそれ。問題を起こしたのは女性じゃない。おまえら節操がない男根だ。ねえ、黙ってないで何か言いなよ」
「耳が痛いね」
僕はヒロシが可哀想になってきた。この女は男をダメにするタイプだ。ヒロシと合うわけがない。

清楚と理知と気品と美が調和していた
みゆきは離れて待機していた侍従に命令した。侍従は露骨に困った顔をしていた。こんなタイプの人間がここに足を踏み入れたことはないだろう。イヤホンで連絡を取る。
「お待たせしました。いらっしゃいます」
邸宅から女性が現れた。思わず息をのんだ。
── 徳川財閥十三代の三女、躅子(ふみこ)様。
清楚と理知と気品と美が調和していた。テレビのニュースでお見かけしたことはあったが、ここまで一般人と違うオーラを感じたことはない。高貴の血を引いている御方は違うなと思った。
「初めまして。躅子と申します。本日は朝見の儀があったため、皆様を御呼び立てしておきながら、御待たせしたことを御詫び致します」
躅子様は優雅に一礼した。ぞくぞくと感動してしまうほどだった。
躅子様は僕たちを見回すと、おやっといった表情で、侍従のほうを振り返った。ふたりは小声で話し合う。
「まだ御ひと方、いらしておりませんね」
僕、ヒロシ、みゆき。本当ならもうひとりいるらしい。
「先にお伝えしておきます。先日、皆様に源氏首相暗殺の依頼があったかと思います」
躅子様の表情は変わらなかったが、声には強い意志が感じられた。そしてこう仰った。
「その仕事の依頼者は、私、躅子でございます」
気のせいでなければ風がひとすじ吹いた。僕とヒロシとみゆきの間をついと通り抜けていった。

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新刊『無法の世界』(KADOKAWA)が好評発売中。カバーイラストは江口寿史さん。
SNS/公式X