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2019.10.27

メルセデスベンツは何を乗り越えてきたのか?

メルセデスと言えば最善か無かを社是に、自動車の歴史を牽引し続けてきた。90年代から始まった熾烈なグローバリゼーションの波のなかで、メルセデスがたどった道とは?

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第117回

メルセデス・ベンツ神話の危機

「メルセデス・ベンツ(以下メルセデス)は品質がよくて、安全性が高くて」、、世界中の多くの人たちはそう思っている。これは、ほとんど「神話」の域にさえ入っている。そして、スリーポインテッドスターを眺めながら「いつかはメルセデスに!」と憧れている。

メルセデスは自動車界最古の歴史を持っている。レースを筆頭に、無数の輝かしい歴史を持っている。物語面でもメルセデス・ブランドは輝いているし、品質と安全性の神話も長い歴史の中から生み出されてきた。

そんなメルセデスだが、1886年の誕生から現在まで順調に来たわけではない。当然、波もあれば風もあった。そんな中で、僕が実際に立ち会った波風の多くは、1990年代から2000年代半ば辺りに起こった。

中でも「自動車産業グローバル化の波」は、老舗メルセデスに多大な影響を与えた。

時代の流れに対応し生き残りを図るため、コストダウンと利益向上、ユーザーの多様化といった戦略に取り組まざるを得なくなった。

結果、なにが起こったのかというと、メルセデスにあってはならないこと、、そう、「品質の低下」という重大な事態を招いたのだ。
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1993年、名車190の後を受けて誕生したCクラス初期モデルの品質は受け容れ難いレベルだった。見た目品質だけでなく、走り味/乗り味も、多くの人が抱くメルセデス基準から遠く離れていた。

品質低下の印象を、さらに決定づけたのが、1997年に誕生した初のアメリカ産メルセデス、「Mクラス」。

アラバマ州タスカルーサに新設されたアラバマ工場を見に行ったが、そのラインは、一見してシンプルかつ効率的だった。

「最善か無か」を社是として掲げ、過剰なほどの手間暇をかけ、誇りを持ってクルマ造りに取り組んできた既存のメルセデス工場とはまったく異種異質のものだった。

そして、その工場から送り出されるMクラスの品質は、メルセデス・ユーザーの期待をズタズタに切り裂いてしまうことになる。

外装/内装は、メルセデス・ファンだけでなく、誰の期待をも裏切るものだった。「安っぽく雑な」仕上がりのMクラスは「アラバマ・メルセデス」と呼ばれ、世界中から非難を浴び、酷評された。

見た目品質だけでなく、信頼性面でもまたメルセデス・ファンを裏切っていた。

Mクラスと同時期にデビューしたAクラスの初期モデルもまた悲惨な内容だった。

僕は、「少なくとも現状のAクラスは絶対に買ってはダメ!」という酷評記事を書いた。それほど酷かった。品質は悪いし、安全性にも大きな欠陥があった。

もちろん、メルセデスは対応策を練り、問題は時間と共に克服されていった。だが、その間、メルセデス・ブランドの輝きと価値は大きく低下した。多くのメルセデス信者が離反していった。

そんな流れにさらに追い打ちをかけたのが2004〜2005年にかけて起こったSBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)のトラブル。ブレーキ性能を高める先進技術だったが、センサーやコネクタ等々に不具合が出てリーコールに。

SBCの不具合は直接安全性に関わる問題だけに、世界中から非難と批判が殺到。SBCを装備したEクラスとSLは極度の販売不振に陥り、メルセデスの経営を強く圧迫した。

自動車産業は1990年代からいろいろな意味で大きな転換期を迎え、多くのメーカーが荒波にもまれ、多くの問題課題を抱えていた。

しかし、「天下のメルセデス」ゆえに、たとえ他と同様なレベルの問題課題であっても、際立ってネガティブな印象をもたらしてしまうのはやむをえないのだろう。
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たとえば、バブル最盛期に開発された7代目カローラ(1991年)の立派さ、バブル崩壊後に開発された8代目カローラ(1995年)の貧弱さ、、その違いは驚くべきものだった。だが、そのことが、メルセデスのように世界中から注目され、指摘されることはなかった。

メルセデスの変化に関しては、こんな思い出もある。

なんの新車発表会かは忘れたが、メルセデスがグローバル化を目指し始めて間もなくの頃だった。

メルセデス本社が行う国際イベントは整然としたものであり、カリスマ的雰囲気に支配されているのが常だった。イベントの夜のディナーにしてもしかりだ。

ところが、ある時、突然それが変わった。

場所も覚えていないが、ディナーが行われたのは、「カラフルなテント張りの小さなサーカス小屋」だった。

小屋の中にはなんの変哲もないテーブルと椅子が置かれ、迎えてくれたメルセデス幹部の出で立ちはノーネクタイ。ジャケットは椅子の背にかけていた人が多かった。カジュアルな装いの人さえいた。

驚いた。公式ディナーに参加するメルセデスの人たちといえば、ダークスーツにキチッとタイを着けるのが常だったからだ。

重い鎧を脱ぎ捨て、幅広い人たちに受け容れてもらいたい、多くの人たちに親しみを持ってもらいたい、、グローバル化を急ぐメルセデスがそう考え、アクションを起こすのは理解できた。頭では、、。

ところが、どうしても違和感はぬぐえない。町外れのサーカス小屋も、ノーネクタイも、カジュアルな装いも、、。

ノーネクタイは、今でこそビジネスシーンでも日常だが、その頃はそうではなかった。とくに、公式の場で一流企業の幹部が、、となると抵抗があった。

ノーネクタイやカジュアルな装いは、ふだんから馴染んでいないとおかしなことにもなりがちだが、サーカス小屋のメルセデス幹部はまさにそれ。加えて、われわれゲストは、いつも通りにスーツとタイの装いだから、その対比は不自然であり滑稽でさえあった。

「これはおかしい。これではメルセデスのカリスマ性が失われてしまう。ユーザーはカリスマ性のないメルセデスなど求めていない」。
僕は親しい広報スタッフにそう言った。彼も困惑した表情ながら頷いていた。

ノーネクタイ/カジュアル事件は2度と繰り返されなかったが、当事者たちも居心地は最悪だっただろうし、、メルセデスのやることではないと気づいたのは当然のことだろう。

上記のように、グローバル化に伴ったアクションにはいろいろな混乱と痛みが伴った。信じがたいようなことも起きた。

しかし、初心に返り、再び「最善か無か」の社是を掲げるようになったメルセデスは本来の姿を取り戻した。

長く、深く、分厚く、誇りに満ちた歴史を下敷きに、、再生を図った新生メルセデスは、再び輝きを取り戻している。今、「スリーポインテッドスター」は、多くの憧れの的として君臨している。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

溝呂木先生の個展が開催されます

溝呂木陽水彩展2019 「Viva MODENA!」

2019年11月8日(金)〜13(水)
12時〜19時 入場無料
ペーターズショップ&ギャラリー http://www.paters.co.jp/

去年の10月の個展の翌日、僕はモデナにいました。イタリアモデナのエンツォフェラーリミュージアムで水彩画を飾り、ヴィンテージフェラーリの横での毎晩のディナー、フェラーリやマセラティ、ランボルギーニのミュージアムをめぐる夢のような日々。そこで出会った光景や友人たちから送ってもらった写真を一つ一つ水彩画にしていきました。
模型や画集販売、水彩画オーダーもあります。皆様のお越しをお待ちしております。 溝呂木陽

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