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2021.05.04

偉人たちの男前な着こなし【ビートたけし編】

芸能界に伝説を打ち立てた偉人たちは、生き様自体がすでに男前。その格好良さは一体どこから来るのでしょう。希代の粋人として知られるビートたけしの着こなしや服選びから、男前の本質に迫ります。

CREDIT :

文/山下英介 イラスト/Isaku Goto

◆ ビートたけし編

ビートたけしのニットと北野武の白シャツ

「たけしニット」再燃す

まったく笑っちまったな ── 。オイラがその昔着ていたようなセーターが、「たけしニット」なんて名前で、古着屋でずいぶん高い値段で売られているんだっての。えっ、今は〝古着〟じゃなくて〝ヴィンテージ〟って呼ぶんだって? あんなモノ何百着も持ってたけど、ほとんど松村にあげちまったっての。あいつ今、ヤフオクで売りさばいてるんじゃねえか? ちくしょう、売り上げの半分よこせ、コノヤロー!
 
のっけから『週刊ポスト』のビートたけし口調でお届けしたが、驚いたことに「たけしニット」……すなわち1980年代のビートたけしが着ていたような、どぎつい多色使いの幾何学編みニットは、80'Sブームに沸く2021年の古着業界において、ひとつのキーワードとなっているようだ。しかもInstagramで検索してみると、そのトレンドの中心は若くてハイセンスな男女。リアルタイムを生きた筆者にとっては衝撃的だっての、コノヤロー!

まずは若い読者のために、「たけしニット」とは一体何なのか? というところから解説せねばなるまい。時はバブル景気を目前に控えた1980年代半ば。今ほどインポートブランドに馴染みがなかった当時、若者ファッションのメインストリームは「DCブランド」という名前で呼ばれていたドメスティックブランドであった。そしてこれらのブランドは、〝スター御用達〟となることで、さらに人気を伸ばしていく。チェッカーズと「45rpm」、とんねるずと「パーソンズ」、舘ひろしと「テットオム」……。スター本人が好んで着る場合、ブランド側から衣装提供される場合、またはその中間など、そのケースは様々だが、いわゆる「たけしニット」も、そういった潮流のなかで、当時一種のアイドル的な人気を誇ったビートたけしが着ていたものだ。

そのブランドの名前は「FICCE(フィッチェ)」。デザイナーの小西良幸、のちのドン小西が1981年に設立したブランドだ。1970年代のロンドンでグラムロックに耽溺し、ミニマリズムとは対極の趣味を持つ彼がアートとしてつくり出したニットは、悪趣味すれすれのロマンティックなセンスと値段の高さで、着る人を選びまくる厄介なシロモノ。そんなニットと〝勝負できる相手〟として選ばれたのが、漫才コンビのツービートを離れ、ひとりのタレントとして冠番組を持ち始めた、〝1983年のビートたけし〟だった。毒ガスとも形容されたふたつの過剰なエネルギーは、惹かれるべくして惹かれ合ったのかもしれない。
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「FICCE」のニットは、たけしへの〝挑戦状〟

「たけしニット」とは何なのか? という先ほどの問いへの答えが、1992年に出版されたムック本『ビートたけしFICCEのニットを着る』に、明示されていた。それは小西良幸にとっては、「僕が僕自身にのめり込むようにして生まれた」、「ニットという形の挑戦状」。そしてビートたけしとは、「あなたこそ、僕のニットを着る為に生まれてきた男だ」と賛辞を捧げるほどの存在であった。

伝説のクソゲー『たけしの挑戦状』ならぬ、「たけしへの挑戦状」! このニットをアイコンに掲げ快進撃を続ける「FICCE」は、N.Y.コレクションにも進出。デザイナーの小西良幸は、1989年に「ミッソーニ」からスカウトされたこともあったという。

昔から、手編みのニットは重たいものと相場は決まっているが、もちろんビートたけしも、それほどの思いが込められたニットを気軽に着ていたはずもない。「FICCEのニットを着るには体力がいる。視聴率が良かったり、仕事がのっている時に着るのは楽だけど、精神的に疲れている時は着るのがつらい、自分が潰されるようで」と、その存在の〝重さ〟について語っている。

「ニットに潰されないように、頑張って着る」とも。本来リラックスするためのニットなのに、「FICCE」のそれはある種の緊張感と覚悟を強いるのだ。まさしく「天才たけしの元気が出る洋服」! でも、そんな服を四六時中着続けるのは、いくらパワフルなたけしといえど、ちょっぴりしんどい、かもしれない。

もちろんニットのせいとは言えないけれど、そんな精神状態はブラウン管を通じて、ファンにも伝わってくる。1990年代初頭に『北野ファンクラブ』などで見せるトークの切れ味はあまりにも凄まじく、地方の高校生だった筆者にも、それがある種の躁状態、つまり「イッちゃってる」ことを伺わせた。

映画監督「北野武」の白いシャツ

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そんなタレントとしての絶頂期の真っ只中、ビートたけしにもうひとつのペルソナが生まれた。映画監督の「北野武」である。けばけばしいバラエティ番組のセットのなかで速射砲のように繰り出されるトークとは、まったく正反対にも思える静謐な映像とストーリーには、常に暴力と死の匂いが立ちこめている。そんな不穏な映画で主演を張る「ビートたけし」が着ているのは、もちろん「たけしニット」ではなく、いたって地味なダークスーツ。

モノトーンの装いだから、中に着た白シャツの存在感が妙に際立って、生きることに疲れた中年男の佇まいに、不思議な清潔感を漂わせている。中原中也の言葉を借りれば、それは80年代の狂騒の日々のなかで「汚れちまった悲しみ」に降りかかる、小雪のようなものだったのかもしれない。つまり無垢なる魂であり、恥じらいだ。

〝躁〟のコメディアンと、〝鬱〟の映画監督。衣装のオーラも借りながら、振り子のようにそのふたつのペルソナを行き来してきたビートたけしだが、そのバランスが完全に振り切れてしまったのが、1993年〜1994年頃だったように思う。1993年に公開された『ソナチネ』で、自死を選ぶたけしのまっさらな白シャツ姿は、あきらかに死装束であり、清々しいほどの絶望を表現している。そして翌年、とある女性タレントとのスキャンダルを釈明する会見に「たけしニット」姿で臨んだビートたけしは、鬼気迫るほどのトーク力で芸能記者たちをねじ伏せた。しかし、その数ヶ月後にはオートバイ事故で瀕死の重傷を負う。本人は当時の記憶はないというが、のちに「あの事故は自殺だったかもしれない」と語っている。

奇跡的に生還を果たしたビートたけしだが、その後の彼はお笑いタレントとしてよりも、映画監督や文化人としての活動に、やや比重を寄せていったように思う。徐々に「たけしニット」の柄は地味になっていき、日本経済の低迷や「FICCE」自体の凋落と軌を一にして、いつの間にか着ることもなくなった。2000年以降は、映画でもブラウン管でも、ダークスーツに白シャツというたけしスタイルが定着。公私ともに「ヨウジヤマモト」を着ることが多いようだ。死の世界に足を踏み入れかけたことで、コメディアン「ビートたけし」と、映画監督「北野武」の人格は、ほとんど同一化したのかもしれない。
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〝天才たけし〟の二面性ワードローブ

狂騒の「たけしニット」と、無垢なる白いシャツ。一見するとまったく共通点のないワードローブだが、その異常に振り幅の広いふたつのキャラクターを、奇跡的なバランスで同居させていたのが、1980年代の〝天才たけし〟だったように思う。

内なるエネルギーの足りない人間は、どんなパンツを合わせたところで、「たけしニット」の存在感に負けてしまう。そしてどれほどエネルギーを秘めていても、含羞のない人間が白シャツを着たら、嘘くさく見えるだけだ。そう考えるとこの2着こそ、本稿のテーマである「男前な服」の究極形、ということになる。もちろんわれわれ凡人が、そのふたつを同時に飼い慣らそうとしたって無駄。一生をかけて、やっとどちらかひとつをモノにできるかどうか、だろう。
              
てめえ、コノヤロー! オイラはオネエチャンにモテたくて着てただけなのに、ただのオッサンの服に適当な理屈をこねるんじゃないっての、バカヤロー!

おっと。どこかからあのハスキーな声が聞こえてくるから、野暮な解説はそろそろ終わりにしようかな。ジャン、ジャン!

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