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2019.12.15

心踊る小さなスポーツカー、ヨタハチ

並ならぬ数のクルマを試乗してきた筆者。その中でも、非力ながら、軽量で、空気抵抗が小さく、旋回速度も速く、、そして、なにより燃費の良さでライバルを突き放したクルマ「トヨタ・スポーツ800」への想いを語る。

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第123回

トヨタ・スポーツ800への想い

「トヨタ・スポーツ800」、、僕の心の中では日本の産んだ名車として位置づけられている。

「国民車」として生まれたパブリカをベースにしているだけに、パワースペック的には情けないくらいひ弱だ。

パブリカ・ベースの790cc・空冷フラットツインは、45ps / 6.8kgmを引き出すに過ぎなかったし、パタパタ、、ッといった音も、お世辞にも刺激的とは言えなかった。

同時期には一世を風靡したホンダS600 があった。606ccながら、4キャブを組み込んだDOHC 4気筒エンジンは、楽に9000rpmまで回り、57ps/5.2kgmを引き出していた。

両車が戦えば、誰でもS600が断然優位との答えを出すだろうし、実際にも、スプリント戦ではホンダが圧倒的に強かった。

ところが、長距離レースでは立ち場が逆転。非力ながら、軽量で、空気抵抗が小さく、旋回速度も速い、、そして、なにより燃費の良さでライバルを突き放してしまう。

今もよく覚えているのは1966年の第1回鈴鹿500km。ホンダS600は元より、ずっと格上のロータス・エラン、スカイラインGT、フェアレディ等々の給油ピットインをよそ目に、一度も給油することなく優勝してしまった。

その時の燃費は9km/ℓだったとされるが、レーシング領域での9km/ℓはすごい!

ちなみに、僕のドライブでの燃費は、日常領域で18km/ℓ、伊豆半島を1周した長距離クルージングでは28km/ℓをマークしている。
驚くべきというか、恐るべきというか、、まさに、そんな表現が相応しい燃費だ。
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トヨタ・スポーツ800の開発を主導したのは長谷川龍雄主査。日本のモータリゼーションを牽引する大きな役割を担った初代カローラの開発主査として知られる方だ。

元々は航空技術者で、戦後トヨタに入社。ゆえに、軽量化、空気抵抗抑制等への拘りは強かったと想像できるが、トヨタ・スポーツ800は、そんな背景を容易に納得させた。

オープンボディ(着脱式トップ)としては、当時は技術的に難しかっただろうモノコック構造を採用。徹底して軽量化を求めた。その結果が580kgという重量だが、これは非力なスポーツ800には大きな支えになった。

ちなみに、同時代の軽量車としてすぐ思い出すのは、アルピーヌ A110、ロータス・エラン。前者は635kg、後者は638kg。共に4気筒エンジンを積んでの重量だからすごい。

空気抵抗係数も、当時としては圧倒的な0.35を実現していた。加えて、小さな前面投影面積のコンビネーションも強力なサポートになる。

45psという非力なパワーで、155k m/h の最高速を引き出せた理由もここにある。

話しは、本筋からずれるが、当時僕が所属していた自動車クラブ「Team 8」の8人の創立メンバーはオートバイ仲間が中心。高校時代のほとんどをバイクに明け暮れていた仲間だ。

そんな仲間が大学に入ると一斉に4輪に乗り替え、ジムカーナやヒルクライムに参加し始めた。

Team 8のメンバーには速い奴が多く、ジムカーナやヒルクライムでは、数人のメンバーが常に上位に入っていたし、優勝も多かった。

そんなことで、Team8は「ジムカーナ荒らし」といった呼ばれ方もされたが、多くの勝利を勝ち取ったのはホンダ・S600だった。
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ちなみに、Team8からは2人のトヨタ・ワークスドライバーが生まれた。もう1人にも声がかかったが、家業を引き継ぐため断念せざるを得なかった。

でも、8人のチームの3人にトヨタ・ワークスから声がかかったという事実はすごいことだ。

その3人の内2人がホンダ・S600 に、もう一人がミニクーパーSに乗っていたが、ジムカーナやヒルクライムで勝ちまくっていたのはS600 に乗る2人だった。

チームにはS600、ミニクーパーS、コルチナ・ロータス、フェアレディ、スカイラインGT、フルチューニング・べレットといった速いクルマが揃っていたが、トヨタ・スポーツ800を買おうという奴はいなかった。

ジムカーナやヒルクライムのイベントにも姿を見ることはほとんどなかった。なぜなら、瞬発力が勝ちに結びつくジムカーナやヒルクライムに、スポーツ800の出番はなかったということだ。

しかし、、、すでに触れたように、レース、とくに長距離レースとなると様相は一変した。

ハイトーンの金属的な排気音を響かせながら突っ走るS600は「勝って当然!」と誰にでも思わせたし、事実速かった。でも、いつの間にかトヨタ・スポーツ800が前に出て、勝利のチェッカーを受けていたのだ。

上記した僕の走り仲間だったトヨタのドライバーも、「ぜんぜん速くないんだけど、いつのまにか勝っちゃう、、そんな感じなんだよね!!」と言っていたことを思いだす。

しかし、ひとつ加えておかなければならないレースがある。1965年、船橋サーキットでのスプリントレースで、浮谷東次郎のスポーツ800が生沢徹のS600 を抑えて勝ったのだ。

浮谷は序盤で競り合っていた生沢のスピンに巻き込まれて接触。ピットインしての作業を余儀なくされ16位にまで後退した。

僕は現場にいたが、そこからの浮谷の追い上げは神がかっていた。そして、最終的には2位を大きく引き離して独走優勝。日本のレース伝説の重要な1ページになっている。
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昔から僕は「コンパクトで軽量で空力に優れた」クルマが好きだ。だから、いわゆるスーパーカーにはあまり惹かれたことがない。

とはいえ、いくらコンパクトで、軽量で、空力に優れていても、あまりに非力なのは嫌だ。心が躍らない。

もし、トヨタ・スポーツ800が、非力で情けない音の空冷フラットツインではなく、ある程度のパワーがあり、官能的な音を響かせる4気筒でも積んでいたら、僕は迷うことなく手を出していただろう。

昔のアルピーヌA110 1300 Sとまでは行かなくても、もう少しパワーと刺激性があれば、スポーツ800の運命は大きく変わっていたはず。

僕は、トヨタ・スポーツ800の再来を期待している。1~1.3ℓくらいの軽量3気筒過給エンジンと6速ギアボックスで、重量は、できれば1000kgくらい。

最新の安全性を満たすには、ボディがある程度大きくなるのはやむを得ないが、ドライビングポジションとシートさえよければ、キャビンは少しタイト気味でもいい。

最近、トヨタ・ガズー・レーシングがスポーツ800のレストアを行ったが、久しぶりに見るその姿に、改めて強く惹かれた。と同時に、スポーツ800の現代版再来を願う気持ちが強くこみ上げてきたこともお伝えしておく。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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