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2025.11.17

中島侑子「夢が叶い、カッコよくなれる。SNSの発信って、メリットばかりなんです」【前編】

入学倍率7.5倍の人気インフルエンサー養成スクールを主宰する中島侑子さんは、かつて救命救急医であり、また3年間、世界52カ国をひとり旅した経験もある人。異色の経歴をへて、「SNS発信」の世界で起業するまでの道のりと、彼女を惹きつける「SNS発信」の魅力について、お話を伺いました。

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写真/岸本咲子 文・編集/アキヤマケイコ

セルフブランディングを徹底的に行ってから発信をすれば、夢は9割以上、実現するんです

中島侑子(なかじま ゆうこ)
Instagram、X、LINEといったSNSで、誰もが世の中に自分のメッセージを発信できる時代になりました。オヤジさんたちも例外ではないと思いますが、そのSNS発信、うまくいっていますか? イマイチ、伝えたいことが伝えられてない、届いてない、と感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

そんな悩める方々に、独自のメソッドで効果的な発信方法をレクチャーし、インフルエンサーを養成する「TOKYO インフルエンサーアカデミー」を主宰し、SNS活用のコンサルティングや講演などでも活躍するのが元医師・中島侑子さんです。

救命医から、なぜ彼女はインフルエンサーへと転身したのか。その道のりと、彼女をそこまで駆り立てた、SNS発信の魅力について聞きました。

── 主宰されている「TOKYO インフルエンサーアカデミー」では、どんな活動をされているんですか?

中島侑子(以下 中島) Instagramを中心に、SNSのインフルエンサーを養成する活動をしています。スタートして約6年半で、受講生・卒業生は合わせて500人以上になります。「SNSの発信を通して“自分の夢”を叶える」ということを目標に、発信する前の心構えを伝えたり、具体的なアカウント設計や運営方法をお教えしたりしています。実際に発信されたものの振り返りや、質問のフィードバックなども行っています。
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── 卒業生は皆、インフルエンサーになって、自分の夢を叶えられているんですか?

中島 9割以上は夢を実現されていますよ。「人生が変わった」とおっしゃる方も少なくないです。あとSNSを始めたことで、ほぼ例外なく、女性ならキレイに、男性はカッコよくなっていらっしゃいます。

── 本当ですか? 夢を叶えて、さらにカッコよくなるって……。

中島 受講生の夢には、企業からPR案件がきたり、自分の事業の顧客や開催している教室の生徒が増えたり、といった顧客獲得や収入増をしたいというものもあれば、読者モデルになりたい、趣味の仲間を増やしたい、といった自己実現したいというものまで、さまざまです。私の講座では、まず「発信でどんな夢を叶えたいか」を整理して、そこに向けて目標設定し、さらに行動に繋げていく。きちんと段階を踏んで、夢に近づきやすくするんです。

「発信を始めるとカッコよくなる」というのは、セルフブランディングの意識が高まるからです。発信を始めるにあたって、他の人の素敵な投稿をたくさん見るので、自然と目が肥えます。さらに「発信で自分は誰に何を伝えたいか」「誰にどう見られたいか」も徹底的に考えます。そうしたことを続けていくうちに、自分自身が磨かれて、どんどんカッコよくなるんです。それを、私は楽しく拝見しています。
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医者になれたのも、世界を旅できたのも、夢が叶うまで行動をやめなかったからです

研修医を終えてすぐ、世界一周の旅へ。約3年間の旅については。
▲ 研修医を終えてすぐ、世界一周の旅へ。3年間の旅の様子をブログに記したことをきっかけに、書籍も出版した。
── 中島さんは、もともと救命救急医だったそうですね。また世界を一周した経験もあるとか。そんな紆余曲折を経て、なぜ今、インフルエンサー関連の仕事をされているんですか?

中島 医者を目指したのは、高校一年生の時、母がくも膜下出血で生死の境をさまよったことがあり、その時に「何もできなかった」という後悔からです。それで、猛勉強して大学の医学部に入りました。大学生活は充実していたのですが、20歳の頃、友人とバリ島旅行をして、「もっと広く世界を見てみたい」という世界旅行の夢も持つようになったんです。
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旅行中に、お腹を壊してホテルで寝ていた日に、たまたま友人が持っていた本『ワイルドサイドを歩け』(ロバート・ハリス著)を読んで、刺激を受けました。著者の、世界を放浪するアウトローな生き方に触れて「こんな世界があるんだ、すごく面白そうだな」と思って。

── 医師になる、世界を放浪する、どちらも大変な夢ですけど、両方、叶えられたんですね。

中島 最初は大学を休学して、世界旅行をしようと思ったのですが、周囲の大反対にあいました。なので、一旦、医師免許を取って、研修医の期間を終えてから、世界へ旅に出ました。研修医が終わると専門科を決めて病院に就職することが一般的なので、上司や先輩からは「キャリアが途絶えてもったいない」と言われましたが、私は「このタイミングしかない」と思って出かけました。結局、約3年、52カ国を旅行していました。

── すごくパワフルですね。子どもの頃から、そんなに行動力があったんですか?

中島 高校生くらいまで、どちらかというと人見知りで引っ込み思案だったんですけど、医学部に入るために「やれるだけのことはやろう」と必死で努力したことで、目標を決めたらそこに向かって全力で頑張れるようになった。また大学時代の旅行で、視野が広がったことで、行動的にもなれたと思います。
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── 逆に、世界旅行から帰国されたきっかけは?

中島 いくつかあります。ひとつは旅の感動が薄れてきたこと。旅に出てすぐの頃は、どんな景色を見ても感動したし、列車の切符を買うだけでもドキドキワクワクしたんですが、旅の終盤では、トラブルがあっても、どこかで体験した気がするし、素敵な景色にも以前ほど心が動かなくなった。それって、もったいないなと。

もうひとつは、旅先で「日本では医者だった」と自信を持って言えなくなってきたこと。旅先で会った人に、医師として頼られる機会も多かったのですが、旅を続けるにつれて医療的な感覚が鈍ってきて、頼られることが重荷になってきた。そういう自分が嫌で、カッコ悪いなと思うようになりました。当時付き合っていた今の夫と「30歳までに帰国する」という約束もしていましたし。

── それで帰国されて、次は救命救急医になられたと。ドラマや映画でしか知らない世界ですが、毎日、命のやりとりがあるような過酷な場所ですよね。楽しい旅の生活から、すごい振り幅ですね。
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中島  旅の終わり頃、「医者なのに何もできない」と自信を無くしていたので、どこで何があっても、何かできる自分になりたくて、そうなれる近道が救命医だと思って選びました。でも、毎日のように死亡の宣告もある世界なので、最初は精神的に辛かったです。

他の診療科にいても「この病気では、余命何カ月です」ということはありますが、救命では、健康だった人がある瞬間、交通事故に遭って運びこまれてきます。生死って隣り合わせだし、生きるっていうことはある意味、奇跡だなと思いながら過ごしていました。
世界旅行を終えた後は、救命救急医に。ドクターヘリに乗っていたことも。
▲ 世界旅行を終えた後は、救命救急医に。ドクターヘリに乗っていたことも。
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── 人生観や死生観に変化がありましたか?

中島  そうですね。人生って思っているよりも短いし、明日、何かあって死んでしまうかもしれない。だから人生の一瞬一瞬を大切にしよう、一生懸命生きよう、みたいなことは感じざるを得なかったです。

自分も「死」を意識し、生き方を再考。SNSの発信で、世の中を変えてみたいと思った

中島侑子(なかじま ゆうこ)
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── 救命医として順調にキャリアを積んでいたのに、なぜインフルエンサーへ転身することになったのですか?

中島 私自身が「死」を覚悟する経験をしたことが、自分の生き方を改めて考えるきっかけになりました。結婚して妊娠をしたのですが、急な腹痛から卵巣嚢腫が発覚し、妊娠中に全身麻酔の緊急手術をすることになったんです。
なんとか無事に終わりましたが、1カ月間入院して、働けない状況になりました。その間、将来について考え、「出産したら自由でいられなくなるだろうな」「自分のことは後回しになるんだろうな」と怖くなりました。実際に、私の周りで、結婚・出産した女性たちは、ほぼ「自分の夢は終わった」みたいな感じになっていましたから。

でも、私はそんなふうに生きたくない、と強く思ったんです。母親になっても、夢を追って輝いていたいと。私がそれを実現すれば、夢を諦めそうになっている人の背中を押せるかもしれない、そういう存在になりたい、と考えたんです。時間に縛られず、自由な働き方をして、世の中に貢献できる活動をしたい。そのために、私だからできる何かで、起業をしようと思いました。医者や救命救急医は、私じゃなくて、もっと適任な人がいるかなと。
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── いや、救命医って、適任かどうかというより、まず誰でもできることじゃないですからね。でも、起業することに、そんなに魅力を感じられたんですね。

中島 その後は、情報をインターネットで調べまくって、「何で起業できるか」「どうすれば起業できるか」を探りました。そのうちに「SNSでの発信」をビジネスに繋げている人がいることを知って、これだ! と。

「SNSの発信」なら、元手もかからず、自分の夢の認知も広げやすいし、成功できるかもしれないと思いました。もともと私は、世界旅行中にブログで発信の活動をしていたので、SNSの影響力の大きさを知っていました。ブログをきっかけに、旅行の書籍を出版させてもらったり、講演をさせてもらったりと、実際に叶った夢もありました。それで出産後は救命医を辞めて、本格的にSNSについて学び、実際に発信する活動を始めたんです。

目標を決めたら徹底的にやるたちなので、知識が徐々に深まっていって、そのうち他の人にSNSについての情報提供をしたり、ノウハウをレクチャーしたりできるようになりました。それが今の「アカデミー」の原型になっていったんです。
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── そこまで情熱をかけて、取り組まれている「SNSの発信」の魅力って何ですか?

中嶋 SNSで発信をするためには、自分自身や、自分の人生と向き合う必要があります。それってすごくためになるんですね。だから、人生を変えたいとか、自分の可能性を広げたいという方は、SNSで発信を始めるのがとてもいいと思うんです。

また、「SNSの発信」は、誰でもいつでも、ほぼタダでできるのもいいところです。場所や時間に縛られないので、私のように出産して小さい子供を育てながらでもできる。それで夢を叶えて輝けるところも、素晴らしいところですね。
中島侑子(なかじま ゆうこ)

● 中島侑子(なかじま ゆうこ)

インフルエンサー養成スクール「TOKYO インフルエンサーアカデミー」を主宰。多くのインフルエンサーを育成し、卒業生の総フォロワー数は320万人にものぼる。外務省の訪日外国人向けプログラムでのInstagram講座、2020年東京オリンピックに向けた福島観光開発のためのコンサルティング、全国地方創生のためのSNS講座などを担当。全国各地で講演活動もおこなっている。二児の母であり、元救命救急医という顔も持つ。世界52カ国を旅した経験も。インフルエンサーとして夢を叶えるための独自メソッドを記した『ミニマルインフルエンサー主義』(Gakken)も上梓。

『ミニマルインフルエンサー主義』(Gakken) 著:中島侑子

『ミニマルインフルエンサー主義』(Gakken) 著:中島侑子

「フォロワーは増えているけれど、売り上げに繋がらない、夢が叶わない」「アカウントを作ったけれど発信が続けられない」……そんなSNS発信に悩む人に向け、人気インフルエンサー養成スクールを主宰する著者が、効率的に最大限の結果を出す方法論を紹介。少数精鋭のフォロワーと質の高い関係性や影響力を構築することを重視する「ミニマルインフルエンサー」という考え方が、夢を叶えるスピードを劇的にアップします!

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