
多くの俳優やタレントをプロデュースし、自身女優でもある小栗香織さんをプロデューサーに据え、豊かな人生経験を持つ女性たちの、内面から醸し出される“大人の美しさ”に迫る、ファッションと融合した新しいグラビア企画「美しい人」。
今回ご登場いただいたのはプロボクサーの山本美憂さんです。天才レスリング少女として14歳から4年間、全日本女子選手権、世界選手権で勝ち続けるも年齢制限でオリンピックには出場できなかった美憂さん。その後も世界で活躍し、3度の引退と復帰を経て42歳でMMA(総合格闘技)に転向し「RIZIN」に参戦。 2026年3月にはオーストラリアのシドニーでプロボクシングデビューし、9月の第2戦で52歳にして初勝利を飾りました。今回は、その奇跡の格闘技人生を支える強靭な身体を維持してきた美憂さんのストイックな美しさに迫りました。





【Interview01】
高1まで年齢制限で世界選手権に行けず、2番手の選手がメダルを獲るのをいいなぁと見ていた
── 美憂さんは子供の頃、レスリング以外にもいろんな習い事をされていたそうですね。
山本美憂さん(以下、山本) 親がいろいろ習い事をさせる人で、器械体操、クラシックバレエ、ヴァイオリンをやっていました。レスリングは小学2年生の終わりからだったんですけど、途中でフィギュアスケートを少しやって、その後はずっとレスリングでした。
── 最終的にレスリングを選ばれたのはなぜですか?
山本 自分に一番向いていたというのと、父親が指導者だったので密に教えてもらえてコミュニケーションも取れるから、進歩が早かったんですよね。
── お父様の山本郁榮さんはミュンヘンオリンピックで日本代表になるほどの名選手だったので、指導も厳しかったのではないかと思いますが。
山本 厳しかったですね。私も相手が親だから甘えが出て、怒られて口答えしてはまた怒られて。泣いて飛び出そうとする私を母が止めることもしょっちゅうでした(笑)。

── 弟のKID(山本“KID”徳郁)さんは美憂さんより先に指導を受けていたそうですが、美憂さんのほうが反発することが多かったんですか?
山本 うちの弟は父に何か言われたり怒られても、意外とちゃんと「はい」と聞く、めっちゃいい子なんです。だから私の問題児ぶりが目立つんですよ(笑)。
── そういう負けん気の強さも競技においては必要な資質かと思いますが。
山本 でも私は競技に対しての負けん気みたいなものはあまりなかったんですよね。レスリングもやっぱり弟のほうがうまかったというか、もっと器用な感じで、弟の試合を見ては「ああいうことができるようになりたいな」と密かに思ったりしていました。小学生の頃に一度、弟が試合中に腕を骨折したことがあったんですけど、痛いはずなのにバンバン点数を取っていくんですよ。それを見て、やっぱりスピードがあると違うんだなって。
── 美憂さんはレスリングのどんなところにおもしろさを感じていたんですか?
山本 遊びみたいな感覚の楽しさはなかったですけど、教えてもらったことに関しては自分のやりたいような動きができていたから、それに満足していたんだと思います。

── やはり天性の才能があったんですね。
山本 それはたぶん、うちの父親が子供たちそれぞれの性質というか、何が得意かというのをよくわかっていたからだと思います。私と弟はスピード、妹はスピードよりも力が強いからそれを活かしたスタイルという風に教えてくれていたんです。
── それでは、最初から試合で負けることはなかったんですか?
山本 でも、一番最初の試合は3位ぐらいだったんですよ。その後はけっこうずっと優勝していたんですけど、まぁ子供の大会ですからね。
── 負けた時はやはり悔しさもありましたか?
山本 やっぱり悔しいです。悔しい、悲しい、泣くみたいな(笑)。
── 戦うことに対する恐怖心などは最初からなかったのですか?
山本 レスリングはもう完全に「競技」なので、全然戦いとかいう感覚ではないんですよ。もちろん戦いではあるんだけど、相手に点を取られないようにとか点数の取り合いという感じなので、パンチが飛んでくるとか格闘技みたいな怖さは全然ないです(笑)。

── 美憂さんの中で、今もお父さまの教えが生きていると感じる部分はありますか?
山本 ひとつのことを習得するのに、父は何回も何回も反復練習をやらせるんですよ。子供の頃はすごく嫌だったけど、大人になってみて、それがすごく大事だというのがよくわかる。父親が私に教えてくれたことをちゃんと試合で出すためには、地味だけど、何回も練習を重ねる必要があって、やり続けると意識しなくてもそれが自然と試合に出てくるようになるから、結局そういうことなんだなって。
── やはり郁榮さんは美憂さんにとって憧れの存在ですか?
山本 憧れというか、いつかは自分もそうなりたいなとは思っていたんだと思います。コーチとしてもすごく面倒見がよくて、選手が万全な状態で戦えるように、みんなをご飯に連れて行ったり、学生でお金がない子は遠征に行けないから、その分の費用も全部負担していたんです。そういう姿を見て、選手を育てるってここまで面倒を見るものなんだなとすごく勉強になりました。そういうことが当たり前だったので、うちは小さい頃から日体大の学生がしょっちゅうご飯を食べに来てお風呂に入って帰ったり、毎日誰かしらいたので、家族だけでご飯ということはほぼなかったですね(笑)。

▲ 衣装はすべてスタイリストの私物
── 今でも郁榮さんからアドバイスなどを受けることはありますか?
山本 もうしょっちゅう怒られてます、「ちゃんとしなさい」って(笑)。父親の中では私はいまだに子どもなんですよ。ノリ(弟のKIDさん)は男の子だから「はい」って聞くし、聖子はアメリカにいて日本にいないし。私が一番そばにいて一番怒られてきたので、そこは昔も今も変わらないですね。本当に何回も同じことを言われるから「もうそれ聞いた!」と言うと、「お前は何回言っても忘れるし、できてないから言ってんだ!」と子供の前でも普通に怒られるので、本当にやめてほしいです(笑)。
── そんな熱血指導もあり、美憂さんは子供の頃から頭角を表し、全日本女子選手権では13歳から4連覇しながらも、年齢制限で世界選手権に行けないという状況もありましたが、早く世界に行きたいのに行けないというもどかしさなどはありましたか?
山本 ありました。日本だともう勝つのが当たり前みたいな感じで、高1までは2番手の選手が世界選手権に行ってメダルを獲ったり優勝していたのでと、いいなぁと見ていました。早く世界に行きたかったし、海外に行きたい! と思っていましたね。

── その後、17歳で初めての世界選手権で優勝した時はどんな気持ちでしたか?
山本 ずっと待って待ってという感じだったので、やっとだ! と思いました。その後すぐ、違う世界に住んでみたいという思いでアメリカにレスリング留学をしました。
── 世界選手権での優勝により、強さだけでなく美貌に注目が集まることも増えたと思いますが、ご本人としては世間の反応をどのように受け止めていましたか?
山本 私の少し前ぐらいに小谷実可子さんが綺麗なアスリートとして注目をされていて、たぶんそこからアスリートで少しでも目立つと取り上げられるようになった内の1人だったんだと思います(笑)。でも別にそれで普段の練習が何か変わるわけではないので、特にプラスもマイナスもなかったですね。カメラ小僧とかも全然いなかったし、特にファンもいなかった気がします(笑)。

● 山本美憂(やまもと・みゆう)
1974年8月4日、神奈川県生まれ。8歳の頃から弟・徳郁、妹・聖子と共に、ミュンヘン五輪レスリング日本代表だった父・山本郁榮の指導を受ける。13歳で第1回全日本女子選手権44kg級で優勝。その後、4連覇を果たすも年齢制限により世界選手権の出場が認められず。1991年に17歳で世界選手権に初出場し、史上最年少優勝。1994年、1995年には連覇を果たした。その後、3度の引退と復帰を経て、カナダのトロントに拠点を移す。2015年にカナダ国籍を取得し、カナダ代表として2016年のリオ五輪を目指すも出場は叶わなかった。その年、42歳でMMA(総合格闘技)に転向し「RIZIN」に参戦。さいたまスーパーアリーナ大会の対RENA戦でデビュー。通算14試合を戦い、2023年に引退。2026年3月にはオーストラリアのシドニーでプロボクシングデビュー。惜しくも判定負けを喫すも、長谷川穂積氏のもとで日々トレーニングを積み、国内デビュー戦となる 9 月 15日に行われた第2 戦では3R にTKO勝利を収め、ボクシング初勝利を飾る。
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