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2019.04.09

1999年の“予言”が20年後に的中!? 大橋巨泉の「幸福論」【vol.22】

人生をいかに豊かに過ごすか? そう問われても目の前の仕事や生活に追われて、じっくり考える余裕のない方も多いのではないでしょうか。そんな答えのひとつを20年ほど前に、大橋巨泉というテレビ界の巨星が見据え、実践していました。

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撮影・静物/蜂谷哲実(hachiya studio) 文/加藤順彦

人生を変えるほどのインパクトのある雑誌との出会い

©小学館
自営していた広告会社「日広」に、1994~95年頃は毎月300種類もの雑誌が見本誌・広告主の広告掲載誌として届いていました。物心ついた頃から雑誌っ子だった僕は届いた見本誌や創刊誌を、会社や書店で片っ端から斜め読みすることが好きで、暇さえあればペラペラと読みながら、見込み顧客や話題ネタも探していたものです。

ネットバブル華やかりし1999年の春、『MENZ V.O.X』(小学館)の創刊号は、行きつけの青山ブックセンターで手に取ったものでした。目に入ったとたん直ぐさま購入。その表紙には大橋巨泉氏の笑顔。特集『セミリタイアというフィロソフィー オレ主義 ハワイ島で暮らす!ハワイ島に家を買う!』というコピーに衝撃を受けたのです。

“テレビ界の巨人”が絶頂期に、突然テレビを離れたワケ

大橋巨泉さんは、四半世紀超の長きにわたって圧倒的な存在感でテレビ界に君臨したひとです。『世界まるごとHOWマッチ』、『クイズダービー』などの数々の看板番組を抱えながらも、90年1月、56歳という脂の乗り切った時期に突如セミリタイアしたのです。

65歳になっていた氏はオーストラリア東岸、サンクチュアリ・コーヴの自宅で巻頭インタビューに答えていました。唐突に見えた最前線からの離脱も周到に準備されたものであること。以降は『快適な太陽を求めて移動する”ひまわり生活”』=日本が寒いときはオーストラリア/ニュージーランドに行き、日本が蒸し暑くなるとカナダに発つ、という悠々自適のライフスタイルであること。氏のハワイやゴールドコースト、バンクーバーでの知名度を活かしたギフトショップ経営や年1か月のハワイ生活も、ライフデザインの一環であること……などの近況を誌面を通じて知ったのです。
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テレビでは窺い知れない、大橋巨泉のデュアルライフ

もとより巨泉さんは毎日のようにテレビに出るようになったスターダム駆け上がり期の70~80年代の頃から、好きなゴルフを思う存分楽しむために、金土日月だけ東京で仕事に集中。火水木は静岡県の伊東でのんびり暮らし、東京には出ない、仕事関係の人とは会わない、という超メリハリ生活だったと、その記事に書いてあるのです。ええぇ知らなかった。ほんとにそんなことできるのかいな。

一方の僕はといえば、1995年頃からは時代の導きで邂逅したイノベーションそのもの=インターネット広告に夢中になり、ほとんど休みをとらない日々を過ごしていました。そう1999年=32歳の僕は一日18時間仕事していても大丈夫でしたし、イケイケドンドンは望むところでした。実際にネットバブルが崩壊した翌2000年に、外から取締役を3名迎え、社員数も倍増(10→22人)しています。そんな往時の僕だったので、巨泉氏のインタビューには全くリアリティを感じないものの、その堂々たるライフスタイルがひどく印象的で、結局その雑誌を後生大事にしたわけです。

最後の人生をどこで過ごすか? そう思った時にあの記事を思い出す

巨泉さんの”ひまわり生活”のことを思い出したのはシンガポールに移って4年経った2011年のことでした。ふと「俺いつまで此処に居るんだろうな」と。前年42歳で永住権を取得した僕でしたが、暮らすほどに知るほどにシンガポールという国はあくまで現役世代のための仕事の最適地だ、という思いはますます強くなっていました。じゃ、例えば巨泉さんのようにセミリタイアをしたら、どう暮らすんだ、とまじめに考えたのです。

そもそも僕がエンジェル投資を自分よりも6つ以上若い人を対象にしてきたのは、自分が年を食ってからも若い人にかまってほしいから。だったら自分が暮らしたいところで、事業をしてないと当事者意識が湧きづらくてつまらなくなるかもしれないぞ、なんて。で、それまでは日本人の起こすシンガポールのスタートアップばかりだったのに、それからは投資先を検討するにあたって立地も軸に加えるようになりました。

「ビットバンク」(東京)も、MM2H(マレーシア長期滞在ビザ)を取得した後に参画した「IKI LINKS」(ジョホールバル)も、「LENSMODE」の北米市場攻略のため子会社をバンクーバーに構えたのも、同社をしてオーストラリアとニュージーランドへの越境ECに注力しているのも、「YUYU Beauty」(ヤンゴン)に参画したのも、次の思いとしてオランダでのスタートアップ参画を目論んでいるのも。この先の人生をどこでどのように過ごしたいか、を考えることと繋がっています。
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人生を豊かに過ごす新たな新境地は……ハワイ・オアフでした

2006年、今も昔も“世界一尊敬される広告会社”と称賛される「Ogilvy」と「日広」の合弁会社を日本に設立したのですが、同社(「Neo@Ogilvy Japan」)に片道切符で転籍してくれた社員の奥様が運営しているサイトの今後の経営について、2018年の春に相談されました。その余伍浩子さんが牽引するサイトがこちらの「レインボースマイル」。おお……ひと目見て、これはハワイと関われる好機では!とピンと来たわけです。

同サイトは2013年のローンチ以来、“ハワイでのサプライズ演出”に特化し、累計400組以上の皆さまに喜んで頂いてきたのですが、はじめて法人化を果たすタイミングで合流することにしました。はい、この会社はメンバーにとってもそして僕にとっても、人生をいかに豊かに過ごすか、という意味での新境地なんです。ていうかLEONのイケてる読者の皆様だったら、ハワイでサプライズを仕掛けますよねぇ。昨年末、10年以上ぶりにオアフ島に行ったんですけど、ほんと良かった。今年も訪れるのが楽しみなのです。

● 加藤順彦ポール(事業家・LENSMODE PTE LTD)

ASEANで日本人の起業する事業に資本と経営の両面から参画するハンズオン型エンジェルを得意とする事業家。1967年生まれ。大阪府豊中市出身。関西学院大学在学中に株式会社リョーマの設立に参画。1992年、有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)を創業。2008年、NIKKOのGMOグループ傘下入りに伴い退任しシンガポールへ移住。2010年、シンガポール永住権取得。主な参画先にKAMARQ、AGRIBUDDY、ビットバンク、VoiStock等。近著『若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録』(ゴマブックス)。

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