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2020.01.01

巨匠カーデザイナー列伝

シトロエン2CVからニュービートル、アウディTTまで。美しいクルマを作った男たち【後編】

カーデザインの歴史にその名を刻む巨匠カーデザイナーを年代ごとに紹介していく「巨匠カーデザイナー列伝」。後編では、インハウスデザイナーが台頭した80年代から2000年代までを追う。

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文/小川フミオ

巨匠カーデザイナー列伝【前編】はこちら

● ブルーノ・サッコ【1980年代】

80年代を代表する企業デザイナーの筆頭

1980年代には自動車デザインにおいて大きな変化があった。スターデザイナーという言葉が企業デザイナーに使われるようになったのだ。

従来はピニンファリーナやジュジャーロ(ジウジアーロ)やフィオラバンティやガンディーニといった人たちがスターだったが、企業内デザイナーの重要性が認識されるようになっていった。

もちろん、1930年代からゼネラルモーターズで活躍したハーリー・アールや、その後継者であるビル・ミッチェルら、企業内デザイナーは数多く存在した。
フランスの国民車として開発されたシトロエン「2CV」。デビューは1948年
フランスの国民車として開発されたシトロエン「2CV」。デビューは1948年
欧州でも、シトロエンで 「2CV」や「DS」を手がけたフラミニオ・ベルトーニや、ランチア「フルビアクーペ」のピエロ・カスタニェロら、名車を手がけた人たちが名を残している。

80年代にインハウスデザイナーの存在感が強くなった理由

80年代により強くデザイナーの存在が認識されるようになったのは、自動車メーカーが空力ボディなどの“科学”をセリングポイントにするようになったのが背景にあげられる。

シャシーやダクティング(空調などの通り道)といった、開発コストのかかる主要コンポーネンツを何世代にもわたり継続的に使用する傾向が強まったのも、外部デザイナーには逆風となった。

社内のエンジニアとのより緊密なコラボレーションが求められるようになり、社内で重要なポジションに上がれるのはメカニズムをよく理解したうえで、市場のニーズと合致するスタイリングが作れるデザイナーといわれるようになっていたのだ。
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代表作は1976年に登場したW123シリーズ

80年代を代表する企業デザイナーを、そんななかから一人選ぶとしたら、筆頭にあげたいのがメルセデス・ベンツのブルーノ・サッコである。

イタリア人だけあって当初はピニンファリーナで働くことを望んだという説もあるけれど、1950年代にメルセデス・ベンツのデザイン部門で仕事を始めたのは、本人にとってもブランドにとっても幸福だったかもしれない。
サッコがデザイン開発にたずさわったモデルはあまたあるが、なかでも特筆すべきは、当時コンパクト・メルセデスと呼ばれたW123シリーズ(1976)だろう。

W126というコードネームをもつ「Sクラス」(1979)や、コンパクトな車体で衝撃的だったベビー・メルセデスの「190」(1982)は、もっとも美的なセダンと呼びたい。

サッコ自身、R129(1989)やR230(2001)といった「SL」シリーズとともに、「190」はお気に入りだったようだ。デザインの特徴は、端正なプロポーションと、空力など科学的アプローチを感じさせるディテール、そしてなんともいえない重厚感。
なかには本人が“背を高くしすぎた”と失敗を認めたW140(1991年発表のSクラス)もある。当時は“人間は時代とともに身長が伸びている”として室内の広さは高級車の条件と喧伝されたのだが……。

世界に冠たる高級車メーカーたろうとしたメルセデス・ベンツの思惑と、美的なスタイルのバランスをとっていくのは、大変な仕事だったはずだ。
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● J・メイズ【1990年代】

時代を先駆けたコンセプトメイカー

1990年代、自動車メーカーは大きなジャンプをする。バブル経済期から、経済停滞期を経て、再び世界景気が上昇しはじめるという、めまぐるしい変化を経験した時代である。

欧州企業では経済停滞時期にマネージメントの考えかたが大きく変わった。自動車デザインもこの頃、同様に大きな変化を経験する。

代表的なのはポルシェで、ヴェンデリン・ヴィーデキングをCEOに迎え、経営のスリム化と効率化を大々的に実施したのは、よく知られた話だ。

「ヘッドランプのデザインをするにあたって経営サイドから言われたのは、5つの機能をひとつのケースに収めること、でした。そうしないと会社はつぶれる、と」
効率化がデザインに影響を与えた1990年代。写真は996型ポルシェ「911」
効率化がデザインに影響を与えた1990年代。写真は996型ポルシェ「911」
当時ポルシェのデザイン部長を務めていたオランダ人ハルム・ラガーイがかつて僕に語ってくれた裏話である。

その結果が、996型とよばれる「911」(1997)のヘッドランプであり、初代「ボクスター」(1996)と同じものだった。
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デザインは楽しいものだという認識で市場に歓迎された「ニュービートル」

同時に自動車メーカーはリスク回避のもう一つの手段を思いついた。既存のシャシーを使い、デザインを商品価値の前面に据える手法だ。

日産がモデルチェンジの遅れた「マーチ」の“古い”シャシーを使って製造した「Be-1」(1982)や「フィガロ」(1991)が大ヒットした成功例から学んだマーケティングだ。

パイクカーの成功をなぞるのに成功したのが、フォルクスワーゲンの「ニュービートル」(1998)だ。タイプ1と呼ばれる初代ビートルのイメージを現代的に焼き直したモデルだ。
J・メイズが手がけた「ニュービートル」。初代タイプ1のイメージを現代に蘇らせた
J・メイズが手がけた「ニュービートル」。初代タイプ1のイメージを現代に蘇らせた
コンセプト1としてショーで発表されたのは1994年だから、4年ものあいだ、メーカー内で、こんなフマジメ(筆者の見立て)なプロダクトを世に出していいのか意見の対立があったかもしれない。

はたして発売時期が、アップルのジャナサン・アイヴのチームが手がけたボンダイブルーの初代iMacと重なるという僥倖もあり、デザインは楽しいものだという認識で市場に歓迎されたのである。

そういうわけで、僕はこの時代を代表するデザイナーとして、ニュービートルを手がけたJ(ジェイ)メイズをあげたい。
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企業デザイナーとしてひとつの典型

メイズは米国出身のデザイナーで、フォルクスワーゲン・グループで多くの仕事をし、アウディ「100」(1991)やアウディ「TT」(1998)などにたずさわっている。

そもそも「TT」自体がどことなくレトロスペクティブな匂いのする傑作デザインだが、そのイメージの源泉となったコンセプトモデル、アウディ「アフス・クワトロコンセプト」(1991)もメイズの仕事だ。
J・メイズの代表作である初代アウディ「TT」
J・メイズの代表作である初代アウディ「TT」
その企業が持っているデザインのヘリティッジのなかから、新しい時代に合った要素をつかみ出し、エッジを効かせたプロダクトに仕立てる。いわゆるコンセプトメーキングにかけて、メイズの仕事は時代の先駆けといえる。

米国カリフォルニアのVWデザインスタジオで、「TT」で名をあげることになるフリーマン・トーマスとともにコンセプト1を作りあげ、のちにニュービートルを実現したメイズの仕事ぶりは、企業デザイナーとしてひとつの典型である。
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クルマをファニチャーの流れでリデザインした「021C」

メイズは1997年にはフォードに移っており、当時グループ全体のデザインディレクションを担当するようになった。

なかでも僕が印象に残っているのは1999年の東京モーターショーで発表されたフォードのコンセプトカー、「021C」だ。メイズが起用したデザイナーはマーク・ニュースン(ニューソン)。
子どものお絵描きを形にしたようなデザインが目を引くフォード「021C」。1999年の東京モーターショーでお披露目された
子どものお絵描きを形にしたようなデザインが目を引くフォード「021C」。1999年の東京モーターショーでお披露目された
子どもが描くようなクルマのスタイルにこそ本質的な魅力がある、と説く豪州出身のニュースンはオレンジとホワイトで塗り分けたコンパクトセダンを提案した。

室内は50年代の住宅を思わせるプラスチッキーな雰囲気でまとめられているとともに、トランクは何と引き出し式というユニークさだ。クルマを、自身が得意とするファニチャーの流れでリデザインしたのがニュースンのユニークな点である。

「021C」の発表会は東京プリンスホテルのプールサイドで行われ、訪れたプレスの数が妙に少なかったのが僕には不思議でならなかった。これこそ新しい感覚だと思ったからだ。
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● ワルター・マリア・デシルヴァ【2000年代】

VWグループ各ブランドの確立を見事にやってのけた実力者

1990年代から2000年代にかけて、大きく台頭したのはフォルクスワーゲン・グループだ。

フォルクスワーゲンにはじまり、アウディ、ポルシェ、ベントレー、ランボルギーニ、それに(日本には入っていないが)セアトやシュコダのデザインは注目を集めてきた。

理知的でありながら、どこかエモーショナル。数字では割り切れないような要素がどのモデルにもしっかり入っていて、それがクルマ好きの心を惹きつけてきた。
かたまり感のある独特なフォルムをまとったおフォルクスワーゲン「シロッコ」
かたまり感のある独特なフォルムをまとったフォルクスワーゲン「シロッコ」
フォルクスワーゲン「シロッコ」(2008)やアウディ「A7スポーツバック」(2010)にはじまり、ポルシェ「ケイマン」(2005)やランボルギーニ「アヴェンタドール」(2011)などは典型だろう。

フォルクスワーゲン・グループのデザインを統括していたのが、ワルター・マリア・デシルヴァだ。イタリア出身のデシルヴァは、アルファロメオでディレクターとして「156」や「GTV」を手がけたあと、1998年にフォルクスワーゲンに転職した。
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デシルヴァがアルファロメオ時代に手がけた代表作の1台である「GTV」
デシルヴァがアルファロメオ時代に手がけた代表作の1台である「GTV」

人の意見をしっかり聞き、能力をうまく引き出し、それを活かす

僕が初めて取材したときはデザイン界で大きな話題になっていたセアト「サルサ」が発表された直後だった。ハッチバックでありながら、全体のシルエットにはアグレッシブさがうまく表現されていた。

30年間さまざまなメーカーからあらゆるデザインが発表されたハッチバックにおいて、まだ新しい表現があったことに驚かされた。

セアトからフォルクスワーゲン・グループのデザイン統括になったとき、デシルヴァは「そりゃあ一番興味あるのはランボルギーニのデザインだよ」と言って笑わせてくれた。
ランボルギーニのフラッグシップモデルとして2011年にデビューした「アヴェンタドール」
ランボルギーニのフラッグシップモデルとして2011年にデビューした「アヴェンタドール」
もちろんランボルギーニにかぎらず、グループ各社のアイデンティティをしっかり守りながら、すべてデザインを底上げした実力ぶりは大したものである。

2000年代以降、自動車メーカーは企業間の提携、あるいは合従連衡が進んだ。そこにあってブランドの確立は企業デザイナーにとって最も重要な仕事になった。

デシルヴァはそれを見事やってのけた。デシルヴァに対する評価の多くは、「本当にいい人」というものだ。人の意見をしっかり聞き、能力をうまく引き出し、それを活かす、そんな現代的カーデザイナーのお手本とも言えるだろう。
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デザイナーが企業にとっていかに重要か知らしめてくれた人

「デシルヴァ氏は15年にわたってフォルクスワーゲンを見事にデザインしてくれ、イタリア人ならではの美も加えてくれました」

2007年から2015年までフォルクスワーゲンの取締役会議長を務めていたマルティン・ヴィンターコルンも、デシルヴァを高く評価してそんなコメントを残している。

ブランド間で、シャシー、ドライブトレイン、インフォテイメントシステムなどを共用していくのが現代のクルマのあり方だ。しかもそれを優位に利用していく必要がある。そのよき前例を作りあげたデシルヴァは2015年までフォルクスワーゲン・グループに関わった。この人の偉業こそ今の自動車界の基盤を作りあげたものだ。

デザイナーが企業にとっていかに重要か。あらためて知らしめてくれた人である。

● 小川フミオ / ライフスタイルジャーナリスト

慶應義塾大学文学部出身。自動車誌やグルメ誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。活動範囲はウェブと雑誌。手がけるのはクルマ、グルメ、デザイン、インタビューなど。いわゆる文化的なことが得意でメカには弱く電球交換がせいぜい。

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