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2019.08.04

タイヤを知れば、もっとクルマが楽しくなる?

クルマ好きでも意外によくわかっていないのがタイヤ。レジェンドジャーナリストの岡崎さんも、あるときまでタイヤをあまり気にしていなかったそう。それが変わったきっかけと、それによって変わったクルマの感じ方とは?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第106回

タイヤテストは苦闘の連続だった

「クルマと路面の接点は唯一タイヤのみ」、、となれば、タイヤの良し悪し、タイヤとの相性によって、クルマのパフォーマンスが大きく影響を受けることは必然だ。

とはいえ、タイヤの重要性を意識/認識している人はごく少数派と言っていい。多くの人たちが、タイヤに対して気に懸けることと言えば、せいぜい空気圧と摩耗といった辺りだけだろう。

もうひとつ加えるなら、メーカーとブランド。大きいメーカーの方が安心できるといった人は多いはずだし、スポーツ系タイヤはブランドの知名度が選択を左右するはずだ。

僕の過去を振り返ってみても、タイヤに強い関心を持ったのは、自動車ジャーナリストを職として選び、多くのクルマと真剣に向き合うようになってから。それも、初めから真剣だったわけではない。数年の時を経てからだ。

16才で免許証を取り、24才で自動車ジャーナリストになり、それから数年を経て、、だから、クルマに乗り始めて10年くらいは、タイヤの知識はほとんどなかったことになる。

初めて「タイヤ」を意識させられたのは、第1回日本GP(1963年)。ダンロップ、ミシュラン、ピレリの名は知ってはいたが、BSやヨコハマとは違う存在感、、格上感とでもいうのだろうか、、を感じたのは初めてだった。

基本的に外国車勢に装着されていたからかもしれないが、外国製タイヤを「カッコいい」と意識して見たのも初めて。中でも気に入ったのはピレリだった。トレッドパターンもサイドウォールのデザインもロゴも、、ひときわ洗練度が高く見えた。

以来、ブランドは気になるようになったが、評価軸はカッコだけ。それ以上のなにかを知ろうとか、学ぼうとはしなかった。

で、1964年、自動車雑誌社に編集部員として就職。新型車や外国車に試乗し、インプレッションを原稿に書く日々を過ごすようになったのだが、それでもまだ、タイヤに意識を向けることはなかった。
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そんな僕の、タイヤへの意識を大きく変えさせてくれたのは、小関典幸さん。富士重工=スバルの実験部に所属し、車両評価の先頭に立つ人だった。レースやラリーでもスバルのエースだった。

そんな小関さんと知り合った経緯は覚えていない。スバルの試乗をしたときにでも会ったのか、、記憶は定かではないが、1970年を少し過ぎた頃だったように思う。そして、短期間で親しくなった。

小関さんはなんでも教えてくれた。クルマの評価方法についても、手取り足取りといった感じで「プロの手法」を教えてくれた。

タイヤの重要さを意識したのも、小関さんから教えられたから。「タイヤの評価ができなければ、クルマの評価なんかできない。タイヤを勉強しろ」と強く言われたからだ。

元々、僕は、操縦性/安定性の評価にはこだわっていた。メーカーもそこに注目してくれていたのも知っていた。が、クルマ全体としての評価しかしておらず、タイヤがどんな影響をもたらしているかという重要項目(後になって気づいたことだが)の評価は置き去りにしていた。

そんな経緯で僕はタイヤの勉強を始めた。素材や構造と性能の関係といった机上の勉強はもちろん、いろいろなクルマにいろいろなタイヤを組みあわせて走った。空気圧の変化や路面の変化によるパフォーマンスの変化を実感し、クルマとの相性を考えるのも重要な項目だった。

タイヤを変えるだけで、空気圧を変えるだけで、クルマのあれこれは変化した。変化の振れ幅が大きいクルマも小さいクルマもあった。

BSとヨコハマに「タイヤの勉強したい旨」の話しをしたら、とても喜んでくれ、サポートの約束をしてくれた。自力で多くのタイヤを用意するのはとうてい無理だが、両社が引き受けてくれたことで、勉強に全力投球できた。

タイヤの勉強には、かなりの繊細さと集中力が求められたが、一つ一つ新しい経験=知識を積み重ねてゆくのは楽しいことでもあった。

少しでも疑問があると、理解できないことがあると、すぐ小関さんに電話した。電話で解決できることもあったが、できないときは太田市(群馬県)にある小関さんのお宅へクルマを飛ばした。

夜遅く電話をしたときでも、「今からこい」といわれ、深夜の国道を太田市まで往復したことも珍しくなかった。わが家からの距離は100キロを少し超えるくらいだったと思うが、高速道路などない時代。時間はかかった。

夜中に着いても、「おう、よく来た!」と笑顔で迎えてくれ、一緒にクルマに乗って疑問を解いてくれた。
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BSとヨコハマのエンジニアにも多くを教えていただいたし、ユーザーの望んでいるタイヤ像についての議論などもよくした。

そうした流れの中で、「タイヤ試乗記」を書いてみないかという話しをモーターファン誌からいただいた。

それまでも、テストコースでの定常的テストから得たデータを軸にしたタイヤの記事は、欧米の自動車雑誌には掲載されていた。

しかし、定常テストなし、「官能評価」だけのタイヤ評価記事は「世界で初」とのこと。これはBSとヨコハマの方からの情報だったが、
「畏れ多い仕事」ということになる。

まずは、小関さんに相談した。小関さんは、「手伝うからやれよ!」と強く背中を押してくれた。BSとヨコハマの方々にも相談したが、「やってほしい。やるべきです。サポートはいくらでもしますから!」と、これまた強く背中を押された。

「タイヤ試乗記」は1970年代の終わり頃から連載が始まったように思うが、そのあたりの記憶は定かではない。

操安性、快適性、制動性、ウェット性能等々を、僕の身体が感じたまま、できるだけリアルにわかりやすくレポートし、僕なりの評価を加えた。

地味な記事だが、読者からの反響は想像したよりずっとよかった。でも、より強い反応を示したのは、タイヤメーカーであり、自動車メーカーだった。

そして、僕のもとにはタイヤ/自動車メーカーから、タイヤ開発/車両とのマッチングに関しての仕事の依頼が数多く舞い込むことになったのだ。

タイヤ官能評価を真剣に学んだことは、今現在でも僕の仕事に役立っている。大いに、、。

「岡崎さんの記事は、初めての、そして唯一の”タイヤ官能評価記事”として、ロンドンにあるタイヤ資料館に置かれていますよ」と、タイヤメーカーの方から聞いたことがある。

もうずっと前の話しだが、そうだとしたらとても光栄なこと。僕自身、その事実を確認したことはないのだが、、。

タイヤを学ぶことは地味で労多いこと。でも、僕に多くをもたらしてくれた。クルマを評価することをグンと奥深く、幅広いものに、そして楽しいものにしてくれた。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

溝呂木 陽先生の個展が開催されます

本連載のイラストをずっと手がけて戴いている溝呂木 陽 先生の個展が、9月に開催されます。イタリア、パリの街角と、そこに佇むクルマをおなじみの繊細なタッチの水彩画で描いています。ぜひその画を直に見て戴ければと思います。
溝呂木陽水彩展2019
日時:2019.9.7(土)〜9.28(土) 10:00〜18:00
火曜定休 入場無料
場所:FIAT CAFFE松濤
東京都渋谷区松濤2-3-13
03-68049992

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