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2020.11.22

年間100日以上を海外で過ごす“タフなオトコ”の緊急入院!

仕事柄一年のうち、三分の一は海外で過ごしてきたというモータージャーナリストの岡崎宏司さん。時には、パースからシドニーの距離、1万3000kmを6日間で走ることもあったそう。そんなタフなオトコが海外で起こした入院騒ぎとは?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第147回

家族3人1度ずつ、海外での急病!

つい数年前まで、仕事でもプライベートでも多くの旅をしてきた。旅が好きな僕にとっては、とてもハッピーな時を過ごしてきた。幸い身体も丈夫。加えて時差に強いこともあり、タイトなスケジュールも難なくこなせた。年に15~20回/100日以上を海外で過ごすことも多かったが、きついと感じたことはない。 

唯一の例外は「ロンドンーシドニー・3万キロ・ラリー」。

「ロンドンからシンガポール」セクションの1日平均走行距離は1200~1300kmだったかと思う、、、が、睡魔との戦いを除けば、それほどきついとは感じなかった。ところが、パースからシドニーをW字のように辿るオーストラリア・セクションは、6日間で1万3000kmを走る。1日平均で2200kmだ。これは、きついなんてものじゃなかった。

でも、耐えて耐えて、総合19位。プライベートとしては「かなり上々!」の結果だった。その間、体重は激減。やつれきった僕を羽田で迎えた家内は絶句していた。それでも、数日後には元気を取り戻し、仕事も含めて、日常の生活に戻った。

そんなタフな? 僕だが、1度だけ、海外で倒れ、緊急入院騒ぎを起こしたことがある。

元々気管支喘息の気はあり、それなりの治療も受けていた。でも、ひどい発作を起こしたことなどなかった。それが旅先で突然、未体験ゾーンの発作、、、身動きできないほどの発作に襲われた。

ミュンヘンに近い町を拠点に行われた、ポルシェ国際試乗会でのこと。試乗スケジュールがすべて終わった夜だったのがせめてもの救いだった。むろん、ポルシェがすべてを手配してくれたので、僕はすぐ救急車で近くの大学病院に運ばれた。
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経過は順調。4日で退院できたが、緊急入院した翌日のフライトで家内が飛んで来てくれたので、精神的にも楽だった。

ドイツの大学病院は、旅先で緊急入院した患者をも安心させてくれた。すべてが整然と行われ、不安を感じさせることなどなにひとつなかった。それは、「驚くべき」といってもいいレベルだった。旅先の緊急入院、ドイツ語はまったくダメで英語少々、、、不安の塊のような病人を、強い安心感で包んでくれた。

無事帰国して1カ月ほど経った頃、病院から請求書が届いた。A4の用紙3枚にビッシリ書き込まれていたが、その内容の詳細さと、請求額の安さに驚いた。例えば、回診ひとつとっても、教授は 1回4ユーロ、担当医は2ユーロ、看護師は1ユーロ(ハッキリ覚えていないが、こんな感じだったとか思う)と明細が記されていた。

二人部屋だったが広々していたし、リネン類も完璧に清潔。検査も多く行ったし、見回りも万全。なのに、救急車代も含めた請求額は数万円だったと記憶している。二ケタ台に乗っていなかったのはたしかだ。後で聞いたのだが、外国人旅行者もドイツ人と同じ対応なのだという。つまり、ドイツの人たちの納めた税金で、旅行者も守られているということになる。

ところで、わが家は3人家族。息子が大学を卒業するまでは、よく3人で海外を旅した。そんな中、家内も息子も、旅の途中で病院騒ぎを起こしたことが1度ずつある。そう、家族3人がそれぞれ1度ずつ、、、。わが家のバランスはバッチリだ。
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最初の病院騒ぎは1970年頃だったと思う。ヨーロッパ旅行の途中で、息子(4~5才)が突然高熱を出してダウンした。その旅は、アムステルダム、ジュネーブ、ローマ、ベニスを巡るスケジュールだったが、アムステルダムは順調に楽しんだ。

体調がおかしくなったのはアムステルダムからジュネーブへの移動中。飛行機の中だった。かなりの高熱のようで、顔は真っ赤。発疹も出ていてグッタリしていた。ジュネーブのホテルに着いてフロントで事情を話すと、すぐ病院を手配してくれた。むろんすぐ行ったが、医者も看護婦も基本フランス語で、英語は僕よりもカタコト・レベル。

病名もわからないまま、クスリだけもらってホテルに帰った。そして、日本のかかりつけ医に電話を入れ諸々を話すと、「はしか」だとわかった。伝染力のある感染症だ。困った。基本的には、飛行機に乗ることなど許されない。かといって、今のように簡単にフライトスケジュールの変更もできない。それを言うと、我がかかりつけ医は、いとも簡単な解決法を伝授してくれた。

「空港と機内では、呼吸ができるようにだけ気をつけて、ストールで顔を覆えばいい」と。当時の検問検疫はあってないようなもの。なので、そんな小技でも難なく通用し、次の目的地ローマに移動できた。息子も幼いながら、泣きも騒ぎもせず大役を果たしてくれた。

ローマでは、同時期にヨーロッパ旅行をしていた家内の両親と落ち合う約束(同じホテルに宿泊)だったが、それも果たせた。ローマで父がホテルに医者を呼んでくれ、治療を受けた。息子は順調に回復。次の目的地ベニスでは、完全に元気を取り戻した。
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2度目の病院騒ぎは1970年代の終わり頃。わが家3人と友人ご夫妻2人、、、フォード・エコノライン・ベッド付モデルで、LAを起点にアメリカ中西部を旅したときのこと。メキシコ国境に近いテキサス州のデザートエリアを走っていた時、突然、家内が歯の痛みを訴えた。我慢できない痛みだったようだ。

砂漠のど真ん中で夜、、モーテルを見つけたら泊まろうと思っていた矢先のこと。近くによそ者の緊急患者を診てくれる救急病院などありそうもない。そこで、いちばん近い大都市、フェニックス(アリゾナ州州都)を目指すことになった。

フェニックスの救急部門のある大きな病院に着いたのは夜中を少し回った頃。救急外来で待つことになったのだが、この待合室がすごかった。

待合室は満員。椅子はもちろん、床に座り込んでいる患者、転がってうめいている患者、血を流している患者、意味不明の言葉を叫んでいる患者、、、すごいというより怖かった。

かなり待って順番がきたが、診療室は、待合室とは別世界。静かで清潔だった。数分の診察で痛み止めを処方されたが、それが効いたのは幸いだった。保険に入っていたのでよかったが、請求書には300数十ドルの金額が書き込まれていた。この騒動で、アメリカの医療事情を実感した。

、、、といったことで、家族3人、海外で1度ずつ急病騒ぎを起こしている。でも、いずれも無事切り抜けられたし、後で笑って話せる思い出になっているのはラッキーだ。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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