2026.01.25
河瀨直美監督インタビュー【後編】「自分自身は愛だと思っているものが、相手にとっては暴力に変わることもある」
『萌の朱雀』(1997)や、『殯の森』(2007) などで世界的な評価を得ている映画監督・河瀨直美さんにインタビュー。劇映画としては6年ぶりとなる最新作『たしかにあった幻』が生まれた経緯から、監督が創作に込める切なる思いまで、たっぷり伺いました。その後編です。
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文/浜野雪江 写真/ジェームス・グレイ 編集/森本 泉(Web LEON)

家族やいのちをテーマに映画を創り続け、観た人の心に豊かな感情と深い問いかけをもたらす作品群が、カンヌ国際映画祭グランプリなど世界的な評価を得ている映画監督の河瀨直美さん。その最新作『たしかにあった幻』が2月6日(金)に公開されます。
ご自身の人生の大きな分岐点について語ってくれた前編(こちら)に続き、後編では河瀨組の特徴ともいえる“役積み”の話を始め、河瀨さんが現場をまとめあげるために大切にしていることや、創作に込める切なる思いを伺いました。
みんな、「本当は主役でやりたいけど」と言いながら、なんとか参加してくれた
── 本作でフランス人の医療従事者である主人公のコリーを、ヴィッキー・クリープスさんに任せたいと思われたのはなぜですか?
河瀨直美監督(以下、河瀨) フランスで俳優として活動する5人の女性とお会いしましたが、ヴィッキーはとてもユニークな感性を持っていると直感したのと、何より彼女はリアリティの塊だったからです。彼女自身も大切な人を亡くす経験をしていて、その方が日本通だったこともあり、オーディション中に話しながら涙する瞬間もあって、縁が絡み合うのを感じました。
── コリーの恋人で、ある日突然姿を消してしまう迅(じん)役の寛一郎さんとも何かそういうものがあったのでしょうか。
河瀨 寛一郎さんは10代でロサンゼルスに留学していて、即興で英語が話せるというのも大事なポイントでしたが、お会いして対話を重ねる中で、彼ならばと確信するに至りました。
── 屋久島で写真を撮りながら生活していた迅は、神戸のコリーの部屋で一緒に暮らし始めるものの、やがて姿を消します。とても繊細で感覚的な迅を演じてもらうにあたり、寛一郎さんとは事前にどのような話し合いをされたのでしょう。
河瀨 もちろん私の場合は、俳優さんとは恋愛や結婚、自分のキャリアを伸ばしていくことについての考え方など、プライベートなことも含めていろいろな話をします。
寛一郎さんとは屋久島へも行って、山内悠くんという、屋久島をテーマに写真を撮っている写真家の方と一緒に山に登り、写真家の目が屋久島の神秘的な風景の中で何をとらえ感じているかを伝えてもらったり、寛一郎さん自身にも体感してもらうなど、撮影以前のキャラクターとしての“役積み”はかなりやってもらいました。

── 監督の現場は、俳優陣が事前に撮影地に入り、役として生きる経験を経て撮影に入ることが知られています。本作ではその積み重ねがどのように活きたと感じていますか?
河瀨 例えば、今回の映画で、子供が入院生活を送る親子のために、病院に手作り弁当を届ける活動をする弁当屋のめぐみと亮二夫妻を、(尾野)真千子と北村(一輝)くんが演じてくれています。
このふたりは物語を水面下で引っ張っていくキーパーソンですが、真千子がすごかったのは、亡くなった息子との闘病生活を思い出しためぐみが、「ホンマにな、出口が見えない」と言って言葉を詰まらせ、天を指さして「あの子のな、命日やねん」と涙するところ。
あのシーンは、本来は別々のシチュエーションで2つのシーンとして撮るはずだったのを、本番で真千子がひとつにしたんです。真千子のことは15、6歳の時から知っていますが、役の背景も感情も全部自分の中に入れちゃうので、感情がそうなってしまって一気に出ちゃったんだと思います。
北村くんも、本当に忙しい中、事務所の社長にかけあってまでスケジュールを確保してくれて、阪大病院で移植を待つご家族の現状を一緒に見させていただいたり、モデルになったお弁当屋さんのキッチンカ―で一緒にお弁当を作るなど河瀨組の役積みをして、その人そのものになってくれました。
── 物語の終盤では、脳死状態となった息子の臓器提供に同意するドナー側の親の姿も描かれます。
河瀨 構想の段階でレシピエントのほうを描こうと決め、助監督たちと脚本を開発していく過程で、やはり最後はドナー側の家族も描かないと、観客の皆さんにちゃんと伝えられないんじゃないかと思い、ドナーの父親として永瀬(正敏)くんに立っていただきました。
永瀬くんには、私がプロデューサーを務める「なら国際映画祭」で、2018年に学生映画部門の審査員をしてもらったことがありますが、実はその数日前に樹木希林さんが他界されました。おふたりが共演した『あん』(2015/河瀨作品)でいうところの、千太郎にとっての徳江さんが亡くなった。また、同時期に実母も亡くされるという経験をされました。
永瀬くんは今回、大きな仕事があった中でそちらを断って数日だけのこちらの撮影に参加してくれたのですが、あの時期の永瀬くんの横に私はいさせてもらえて、彼の喪失感を感じ取っていたのと、実は永瀬くんの実弟が幼少の頃、心臓病で亡くなっているんですよね。そんな流れから息子を見送る役を全身全霊で引き受けてくださいました。演じてもらった雅也は、永瀬くんの出身地である都城(宮崎県)の方言でセリフを話しているんですが、あのシーンは本当にすごかったです。
みんな、「本当は主役でやりたいけど」と言いながら(笑)、なんとか時間を作って参加してくれてありがたかったですし、その数日の濃い時間を完璧なまでに自分のものにして、予想以上のものを出してくれました。

批判や憎悪といったネガティブな感情は、漠然とした不安感や見えないものへの恐怖
── 1本の映画を作るには本当に大勢の人が関わっていると思いますが、そのすべてをまとめあげていくために、河瀨監督が一番大切にしていることは何でしょうか。
河瀨 最初の頃は、ちゃんと指示を出し、監督として何かをしなければいけないと思っていましたが、今はまったく逆で、スタッフたちがより良く仕事ができ、クリエイティビティを発揮できる「場」を作ることが私の役割だと思っています。
素晴らしいスタッフたちの100の力を200に変えるのは、その「場」なんだろうなと思っています。だから、その時撮れたショットなど、上がってくるものに対するジャッジはしますけど、事前にこうしてほしいというような指示はあまり出さないです。「こういう風にしたい」というのは、脚本を読んでみんながそれぞれに考えているので。
ただ、うちのチーフ助監督は、「とは言ってもあなたは、絶対的な何かを望んでいるはず。だから僕はあらゆる可能性に対応する準備をしておく」と言ってくれています。
── 何よりも双方の信頼関係のもとに「場」が成り立っていると?
河瀨 それはそうですね。同じ方向を向いていないとそれはできないし、そもそも違う方向の人にこっちを向いてもらう時間や労力が必要になってくるので、事前に同じ方向を向いて仕事をしてくれる人かどうかは、スタッフィングする際にじっくり話して判断します。
── 映画の冒頭に出てくるメッセージ「愛とは個の喪失である」は様々に解釈しうる言葉だと思います。昨年10月に大盛況のうちに幕を閉じた大阪・関西万博で、河瀨さんが手がけた対話のパビリオン「Dialogue Theater~いのちのあかし~」の校舎の窓にも書かれていたこの言葉を最初に置いたのはなぜでしょう?
河瀨 愛の形について、人類はずっと以前から様々に表現し続けているけれども、それがなんであるかということに正解はなくて。自分自身の感情として愛だと思っているものが、相手にとってみたら暴力に変わったりすることもあるし、愛というのは時に、戦争をも引き起こすと思うんです。
私自身が感じているのは、愛を渡すということは、自分自身を失うことでもあるなということで。個の喪失というと、一見、ネガティブなもののように見えるかもしれませんが、考えようによっては、それを分け与え、お互いに交換させるということでもあるので。
映画には出していないのですが、「愛することは、どちらのものともつかない幸せを共にすること」という対の言葉もあります。映画を観た方が、コリーの経験や、彼女が最後に見た光や音を通して、ご自分にとっての愛を感じてもらえるといいですね。

── この映画を創り終えて、一度立ち止まって思い悩まれた心境もまた前向きなものになりましたか?
河瀨 そうですね。私はホントは何も変わっていないのですが、今は、万博の閉幕を惜しみ、尊いものとして懐かしむみなさんのポジティブな感情が、私をものすごく後押ししてくれています。
思えば万博も、開幕前は逆風にさらされたものですが、今この年齢になって思うのは、批判や憎悪といった人のネガティブな感情というのは、直接それが憎いということではなく、漠然とした不安感や見えないものへの恐怖が一過性のものとして出現し、よくわからないものや、目の前のものにその感情を直接ぶつけたり、刃を向けてしまうのだなと。
戦争の場合もよく似ていて、その場合は一過性にとどまらず、継続してネガティブな感情が蓄積しているのかもしれないのですが。いずれにしてもそうした漠然とした不安やネガティブな何かを解消するものが、人が創りあげる優れた芸術であってほしいと願っていて。私自身がこの先創っていくであろう作品たちも、人類の課題をポジティブに変えていく何かであれればいいなとずっと思っています。

● 河瀨直美(かわせ・なおみ)
生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける映画作家。一貫した「リアリティ」の追求はドキュメンタリー、フィクションの域を越えてカンヌ映画
祭をはじめ、世界各国の映画祭での受賞多数。代表作は『萌の朱雀』『殯の森』『2 つ目の窓』『あん』『光』『朝が来る』など。世界に表現活動の場を広げながらも故郷奈良にて2010 年から「なら国際映画祭」を立ち上げ、後進の育成にも力を注ぐ他、ユネスコ親善大使、奈良県国際特別大使を務め、2025 年大阪・関西万博ではシニアアドバイザー兼テーマ事業プロデューサーを務めた。CM 演出、エッセイ 執筆、俳優、DJ などジャンルにこだわらず活動中。

『たしかにあった幻』
河瀨直美監督が6年ぶりに劇映画のメガホンをとり、「愛のかたち」と「命のつながり」を題材に、日本の失踪者と心臓移植の現実を重ねてオリジナル脚本で描いた人間ドラマ。
フランスから来日したコリーは、日本における臓器移植への理解と移植手術の普及に尽力するが、西欧とは異なる死生観や倫理観の壁は厚く、医療現場の体制の改善や意識改革は困難で無力感や所在のなさに苛まれる。また、プライベートにおいても屋久島で知り合った迅と同棲を始めるが、お互いが使う時間のズレからくるコミュニケーションの問題に心を痛めていた。そんな中、心臓疾患を抱えながら入院していた少女・瞳の病状が急変する……。
主演は『ファントム・スレッド』『蜘蛛の巣を払う女』などで知られるルクセンブルク出身のヴィッキー・クリープス。謎めいた恋人・迅を寛一郎が演じ、尾野真千子、北村一輝、永瀬正敏、小島聖、岡本玲、利重剛、中嶋朋子が共演。
2025年製作/日本
配給/ハピネットファントム・スタジオ
劇場公開日/2026年2月6日
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