2018.06.29

サンク バカラへの愛憎 

ルノー初のFFハッチバック「サンク」。周囲の反対に遭いつつも、そのお洒落でモダンなデザインに筆者は陥落・即購入! 果たしてその結末とは。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

ルノー初のFFハッチバック、サンクは、小さく、愛らしく、楽しいクルマだった。

誕生は1972年だが、それはあっという間に、パリの、フランスの主役になった。いや、人気の輪は池に投げた小石の波紋のように、欧州各地に拡がっていった。

次いで1985年には初代の愛らしさにモダンさと洗練を加えた2代目サンク(シュペール・サンクと呼ばれる)が誕生した。「すごくお洒落!」だった。

初代サンクはほしいとまでは思わなかったが、2代目サンクはすぐほしくなった。試乗の機会も何度かあったがすべて好印象だった。
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でも、思いとどまったというか、決断できなかったのは、「よく壊れる」「アフターサービスが最悪」という世間の悪評だった。

僕はアバウトな性格だし、その辺りにわりに無頓着というか、若い頃からけっこう修羅場を経験してきているので、壊れてもなんとかなるでしょ、といった思いはあった。

そもそも、パリで、フランスで、ヨーロッパで、あれだけ多くの人たちが使っているんだから大丈夫なんじゃないか、とも思っていた。

そんな僕を周りは「甘い!」と糾弾した。そんなことから、結局シュペール・サンクはほしいと思いつつも、なんとなく手を出しそびれていたのだった。

でも“その瞬間”は意外な時にやってきた。
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ほしいと思っていたデイムラー・ダブルシックスを見に、世田谷にあるジャガーのショールームへ向かう途中だった。

ジャガー・ショールームと同じ道路沿いにルノーのショールームもあった。その店長とは知り合いだったので、ちょっと挨拶を、くらいの気持ちで立ち寄った。

そこには、ピカピカに磨き上げられた黒い「サンク・バカラ」(シュペール・サンクの最終型)が。

日本初上陸の中の1台といわれたが、美しく、小粋に、贅沢に装ったその姿はドキッとするほど素敵だった。

写真で見て「いいな!」とは思っていたが、実物ははるかにエレガントだった。とくに内装のお洒落度に僕は無条件降伏だった。

一緒だった家内も同じ、いや、僕以上に強く惹かれていた。で、外観を見て、運転席に座り、降りてくるやいなや「これ、ほしい! 買おうよ ! ねっ!」となった。

「今日はデイムラーを見に行くんだから、急がなくてもいいよ」などと、僕は一応大人の対応?をしてはみたものの、心が揺れているのは見透かされていた。

「じゃあ、あなたはデイムラー、わたしはバカラ、それでいいでしょ!」とキッパリ言われて交渉は終わり。ショールームに入って数分後には「これください」になってしまったのだ。

サンク・バカラの満足度は高かった。ほとんどすべてが気に入った。

でも、幸せは長くは続かなかった。
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数ヶ月後には、悪評が現実であると気づくことになる。

点火系統と冷却系統のトラブルがほとんどだったと記憶している。つまり、エンジンやトランスミッション、サスペンション等が壊れるといった大事ではない。

なので、デーラーの対応さえよければ負担はそう大きくない。ところが「よく壊れる」に加えて、「アフターサービスが最悪」もまた評判通りだったのだ。これには参った。

アフターサービスは入口から出口までまったくダメ。トラブル対応、修理の待ち時間、部品在庫、修理内容などなど、すべてがダメだった。

手放す決心をしたきっかけもトラブル対応にあった。ある日、強いガソリン臭がキャビンに入ってきたので、ボンネットを開けると、燃料系からガソリンが漏れていた。

すぐ、デーラーに電話してレッカーを頼んだのだが、「いや、大丈夫です。燃えませんよ。自走で来て下さい」との対応。これでキレた。

店長にも電話したが、「申し訳ない。私も雇われ店長なんで、どうにもできないんです」との返答。ちなみに、その店長はほどなく辞めてしまった。

周りが止めるのを聞かず、世間の悪評を軽く受け流してしまった自分の甘さが招いた結果、と受け止めるしかなかった。

サンク・バカラとの付き合いは短かった。でも、サンク・バカラを持ったことがあるという事実は、いい想い出、自慢の想い出だ。

「サンク・バカラを持っていた」と言うと、たいていのクルマ好きは、そうとうポジティブな反応を示してくれる。
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その後にルノーを所有したのは2代目ルーテシア(クリオ)だが、これはよかった。

サンク・バカラの後遺症で、トラブルとアフターサービスは心配だったが、幸い杞憂に終わった。ルノーは大きく前進していた。

わが家に近いルノー・デーラーは、日産デーラーの一角に1台だけの展示スペースをもつ小さな店。セールスマンも一人だけだった。

でも、日産との同居が安心感をもたせてくれたし、日産の手を借りたメンテナンスも問題なかった。何より、ルーテシアは壊れなかった。

家内のクルマだったが、僕もよく乗った。シートは絶品のデキ。乗り心地はほんとうによかった。お洒落ながらほのぼのとしたルックスも◎。家族全員の人気者だった。

サンク・バカラとは1年に満たない短い付き合いだったがルーテシアとは7年を共にした。クルマを換えるスパンの短いわが家にしては異次元の長さ。この記録は永遠だろう。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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