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2018.11.09

GT-R、アウトバーンで300キロに挑戦!

筆者が開発アドバイザーとして関わった自動車の中で、特に思い入れの強いモデルが日産のGT-R35型。同モデルで筆者は、別次元の速さ・300km/hに挑戦することとなった。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

日産R35型GT-Rは世界に名を知られるスーパーカーだが、このクルマには個人的にも大切な思い出がいっぱいある。

R32型、33型、34型の開発にも関わったが、35型への関わりはより深いものだった。
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回り道になるが、R35に関わる以前の、日産との関わりにも簡単に触れておきたい。

日産がルノーと資本提携、カルロス・ゴーン体制になったのは1999年3月。新体制に移行した直後、ルノーから送り込まれたナンバー2の副社長から連絡がきた。それは「今の日産に対して思うことをすべて率直に話してほしい」とのことだった。

お会いした時も、開口一番、「遠慮は一切いりません。感じているまま、考えているままを話していただきたい」と言われた。

ミーティングは2度。ともに長時間にわたるものだった。通訳だけを介した、文字通り1対1の真剣な対話だった。
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そんな中で当然、車種の整理/再編の話も出た。僕は日産ブランドのコアとして「GT-RとフェアレディZは絶対に大切にすべき。他のモデルはすべてゼロスタートでもいいから」と答えた。

この僕の言葉が直接のきっかけになったのかどうかはわからないが、止まっていたフェアレディZの開発は2000年に再開され、同じ2000年にGT-Rの先行開発もスタートした。その後紆余曲折はあったものの、2004年にR35型GT-Rの開発に正式なゴーサインが出た。

そして、僕には「開発全般のアドバイザーになっていただきたい」旨の依頼が届いた。

R35型は、開発責任者の水野和敏主管がカルロス・ゴーンから全権を委任された特別なプロジェクトだった。ゆえに、周囲を隔離したような状態で開発は進められた。

水野主管とは多くを話し、多くを議論した。情熱的な方で我も強いが、僕も踏ん張って強い言葉を返した。いつも熱い議論になった。

デザイン室、テストコース、仙台ハイランド、ニュルブルクリンク、カリフォルニア……多くの場所で開発チームと行動を共にした。

そしてR35型は2007年秋、ついに発売となる。日本自動車史上、最強のクルマが世に送り出された。
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エンジン出力「500ps超え」を僕は強く主張した。水野主管も同じだったが、結局、480psが当時としては限界だった。残念だった。

発売後、ドイツで試乗会が開かれた。アウトバーン主体のコース設定で、しかも、思い切り踏みやすい、空いた区間が選ばれた。

今のアウトバーンは速度制限区間が多く、昔のような「自由な道路」ではなくなっている。当時は、例えばフランクフルトからミュンヘンへの移動(400kmくらい)は、飛行機よりクルマの方が楽で速いとされていた。

ビジネスマンらしき人物がステアリングを握る、メルセデス、BMW、アウディといったクルマが、200km/h辺りで追い越し車線を走る姿が頻繁に見られた。中でも飛ばしっぷりが目立ったのはアウディ。もちろん、ポルシェを除いての話だが……。

かくしてGT-Rの凄まじい速さと、鬼のようなスタビリティはアウトバーンでいかんなく発揮された。試乗会参加者の多くが、アウトバーンでGT-Rの力を思い切り解き放った時の、異次元の速さに、凄みに、改めて興奮し、驚いていた。

この時のGT-Rの0〜100km/hは3.5秒。この加速だけで怖じ気づいてしまう人もいた。

上にも少し触れたが、アウトバーンの追い越し車線では180〜200km/h辺りで走る人は珍しくない。が、その一方で200km/hオーバーで走る車両となると多くはない。超えてもだいたい220km/h辺りまで。常識や理性の壁があるのも間違いないが、訓練されていない人間の感覚が許容する速度の壁はその辺りなのかなとは思っている。

その次に待ち構える壁は250km/hだが、アクティブなドライバーなら、たぶん、1度は超えてみたいと思っているに違いない。少し訓練を受けている人なら、この壁も超えられるだろうが、次の壁、300km/hは別次元であり、特別なクルマと特別な人のコンビネーションでしか踏み込めない。それが一般路上となればなおさらだ。
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ところが2007年、僕はまったく予期せず、GT-Rでアウトバーンを舞台に別次元の300km/hにトライすることになった。

水野主管には「アウトバーンで300km/h、やってみたいよねー!」とさりげなく囁かれていたのだが、僕は単なる軽口と思い「そうですよねー」みたいな返事をしていたのだ。

僕の乗るGT-Rには実験部員が同乗、正確に速度を測る機器が積まれていた。

やるしかない。まずは、指定コースを注意深く走り、最高速にチャレンジする場所を決め、頭の中にイメージを描いた。

交通量の少ない2車線区間だったが、少し下り勾配の緩いカーブで270〜280km/hまで出し、その先の長い直線で300km/hを超える、頭の中にそんな絵を思い描いた。

本番は順調に進んだ。250には難なく達し、そこでの加速にはまだ凄みがあった。予定通り、イメージ通り、下りの緩い左カーブで280を超えて直線に入った。

300km/h超えは確実と思った時、前方にトラックと小型乗用車が見えた。その2車の距離が微妙で、小型乗用車が追い越し車線に出てくるかもしれない、と予感させた。

アウトバーンでも300km/hは尋常ではない。小型乗用車が僕の駆るGT-Rが近づいてくる速度の判断を誤って、追い越し車線に出てくるかもしれない。僕は慎重だった。

中止を決断したとき、チラッと速度計に目をやった。305km/h辺りを指していた。

計器による実測値は288km/hだった。加速はまだ十分体感できる状態だったので、そのまま踏めば300km/hは確実に達成できたはずだ。

悔しさはあったが、GT-Rが「300km/h超え」の実力を持っていることを、身を以て確信できた。加えて、300km/hゾーンでの強固なスタビリティを確認できたのも成果だった。

現在のNISMO 600psモデルなら、300km/hは楽勝だろう。ちなみに、公式な最高速度は315km/hとのことだ。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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