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2019.08.25

メルセデス・ベンツのクルマ作りの「基本」と「原点」を知った本社取材

1987の西ドイツ、メルセデスベンツ本社を5日間徹底取材した著者。そこで知った、クルマ作りの神髄とは?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第109回

メルセデス・ベンツの真髄を学んだハードな1週

 1987年のある日、メルセデス・ベンツ・ジャパンから電話が入った。「ご相談したいことがあるので、近々お時間を」との電話だった。

数日後、メルセデスに出向いたのだが、思いもよらないプレゼントが待っていた。

プレゼントとは「メルセデス・ベンツを徹底的に取材して回る旅」だった。日程は、月曜日から金曜日までの5日間。

内容をザックリ言えば、ドイツ国内(西ベルリンも含める)の全施設を見て回り、そのすべてに専門の担当者が同行。詳しく説明すると同時に、質問に答えるというものだった。

この内容だけでも驚いたが、さらに驚いたのは、対象が「僕1人」だったこと。つまり、僕ひとりのために、多くの部署が、その担当者が、貴重な時間を割くことになる。
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本社の広報担当者と、ドイツ語の通訳も5日間、僕1人につきっきりになる。

僕は恐縮してしまった。しかし、ジャパンの担当者から、「これはメルセデスの方からお願いしていることですし、往復時間を含めてまるまる1週間の拘束になってしまいます。恐縮するのはこちらの方です」との言葉を頂いて、少しホッとしたことを覚えている。

「岡崎さんには、可能な限りメルセデスを見ていただき、知っていただき、理解していただきたいのです。これは、日本とドイツ両方の考えです」とも言われた。胸が熱くなる言葉をいただいた。

ちなみに、メルセデス車を生み出すダイムラー・ベンツ社は、1986年当時、約60万台の乗用車と23万台の商用車を生産していた。

単純に生産台数だけを見れば、巨大なメーカーとは思い難い。が、メルセデスの乗用車は台辺りの単価が非常に高いし、6トン以上の大型トラックで世界一の座を占めていた商用車にも同じことが言える。

当時のアメリカの経済誌「フォーチーン」によると、1986年度の世界企業50社ランキングで、ダイムラー・ベンツ社は13位、自動車メーカーとしては4位にランクされていた。

シュトゥットガルト空港には本社の広報スタッフとドイツ語の通訳が迎えに来ていた。
二人とはすでに顔なじみ。仕事も何度もしていたので、最初から和気相合。いいスタートが切れた。

まずはホテルで打ち合わせ。そして、ディナーを共にして1日目は終えた。というと簡単に終わったように思うだろうが、そうではなかった。

まず手渡された数枚の用紙にプリントされたスケジュールを見て驚いた。毎日、朝8時から夜10時まで、ビッシリ予定が詰まっている。加えて、朝食も、昼食も、夕食も、すべてにいろいろな分野の担当者が同席する。

「すごいスケジュールですね!」と広報氏に言ったら、こんな答えが返ってきた。
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「いやー、岡崎さんの貴重な時間を1週間も割いて頂いたので、こちらも可能な限りの対応をして、メルセデスを深く知って頂きたい、、そう考えての結果です。確かにタイトでタフなスケジュールですが、われわれの熱意だと捉えて頂ければ嬉しいです」と。

どこをどう回ったかは忘れたが、シュトウットガルトの本社と本社工場、カスタマーセンター、テストコース、ミュージアム、ジンデルフィンゲン工場、ブレーメン工場等々を取材した。西ベルリンに拠点を構えていたダイムラー・ベンツ社のシンクタンク、「ベルリン・リサーチグループ」も訪れた。ドライビングシミュレーターを体験し、取材するためだ。

1987年当時の西ベルリンは、東ドイツに囲まれ隔離されていた。西ベルリンへの一般人の足は、西ドイツから飛ぶ米国のPan Am航空機に限られていた。

「ベルリンの壁」も見せてもらったが、国境を仕切る壁の手前と向こうの違い、つまり、「西と東の違い」には戦慄をさえ覚えた。このことについては、また改めて書く。

この取材からすでに32年の歳月が経っており、クルマを取り巻くすべてが大きく変わっているし、メルセデスも紆余曲折を重ねてきた。

「最善か無か」という創立以来の社是を捨てて、近代化というか、合理化というか、、を急ぎすぎて失敗したこともあった。電子制御化にいきなり大きなステップを踏みすぎて失敗したこともあった。

しかし、失敗し、一時期後退することはあっても、メルセデスには「戻るべきところ」があった。それは、最古の自動車メーカーとして、営々として積み重ねられ、練り込まれてきた、クルマ作りの原点に立ち返ることだ。

1987年の取材の旅は、メルセデスのクルマ作りの「基本」に「原点」に改めて気づき、再確認するための大いなる学びの機会になった。

体幹を中心にした基本骨格を最重視するクルマ作り、ワーカーが誇りを持ち仕事に集中できる労働環境の追求、安全で快適なクルマ作りのための人間研究、、、大きく括ると、こうしたところに、とくに力を注いでいることを、改めて強く気づかされたということだ。
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こうした点への取り組みには多くのメーカーも力を入れている。が、メルセデスの取り組みを現地現場で目の前にし、多くのエンジニアの話しを聞くと、その奥行きの深さには尊敬の念を抱かざるをえなくなる。

人間研究の奥深さがメルセデス車に大きなプラスをもたらしているのは「知る人ぞ知る」だが、例えば、メルセデスのドライビングシミュレーターが追う最大の目標も、人間を知ることによる安全性と快適性の追求にある。

ドライビングシミュレーターは、実際の路上では不可能なテストができる。多くの条件下で、多くの人に運転させ、そのデータを蓄積することができる。例えば、酒に酔ったドライバーや、極度に睡眠不足のドライバーを運転させることもできる。

一般路面では、正確に同一条件を保っての多くのデータを取ることは不可能だが、ドライビングシミュレーターならそれもできる。

メルセデスのドライビングシミュレーターには3度乗ったが、その都度中身は大きく進化し、より高度で複雑な走行シーンの再現ができるようになっていた。

初めにも話したが、朝8時から夜10時までの取材は5日間続いた。毎日、移動し、多くを見学し、多くの(5〜6人か)人たちと話した。

しかし、疲れは感じなかった。逆に、タイトでハードな取材が楽しくて仕方がなかった。

ディナーの後のディスカッションが深夜にまで及んだこともあった。でも、疲れるどころか、「ああ、これがメルセデスの姿なんだ!!」と、感動してしまったものだ。

この取材結果は新潮社で単行本になったが、1冊ではとても語りきれないほど多くを学んだ。
メルセデスの真髄に深く触れた5日間だった。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

溝呂木 陽先生の個展が開催されます

本連載のイラストをずっと手がけて戴いている溝呂木 陽 先生の個展が、9月に開催されます。イタリア、パリの街角と、そこに佇むクルマをおなじみの繊細なタッチの水彩画で描いています。ぜひその画を直に見て戴ければと思います。
溝呂木陽水彩展2019
日時:2019.9.7(土)〜9.28(土) 10:00〜18:00
火曜定休 入場無料
場所:FIAT CAFFE松濤
東京都渋谷区松濤2-3-13
03-68049992

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