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2021.03.07

レジェント・モータージャーナリスト、60年の軌跡

1964年からモータージャーナリストとして突っ走ってきた岡崎宏司氏。約60年の過去を振り返りつつも、今後に立てた計画とは?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第154回

モータージャーナリストとしての足跡 

僕がモータージャーナリストとしての一歩を踏み出したのは1964年。24才の時だ。以後、多くのメディアでお世話になってきたが、今回はその足跡を辿ることにしたい。

初めての原稿を書いたのは、自動車専門誌「ドライバー」。大学を卒業してすぐドライバー編集部に入り、まずは編集者として原稿を書き始めた。ドライバー編集部に入ったのは、特別な思い入れがあったとか、そういうことではない。

クルマの仕事、、、クルマに乗れて、レースが見にゆければどこでもよかったのだが、父親の知り合いの知り合いが、たまたまドライバー誌の編集長だったということ。要は「コネでドライバー編集部に入った」ということだが、結果は大正解。その編集長とはウマが合ったというか、信頼できたし、多くを教えていただいた。

今では考えられないようなハードワークを強いられたが、つらいと思ったことなど一度もなかった。活版中心の分厚い雑誌で、何十ページ分もの取材をし、写真を撮り、原稿を書き、割り付けまでする、、、そんなことを毎月、当たり前のようにこなしていた。

本誌に加えて、別冊の付録を一人で作ったこともある。しかし、ドライバーに在籍した3年半のハードワークは、後に僕の宝物になった。
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多くの仕事をすれば、多くの出会いがある。フリーランスになった時、すぐ、多くのメディア、多くの方々から声をかけていただけたのもそれゆえだったと思っている。

まずは「モーターファン」。自動車専門誌の老舗であり名門だが、ここから声をかけられたのは光栄なことだった。同時に、モーターファンの姉妹誌である「オートスポーツ」からもお誘いいただいた。

一般誌では創刊間もない「週刊プレイボーイ」が早かった。それも「クルマは毎週4ページ。企画も原稿も任せる」というとんでもない内容のオファーだった。ちなみに、同じ集英社刊の「月刊プレイボーイ」も、1975年の創刊から声がかかった。

新聞社系では毎日。「毎日グラフ」は、ドライバー誌在籍中から、ときどき署名原稿を書いていた。もちろん、許可を得て、、、。そして、フリーランスになると同時に、レギュラー執筆者になった。毎日は、モータージャーナリストとしての僕にもっとも大きな機会を与えてくれたメディアのひとつだ。

毎日グラフに始まり、週刊誌「サンデー毎日」、日刊紙「毎日新聞」に僕の連載ページを作ってくれた。それも長期に亘って。サンデー毎日は、活版1ページ、活版2ページ、グラビア1ページと掲載方法は変化。

途中で1年ほど休んだが、「岡崎宏司のくるま読破術」というタイトルでの連載は、延べ750回ほどにも及んだ。週刊誌だから、単純計算で年/50回としても、延べ15年間書いたことになる。

毎日新聞での週1回の連載は、「岡崎宏司の車会学」というタイトルのコラムから始まった。「全国紙でクルマ記事の連載をもつ」のは昔も今も難しい。それゆえ800字程度のコラムでも嬉しかったし、名誉なことだった。

それがほどなく「1ページ全部が僕の記事」に格上げされた。毎週金曜日の夕刊だったが、ほんとうに驚いたし、感謝した。

日本のメーカーもインポーターも、日本3大紙のひとつがクルマに正面から向き合ってくれることを、当然のことながら非常に喜んだ。毎日新聞の連載は10年ほど続いた。

新聞と言えば、スポーツ紙は「報知新聞」にお世話になった。僕の記事を担当してくれたクルマ好き旅好きの編集者とは、今も親交がある。
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自動車専門誌は、すでに触れたように「ドライバー」で始まり、「モーターファン」、「オートスポーツ」、「NAVI」と続いたが、「終の棲家」になったのは「カー&ドライバー」。同誌の創刊は1978年。創刊以来すでに43年経っているが、今に至るまでずっと書き続けている。

そもそも、創刊するに当たって、「岡崎さんと共にやってゆきたい。それが創刊の条件です」という強烈な誘われ方をした。「明るさ」「楽しさ」「カッコよさ」が軸、という編集方針もうなずけたし、「身を預ける決心」をするまで時間はかからなかった。そして、今に至る、、、ということだ。

ファッション系雑誌にも多く関わったが、主なところは「ESQIRE」、「MEN'S EX」、「LEON」の3誌。なかでも「LEON」との関係は楽しく、やりがいがあった。単にクルマを紹介する評価する、、、といったことではなく、クルマとファッション、あるいはライフスタイルとの関わりを追いかけるという視点が強く求められたからだ。

そんな要求に応えるため、僕が考えたのは「現地現物主義!?」。ミラノやパリといったファッションの最前線を訪ね、「最新の流行、あるいは流行の気配」を感じ取ること。それも、僕個人の感覚頼りという原始的な方法で、だ。

例えば、ミラノやパリの観測ポイントを決めて、その路上に数時間立つ。そして、目の前を行き交うクルマとボディカラー、乗っている人の装いや雰囲気をチェックする。すると、必ず「ある種の傾向」が浮かび上がってくる。それを僕なりの知識や経験、あるいはカンに照らし合わせ、「流行」というキーワードの基に分析する。

この記事は当たった。LEONの柱の一本になっただけでなく、僕自身にも多くをもたらしてくれた。
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僕は「一業一誌(紙)」という考え方。なので、特別な場合以外、競合紙誌への寄稿はしない。つまり、新聞にしても、自動車専門誌にしても、ファッション誌にしても、、、それぞれ1媒体に絞って仕事をしたということ。

それでも、関わった媒体は少なくない。すぐ思い出せるだけでも20媒体くらいはある。ちなみに、単行本では、新潮社、講談社、筑摩書房、光文社、グランプリ出版等々にお世話になった。

1964年からズーッと突っ走ってきたが、70歳を超えた頃、ひとつの計画を立てた。徐々に仕事を減らし、75歳辺りからはノンビリ、好きなことをして過ごそうと思ったのだ。数年かけて、無理なく、誰にも迷惑をかけずに仕事を減らしてゆく、、、そんな計画はうまく運んだ。現在の連載は2本だけだ。

1本は「終の棲家」であるカー&ドライバーのコラム。そしてもう1本が、LEON.JP「岡崎宏司のクルマ備忘録」、、、この原稿だ。

メーカーのコンサルタントというかアドバイザーというか、、、その類いの仕事は変わらず続けている。楽しいし、刺激になるし、勉強しなければならないし、、、が、その理由。

僕の仕事人生は、ラッキーだったし、ハッピーだった。そんな仕事人生を与えてくれ、支えてくれた方々には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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