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2019.12.01

ポルシェ356とニューポートビーチの友人

初めてのアメリカで友人に紹介された自動車画家。その出会いに忘れられない名車の存在があった。1964年、南カリフォルニア、ニューポートビーチの景色とともに大切な思い出を語ります。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第121回

ニューポートビーチの友人

南カリフォルニア、ニューポートビーチにアメリカ人の友人がいる。知り合ったのは1964年。初めてアメリカに行ったとき、友人に紹介された。

友人とはLA駐在の日本人工業デザイナー。
GKデザインに所属し、ヤマハのオートバイ等のデザインを担当していた人物だ。

紹介されたのは自動車画家で、当時は、ニューポートビーチに編集部がある「Road & Track」誌のアート関係編集者だった。

そして、同誌のアートディレクターを務めた後フリーランスになり、アメリカを代表する自動車画家になった。今も現役で活躍中だ。

初めてのアメリカはすべてが輝いて見えた。

LAには夜着いたが、飛行機の窓から見下ろしたLAは、地上のすべてを黄金色の夜光虫が埋め尽くしているかのように輝いていた。

空港に迎えに来てくれた上記友人のシボレーに乗ってダウンタウンのモーテルに向かったが、フリーウェイ405号線の大河のようなクルマの流れに、まずは度肝を抜かれた。

この時のあれこれは前に書いたので省くが、
翌日には早速レンタカーを借りて、あちこち走り回った。すべてが好奇心の対象だった。

ちなみに、初めての海外、初めてのアメリカだったが、運転に躊躇することは一切なかった。右側通行にもすぐ馴れたし、いろいろなルールもすぐ理解できた。

そして、数日後、友人の家に招かれて食事を共にしたとき、「Road & Trackに自動車画家の知り合いがいるんだけど、会ってみない? いい人だよ」との話が出た。
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僕はすぐ「会ってみたい。紹介して!」となり、彼はその場で電話を入れ、訪問する約束をとってくれた

僕が泊まっていたサンタモニカからニューポートビーチまではおおよそ100km。405号線が順調に流れていれば1時間半ほどで着く。

ニューポートビーチのあれこれも見たかったのでモーテルを予約。1泊の予定で出かけた。

彼の名はビル・モッタ。招いてくれたのはRoad & Track編集部の応接室ではなく、彼の家だった。その暖かい心遣いが嬉しかった。

ビルは「モーテルまで迎えに行くよ」と言ってくれたので、モーテルで待った。

「いい人だよ!」とは聞いていたが、優しくて、穏やか。そして親しみやすい人柄であることはすぐわかった。二言三言交わしただけで、彼が好きになった。

加えて、彼はとんでもなく大きなプレゼントを持ってきてくれた。そう、ポルシェ356で迎えに来てくれたのだ。それもクラシックな356で、、。

「アメリカに輸入された、かなり初期のモデルの1台」と彼は言い、年式は言わなかったが、たぶん1953年辺りのものだろう。

外観も内装もきれいで、大切に扱われていることはすぐわかった。

そして、僕はクラシック356の助手席で、ニューポートビーチ巡りを楽しませてもらった。こんなハッピーな出迎えなどめったにあるものではない。

彼はていねいに、穏やかに356を走らせた。
美しいニューポートビーチの街、海、ヨットハーバーをゆったり味わわせてくれた。

これほどリラックスして、周囲の景色を楽しみながらポルシェに乗ったのは初めての経験だった。
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ビルの家はニューポートビーチの閑静な住宅街、それも小高い丘の上という素晴らしい立地にあった。遠景だが、2階の部屋からは美しい街並と海が見えた。とくに夕景は素晴らしかった。

奥様とまだ小さな男の子、女の子の3人が迎えてくれた。ご家族の顔をひと目見ただけで、暖かな家庭だと感じた。

通された居間には彼の絵が飾られていたが、本業のクルマの絵ではなく風景画。それがまたよかったし、とても寛げる部屋だった。

僕の英語力は一つ星レベル。でも、ビルも奥様もわかりやすい言葉を選んで、ゆっくり話してくれた。だから、会話が途切れることはなかった。その心遣いがなんとも嬉しかった。

夜はヨットハーバーのレストランに連れて行ってくれた。照明を落とし、ローソクの灯りが揺れるテーブルで、ヨットを見ながらのディナーは今もハッキリ記憶に残っている。

60年代後半から80年代辺りまで、僕はよくLAに行った。そして、時間があるときはビルに会うため、ニューポートビーチまで足を伸ばした。家内も息子も連れて行った。そんなことで、ビルとは家族ぐるみの付き合いになった。

そしてある時、どちらからともなく、「夏休みに子供の交換をしないか」との話しが出た。ビルと僕の息子はたまたま同じ年齢だったこともあって、話しはすぐ進んだ。

まずは、僕の息子がニューポートビーチへ。ほぼ一ヶ月の滞在だったが、1970年代なので、通信方法は電話か手紙しかない。

LAに到着した日に、ビルから電話で「無事到着」の連絡があったが、息子からは途中で1度、絵葉書が送られてきただけだったように記憶している。

でも、ビルを信頼していたのでなんの心配もしなかった。「便りがないのはよい便り」ということだ。

帰ってきて、ビルが撮ってくれた写真をいろいろ見たが、楽しそうな写真ばかり。ビルの息子、アンドリューの友達も加わって、楽しい日々を過ごしたことが容易に想像できた。

その翌年はアンドリューがわが家に滞在。

息子はまったくホームシックにかからなかったようだが、アンドリューも同じ。「パパ、ママと話したかったら、いつでも言いなさい」とは言っていたのだが、一度も電話することはなかった。

日本の食事も問題なかった。一ヶ月はあっという間に過ぎた。

知り合ってからは半世紀以上、「子供の交換」からは40年余り経っているが、ビルも僕もまだ元気だし、仕事もしている。アンドリューも二児の親になり、元気にしている。

「ポルシェはまだもっている?」、、かなり気になっているのだが聞かないことにしている。もしも手放していたら、ビルも話しづらいだろうし、僕も悲しいからだ。

いい想い出は、敢えて触らず、そのままそっと心に残しておくのがいい。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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