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2020.12.26

■会田 誠/現代美術家

会田 誠「自然体で本性ダダ洩れぐらいの、諦めのカッコ良さもある」

日本を代表する現代美術家でありながら、その過激な表現から、これまで幾度となく批判にも晒されてきた会田誠さん。毀誉褒貶すら楽しみながら飄々と作品を発表し続けるしたたかな作家にとって大人の「カッコ良さ」とは何か?

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取材・文/井上真規子 写真/岸本咲子

先の見えない混沌とした現代にあっても独自のスタイルで覚悟をもって社会と対峙している大人たちを“カッコいい”という括りでご紹介してきた今回の特集。ご登場願うのは現代美術家の会田誠さんです。

美少女をアイコンとしたポップで華やかな表現とは裏腹に、ときに暴力的で、ときに猟奇的でもある過激な内容から、会田さんの作品はこれまで幾度となく批判に晒されてきました。

2012年に、森美術館で開催した大規模個展「会田誠展:天才でごめんなさい」では、現代美術ファンをはじめとした多くの人々から絶賛されると同時に、手足を切断した少女に首輪をつけた「犬」シリーズなどの作品が「児童ポルノで性的虐待を肯定する表現である」として人権団体から問題視されたことが話題に。

また最近では、京都造形芸術大学が主催した社会人向けの講義で、ヌード表現をテーマにした会田さんの講義に出席した女性が急性ストレス障害の診断を受けたとして学校法人に慰謝料を請求したニュースもメディアで度々、取り上げられました。

しかし、会田さんはそうした一部の批判や抗議を受けながらも、美術表現を通じて飄々と自らの意思を発信し続けてきました。挑戦的で、飽くなき求道者ともいえる会田さんの孤高の表現の奥には、どんなメッセージが隠されているのか? 今年の8月に刊行され、改めて多彩な表現領域を見せつることとなった、青春小説『げいさい』の制作意図と合わせて、伺いました。
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僕の作品はピエロが王様を皮肉っているようなもの

── まず、現代美術家という存在が一般の人には分かりづらいと思います。会田さんにとって、現代美術家とはどのような職業でしょうか?

会田 現代美術家は、境界線がとても曖昧な職業です。医師免許のようなライセンスもないですし、「私は現代美術家です」と名乗れば今日から誰でもなれる。ただ、美大を出て何十年もキャリアのある人でさえ、作品を売って生活できる人は限られています。そうした収入面を含めて非常に不安定な職業であり、安心感は決して得られないのがこの業界の特徴かもしれません。

僕自身は、その不安定なところに割と幸せを覚えるんですね。今は生活に困らないだけのお金を得られていますが、日本で現代美術家という職業を選んだ時点で、相当リスキーな人生の選択をしたなと思います。ただ、そこにすごい決意があったのかというとそうでもなくて、たいして深くは考えてなかったのですが(笑)。

── 現代美術の特徴として社会批評的な要素があると思いますが、会田さんの作品も今の社会の常識や良識のあり方に一石を投じるものが多いですよね。

会田 僕のようなタイプのアーティストは、「ピエロ型」や「トリックスター」みたいなジャンルと言えると思います。確かに作品を通して、社会をいじっているんです。ピエロが王様を皮肉ったり、硬くなっている部分をかき回したり、というイメージに近いかもしれません。そうやって空気の通りぐらいは良くなるかな? と思って取り組むのが、僕や僕的なアーティストの仕事だと思っています。

無責任と言われれば無責任かもしれないですが、責任のあるやり方をするなら議員になって法律を作るとか、NPOに入るという選択肢を取ればいいわけです。僕自身にそういう真面目さはなく、遊んでいるような部分もあって、この世の善とかを具体的に目指しているわけではないんですね。
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三島由紀夫の激しいスタイルを借りながら、読んだらへなちょこ!?

── “社会をいじる”ということで、東京都現代美術館の企画展で、会田家連盟で発表された文科省に物申す「檄」という作品が浮かびました。(来場者からクレームが入り、最終的に美術館側から撤去を要請された)会田さんはどういう想いで制作されたのでしょうか。

会田 息子が公立中学に通っていた頃、家族展の話が来て、息子の存在を中心に据えた作品を作りたいと思って制作しました。息子は当時、学校の文句をよく言っていて、それを作品にするなら? と考えた時に、特定の中学校へ宛てた文句ではパブリックな作品として違うなと思ったんです。それで、総元締めである文科省に宛てたものにしようと。

白布に毛筆で書くスタイルは、偶然今日(取材日は11月25日)命日である三島由紀夫の「檄」を借りたものです。三島のあの激しいスタイルを借りながら、読んだらへなちょこ、っていうギャップを楽しんでもらおうという意図もあって。僕らの檄文の内容は「なぜ重たいカバンを持って通わないといけないんだ」とか「もっと教師を増やせ」とかいうようなことで、そんなに過激ではありません。実際に文科省は迷走しているし、省庁や官僚も劣化している気はしますが。

── 三島由紀夫は以前から好きだったのですか?

会田 そうですね。三島は最期の数年間は段々と思いつめて、腹を切った長さも長すぎるぐらい本気だったわけですが、もう少し余裕がある頃に書いた作品には皮肉なユーモアなんかも多かったんです。三島っていう人は真面目なだけじゃなくて、もうちょっとややこしい人であった。フェイクやキッチュといった感覚や、ナンセンスの素晴らしさとか、いろいろわかっていた。僕は高校の時からそういう三島の全体像から多くの影響を受けてきました。
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社会的善より芸術的不真面目さを持ってやる方がいい

── 本気で社会を批判することが目的なのではなく、楽しんでやっているという感じでしょうか。

会田 そうですね。10年前くらいから、アーティストが社会改善運動的な活動をするソーシャリーエンゲージドアートというカテゴリーが盛んです。社会を良くすることに焦点を絞っていて、ある意味物体としてのアート作品の良し悪しなんてどうでもいいという姿勢。もはやアートと呼べるかわからないような感じです。僕は、その潮流には乗れないですね。

人がやっているソーシャリーエンゲージドアートを批判したいわけではないですが、僕はアートという枠組みの中でもっとも効果をもたらすためには、社会的善へ向いてやるのではなく、芸術的な不真面目さをもってやる方がいいと考えています。

このことに関して、僕は若いアーティストの友人と対立することがあります。例えば路上生活者や引きこもりなどをテーマにしているW君とかと。議論してもお互い平行線のままで、結論は出ないのですが、きっとどちらも正しいんじゃないですかね。

色気のない僕は本当の自堕落と破滅を選ぶことができない

── ご自身の作品が度々問題視されることについてはどう感じていますか。

会田 僕の作品は特にネットで色々悪口を言われたりしていますが、僕自身は一応まだお縄にかかっていません(笑)。森美術館の個展「天才でごめんなさい」の作品について、市民団体からクレームが入った件も、僕ではなく森美術館に向けられたものだったし、京都造形芸術大学での講義に対して起きた訴訟も僕自身が訴えられたわけではないです。

現代美術において、具体的な被害者が生まれる表現というのは確かにあります。あるいはちょっと前の中国では、堕胎した赤ん坊をみんなで食べるといった人間失格の限界に挑むような現代美術のムーブメントがあったりしました。でも、僕はそういうアーティストとはタイプが違います。過激そうでいて、あくまでも絵空事の中だけでやってます。どちらが良いとか悪いとか言いたいわけではなく、事実としてそうなんです。

僕は、両親も親戚も全員教員という環境で育ちました。これは僕の自己嫌悪ゆえの少し歪んだ認識だと思いますが、僕のような家庭で育った人間はどうも色気がないという持論があって。安定した家で育った色気のない僕は、本当の自堕落と破滅とか、ラディカルな人生を選ぶことができないんです。そういう本当はおっとりした性質は、良かれ悪しかれ僕の作品から滲み出ていると思います。
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だらしなく酒を飲んで、夜の盛り場でグダグダと過ごしてみた

── 「色気」について、もう少し詳しく教えてください。

会田 僕自身の小さな個人データによると、家が水商売や組関係、あるいは自営業などで、ある種不安定な家庭で育った人は、湿り気と影をまとっているような気がします。芸能人もそういう方が多いですよね。一か八かやらなきゃダメ、人生は冒険的なものだ! と教えられて育ったような人ですね。モテる男女を見ていると、どうもそういう傾向があるな、と。

そういうことから僕の思春期の自己認識では、安定した家庭で育った自分には色気がない、それは悪いことだから、色気は自ら作らなければいけないと思っていました。だから、とりあえずだらしなく酒を飲んで、夜の盛り場でグダグダと過ごして、終電逃して、朝まで路上で雑魚寝するとか、思いつくことを頑張っていました。今でも、楽しみは紙パックの日本酒をストローで吸いながら近所をブラブラすることですけど(笑)。

そう言うプチ無頼派みたいなことをすれば、自分に人生の影と色気が出るんじゃないかと頑張っていたわけです。でもやっぱり嵩が知れていて、そんなに色気のある人間にはなれなかったわけですが(笑)。

自分の本性ダダ漏れでいいや、みたいなのもカッコいい

── そんな会田さんがカッコいいと思う人物を教えてください。

会田 一般的に、カッコいいというのは、頑張った結果ですよね。例えば筋トレして体型を整えたり、服をお洒落にしたり、背筋をピンと伸ばして歩いたり。そういうシャキッとしたのがカッコいいと思う一方で、だらしない、または諦めて自然体、自分の本性ダダ漏れでいいや、みたいなのも僕はカッコいいと思うんです。

そう考えながら文化人を思い浮かべてみると、名を残した文化人はみんなカッコいいと思えてきて。名を残したけれどカッコ悪いアーティストを探す方が大変ですよ。強いて探せば、時々僕がけなす黒田清輝や平山郁夫になりますかね。

彼らは、国家が褒め称える芸術家の最高位みたいな所に辿り着いた人たちで、自らの芸術の道を追い求めるより、権力を選んだような側面があったと思います。それはカッコ悪いと思います。

── カッコ悪いと言えば、今の日本社会や政治家についてはどう思いますか。

会田 首相に限らず日本の政治家たちは、風貌もそうだけど、魂レベルでリーダー性のなさを感じます。日本は、よりによってリーダー性が一番ないような方々が出世する世の中ですよね。首相も、その人物の求心力ではなく、上位集団の多数決的な集合の合意によって選ばれている。これは安全パイを選ぶ社会システムが行き着いた一つの姿なのでしょう。

だから政治選択について大きく間違うことはないけれど、未来に対して冒険したり、危機的状況でピンチを脱するための大胆な決断などはできないし、今日をなんとかしのげばいいという考えになっているわけです。もちろん歴史の反省から、カリスマ的なリーダーをもつのは危険という考えもあってのこととは思いますが。とはいえ日本は、やっぱり未来へのいい材料はほとんど感じられないですよね。
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自分の体の発するシグナルに見合った作り方をしていきたい

── 今年の8月には小説『げいさい』を出版されました。美大受験生の青春を描いた小説をこのタイミングで出版された理由は?

会田 実は僕が美術家としてデビューしたての30歳の頃、美術界に一石を投ずるつもりで書き始めた作品なのですが、途中で挫折してしまい、重くのしかかる人生の宿題みたいになっていたんです。最近、少し時間と心に余裕が出て、ようやく書き上げることができました。ただ、本当は新人作家の立場で出したかった。1986年を舞台に描いたノスタルジー的読み物みたいになりましたが、それはちょっと不本意な状況ではありまして。実際僕と同世代の方からの「懐かしい」というコメントが多いんです(笑)。

内容は、予備校や美大、その後見聞した材料を組み合わせて使っていますが、僕の実際の体験談は5%くらい。ドラマに展開を持たせるために登場させた「自由に描きなさい」という東京藝術大学の入試問題も、実際は僕の代ではなく下の学年の入試で出題されたものです。純粋に青春小説として楽しんで読んでもらえたらいいのですが、ついでに、今日本の美術界にいる人間というのはこんな青春期を過ごして、こんなことを考えていたのか、ということが伝わればいいなというのが、僕の密かな目論見です。
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── 今後はどのように活動されていくのでしょうか。

会田 LEONの読者さんと同じように僕も中年になってきて、若い時よりアイデアの量や仕事に対するエネルギー量が、少しずつ減ってきたと感じています。その原因の一つは、好奇心の減退だと思います。いいニュースや悪いニュースに対する感受性が鈍くなって、いちいち怒ったり、感動したり、不安に駆り立てられたり、ということが少なくなってゆく。新しいアイドルや流行りの漫画など、時代に対するアンテナも弱くなってくる。

世の中には老いてますます盛ん、若い頃と変わらず好奇心ビンビン! みたいな素敵な方もいますよね。でも、普通は30代くらいで感受性を使い果たして「鬼滅の刃」とか言われても……となってくるわけです(笑)。僕自身もそうして少しずつ枯れてきていて、でもそれでいいと思うところがある。人間は自然体がいいと思っているので、流れに身を任せるのもいいんじゃないかと。

だから美術についても、自分の体の発するシグナルに見合った作り方をしていきたいんです。時代に呼応して芸術作品をタイムリーに作っていくという役割も、ゆっくりとですが若手に譲っていくつもりです。誰かがやるべきことですが、若手を押しのけて中年の僕がやる必要はないわけで。

これからは時代に向き合うようなアクチュアルでヒリヒリとしたものから、少しずつ浮世離れした、最終的には仙人的な作品を作っていこうと思っています。ただ例えば夏目漱石なんかが生きた時代と比べて、現代人は幼稚で、僕は55歳になりましたが、精神年齢はまだ当時の40歳ぐらいだろうと思うので、そういう意味ではもう少し頑張るつもりではいますが。

最後は意外な“枯れ”発言に驚かされましたが、具体的な仕事の予定を伺うと、今後も次々と大きな作品が予定されているようで。どうもその言葉通りに受け取ることが憚られるのです。その、人を惑わせる諧謔と自虐も含めてすべてが会田誠というトリックスターの作品なのだと改めて感じずにはいられないのでした。恐るべし、会田誠。

●会田 誠(あいだ・まこと)

現代美術家。ミヅマアートギャラリー所属。1965年、新潟県出身。1991年、東京藝術大学大学院修了。絵画のみならず、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画、都市計画を手掛けるなど、表現領域は国内外多岐にわたる。2012年、森美術館で大規模個展「天才でごめんなさい」を開催。2013年、第8回安吾賞受賞。2014年、フランス・ナントのブルターニュ公爵城や鹿児島県の霧島アートの森など、国内外で個展を実施。2018年には「GROUND NO PLAN」で都市のヴィジョンを提案。著書に『青春と変態』『ミュータント花子』『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』『げいさい』など多数。

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