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2026.10.04

第20回 山本美憂【vol.02】

美しい人、山本美憂。「オリンピックに行っていたら、RIZINには出ていなかったし、ボクシングもやっていなかった」

大人の女性の美しさに迫るグラビア連載「美しい人」。今回ご登場いただいたのはレスリング選手を経て現在はプロボクサーとして活躍する山本美憂さんです。50歳を過ぎて尚、鍛え抜かれた美しい身体を維持する美憂さんのストイックな美しさに迫りました。その第2回です。

CREDIT :

写真/野口貴司 スタイリング/MOUSE ヘアメイク/NoLi 文/渡邉朋子 編集/森本 泉(Web LEON) プロデューサー/Kaori Oguri

山本美憂 美しい人 LEON 小栗香織 野口貴司

多くの俳優やタレントをプロデュースし、自身女優でもある小栗香織さんをプロデューサーに据え、豊かな人生経験を持つ女性たちの、内面から醸し出される“大人の美しさ”に迫る、ファッションと融合した新しいグラビア企画「美しい人」。


今回ご登場いただいたのはプロボクサーの山本美憂さんです。日本と世界の女子レスリング界で圧倒的な強さを誇ってきた後、42歳でMMA(総合格闘技)に転向し「RIZIN」に参戦。 2026年3月にはオーストラリアのシドニーでプロボクシングデビューし、9月の第2戦で52歳にして初勝利を飾りました。今回は、その奇跡の格闘技人生を叶えてきた、美憂さんのストイックな美しさに迫る第2回です(第1回はこちら)。

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【Interview02】

長く生きていると思い通りにいかないことはいくらでもある。でも、それが次の何かに繋がると信じて……

── 美憂さんは1995年、21歳の時に最初の引退をされ、その後も復帰や引退の機会がありましたが、その都度、迷いや葛藤を感じることはなかったですか?


山本美憂さん(以下、山本) 私はこれまで3回、引退と復帰をしているんですけれど、引退する時はいつも、自分でもうやり切ったと満足して引退していたので、最初の時も結婚や出産が理由だったわけではないんです。復帰はいつも、父親から「聖子の練習相手がいないから来い」と呼ばれたのがきっかけでした。レスリングって練習相手をする時でも中途半端な動きだとケガに繋がるので、現役選手と同じぐらいの練習量をこなすんです。するとそのうちに、これだけ動けるならついでに試合に出てみようという感じでいつの間にか復帰しているんです。


── 美憂さんは今までに4回の結婚を経験されていますが、アスリートとしての人生とは別に個人としての人生もあると考えた時に、結婚についてはどう捉えてきたのでしょう?


山本 それは4回経験していてもいまだにわからないです(笑)。自分の歩んできた人生なので失敗だとは思わないけれど、長く続いていないということは、自分にも問題があったと思うし、2人の相性の問題もあっただろうし、いまだに結婚はわからないです(笑)。

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── ちなみに今は結婚願望はないですか?


山本 1回目の時はありましたけど、その後はいつも「結婚はもういいや!」と言いながら結婚しているので、今は「もういい!」とかも言わず、かといって結婚したいというわけでもなく、もう「わかりません」って何も言わなくなっています(笑)。


── 長男のアーセンさんは、美憂さんと同じくレスリングから総合格闘技の道へ進まれましたが、4歳でレスリングを始めた時から英才教育をしたいという思いがあったのですか?


山本 それは勢いというか、自分が当時、ジムでキッズレスリングのクラスを持たなきゃいけなくなったんです。でも最初はまだ生徒がいないから、幼稚園生のアーセンと、同じ幼稚園で近所に住んでいた中村倫也くんという、今は、UFC(アメリカの総合格闘技団体)の選手になっている子を部員集めのように無理やり連れて来てやらせていたんです(笑)。

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── じゃあ、もともとはずっとレスリングをやらせるつもりではなかったんですね。


山本 はい。そしたら2人がみるみる強くなっていったから、私もすごく厳しくなって。息子からすると相手はお母さんだし、指導も怒られている気がして嫌だっただろうし、かわいそうだなと思って。途中から違うコーチをつけて、私は指導からは外れました。


── アーセンさんは、中学1年生でハンガリーにレスリング留学をされていますが、母としては勇気のいる決断だったのではないですか?


山本 レスリングをやる上で、早い段階でオリンピックを狙わせたいと思っていて、本人もそう言っていたんですけれど、周りは「中学に入ったばっかりでオリンピックなんて」という感じで、ちょっと温度差があるなと感じたんです。それでレスリング協会の会長に相談したら、会長の知り合いがハンガリーにいるということで。

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── それでハンガリーへの留学が決まったんですね。


山本 でも、いざ決まった時に、“いや、ちょっと待って。まだこの子を行かせるのは早い”と急に思って、泣きながら「やっぱやめよう。まだ早い。あと3年我慢しよう」とアーセンに言ったんです。でもアーセンは「行く」と言うので「本当に本当に寂しいよ」と訴えたんですけど「いや、もう決まっちゃったし」みたいな感じで。


でも彼も相当寂しい思いをしたと思います。寮には管理人さんとか誰かしらはいるけれど、土日はみんな実家に帰っちゃって夜は真っ暗な中で1人だから、その頃はずっとskypeで話をしていました。


── 3人のお子さんの母として、母親業と格闘技をどのように両立させていたのですか?


山本 両立はしていないです(笑)。たぶん両立しようとしても無理があるし、母親業としてはできていないことがたくさんあると思うんですけど、子供たちが自分たちで頑張ってくれたり、周りの人の支えや協力があって、なんとかやってこれたのかなと思います。

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── 2013年にはカナダのトロントに拠点を移されましたが、それは何故ですか?


山本 次男と末っ子である長女を連れて行きました。親は「今、行かなくてもいいんじゃない?」と言っていたんですけど、その時もやっぱり聖子の相手をしていて、私自身、どうしてもレスリングで復帰したかったんです。でも自分が復帰するとなると、日本では色々なしがらみもあるので、じゃあ海外に行こうと思って。カナダはトレーニング環境もいいし、子供たちを練習場に連れて行っても全然OKで子育てもしやすかったんです。


── その流れからカナダ国籍で2016年のリオ五輪を目指すことになったのですか?


山本 その前のロンドン五輪で日本代表になれず、いつもだったらそこで、“もういいかな”と諦めていたけれど、その時はまだレスリングをやりたかったし、毎日これだけ練習をやって体も動くのに、オリンピックがないからといってやめるのはもったいないなと思ったんです。


そうしたらコーチに「せっかくだったらカナダ国籍をとって、カナダ代表で次のオリンピックを狙え」と言われて。国籍を取るのに10年以上かかる人も大勢いるなか、私は2週間で取れて、いまだにすごい運だったなと思います。結局、オリンピックには出られなかったけれど、そういう巡り合わせもあったので、今もカナダ国籍のままなんです。

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── 実力の問題ではなく、書類の手続き上の理由で出場が叶わなかったそうですが。


山本 予選の計量前日に国籍が取れて、コーチに「急いで体重を落として来い!」と言われて飛行機で4時間ぐらいかけて計量に行ったんですけど、そこで「国籍はあるけどパスポートがないじゃないか」というワケのわからない理由でダメになってしまい……。後でよく見たらそんなルールはなくて、コーチが弁護士にも相談してくれたんですけど、結局、覆ることはありませんでした。


── なんとも悔しい話ですね。


山本 その時は悔しかったけれど、長く生きていると思った通りにいかないことっていくらでもあるじゃないですか。それも次の何かに繋がるために起きているということを、それまでに何度も経験してきていたから、悔しかったけどカナダの国籍が取れたし、たぶんこの先の何かに繋がるんだろうな思っていたらRIZINの話が来たんです。

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── そこで悔しさを引きずらず、次に繋がるきっかけと捉えられるのはすごいですね。


山本 それまでの経験がなかったら絶対に無理です。ただ、母親が亡くなったこと、弟が亡くなったことはいまだに繋がらなくて、それだけはわからないです……。


── 美憂さんのお名前は父である郁榮さんが出場されたミュンヘンオリンピックのミュンヘンから名付けられたそうですが、美憂さんにとってオリンピックとはどういうものでしたか?


山本 父も行っていたし、父の職場の日体大もオリンピック選手だらけで、そういう中で育ってきていたので、オリンピックはすごく身近にありました。身近にはあったけど、自分は縁がなかったですね。でもオリンピックに行っていたら、きっとRIZINには出ていなかったし、RIZINがなかったらボクシングも今やっていなかったと思います。

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● 山本美憂(やまもと・みゆう)

1974年8月4日、神奈川県生まれ。8歳の頃から弟・徳郁、妹・聖子と共に、ミュンヘン五輪レスリング日本代表だった父・山本郁榮の指導を受ける。13歳で第1回全日本女子選手権44kg級で優勝。その後、4連覇を果たすも年齢制限により世界選手権の出場が認められず。1991年に17歳で世界選手権に初出場し、史上最年少優勝。1994年、1995年には連覇を果たした。その後、3度の引退と復帰を経て、カナダのトロントに拠点を移す。2015年にカナダ国籍を取得し、カナダ代表として2016年のリオ五輪を目指すも出場は叶わなかった。その年、42歳でMMA(総合格闘技)に転向し「RIZIN」に参戦。さいたまスーパーアリーナ大会の対RENA戦でデビュー。通算14試合を戦い、2023年に引退。2026年3月にはオーストラリアのシドニーでプロボクシングデビュー。惜しくも判定負けを喫すも、長谷川穂積氏のもとで日々トレーニングを積み、国内デビュー戦となる 9 月 15日に行われた第2 戦では3R にTKO勝利を収め、ボクシング初勝利を飾る。

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