2025.09.09
マドンナが賞賛する日本人ダンサーTAKAHIRO「You are funny! と言われて人生が開けました」
HIP HOPの殿堂といわれるNYのクラブ「アポロシアター」で認められ、マドンナのワールドツアーにも同行、世界で大活躍するダンサーとなったTAKAHIROさんにインタビュー。ご自身の来歴、そして世界を知っているからこそ見える日本のエンタメの強みを語っていただきました。
- CREDIT :
文/安井桃子 写真/玉井美世子 ヘアメイク/吉田葉づき 編集/森本 泉(Web LEON)

そのダンサーとしてのデビューは、日本ではなくアメリカ。マイケル・ジャクソンを輩出したニューヨーク・ハーレムのクラブ「アポロシアター」で行われる人気コンテスト「アマチュア ナイト」で2005年にダンサーの年間トップ記録を樹立、その翌年、テレビ版「アポロシアター TVショー」に出演すると、なんと歴代最多となる9大会連続優勝を果たしました。マドンナのワールドツアーにも同行した超実力派、国際的ダンサーです。
ニューヨークと日本を行き来しながら「大阪世界陸上閉会式」など、イベントの振付も担当。世界中から出演オファーが絶えないなかで東日本大震災のあった2011年に、拠点を日本に移しました。現在はアイドルグループの振り付けや、ダンサーの育成にも力を入れています。
そんなTAKAHIROさんに、ご自身の来歴、そして世界を知っているからこそ見える日本のエンタメの強みを語っていただきました。インタビュー前半では単身渡ったニューヨークでの暮らし、そしてマドンナから学んだプロの生き様を教えてもらいます。
踊れなければ物語は終わり。後がないなら力を出し尽くすのみ
TAKAHIROさん(以下敬称略) 僕は大学時代にダンスに夢中になり、見よう見まねで楽しく踊ってきました。卒業後はプロになれる自信もなくて、でもすっぱりダンスを諦めることもできなかった。なら世界一のダンスコンテストに出て、そこで失敗したら心残りなく辞められるのではないか、そう思って単身ニューヨークへ行ったのです。英語もほとんどわからず、でも情熱だけはある、そういう状態でした。

TAKAHIRO 「ここをどこだと思っているのか、HIP HOPにリスペクトがなさすぎる」と怒られてしまいました。出場したのはHIP HOPの殿堂といわれるアポロシアターのコンテスト、そこで僕はクラシック音楽にのせて踊ってしまったのです。その時の自分にとってベストが出せる音楽、そういうふうに考えていて、HIP HOPの歴史のことなんて思ってもみなかった。とても無知で独りよがりでした。
これですべてが終わったと思いましたが、1人の女性の審査員の方が「彼はちょっとFunnyだから、HIP HOPにリスペクトを込めて踊ると約束するなら、次のステージに立ってもいい」と言ってくださったんです。まるで敗者復活戦のようなスタートでした。
TAKAHIRO 経験豊富なダンサーの方もたくさんいらしていましたが「私はどこで何を何年間踊った」といくら彼らが伝えても、言われるのは“Show me(見せてごらんなさい)”だけ。問われるのは“What did you do?(何をしてきたか)”ではなくて“What can you do now?(今、何ができるか) ”でした。
そのなかで僕が感じたのは、「そつのないものをお見せしたら審査員の方に失礼だ」ということ。すごくよかったら喜んでもらえるし、すごく悪かったら笑ってもらえる。でもそつないものってステージ上では一番つまらない。しかも幸いなことに自分は期待されていないし、大失敗してもすぐに次の人が出てきて、みんな忘れてくれる。だから中間を狙うんじゃない、この瞬間においてできるベストに振りかぶって挑戦する、そういうことができる雰囲気でした。
TAKAHIRO 単純に、後がなかったからだと思います。うまく踊れなければ、そこで僕のダンサーとしての物語は終わり。だから出し惜しみなし。ただ出し切るだけでした。例えばクルマだと、最初からアクセル全開で挑みました。
これは僕のその後のキャリアでも意識しているのですが、世の中に出る時、それまでにあったものとの違いを顕著に伝えられるのは、最初の1発目。新しい場所に出ていこうとする時、最初に持てる限りの力を注ぎ込んで爆発させることが大事だと思うのです。

銃声の聞こえる街で、最初にできた友達はごみ収集の紳士だった
TAKAHIRO 渡米前に1年間、日本で働いて貯めたお金でハーレム地区に部屋を借りました。ボロボロのアパートで、最低限の暖房設備もなく冬は部屋の中で寝袋にくるまってもまだ寒くガタガタ震えていました。夜になると部屋にはネズミが出るし、時々銃声も聞こえる。
ダンスのレベルアップのためにレッスンスタジオにも通いましたが、お金がないので校長先生に「安くなりませんか⁉」って談判しました。そうしたら「スタジオの清掃してくれるなら安くしてあげる」と。レッスンが終わった後、スタジオを掃除してゴミを捨てにいく、そういう日々のなかで最初にできた友達は、ごみ収集のおじさんたちでした。みなさん優しかったなぁ。誰も見ていないスタジオを丁寧に丁寧に綺麗にしてくれている。つなぎ姿の最高にカッコいい紳士達です。
── 「アポロシアター TVショー」で連続優勝して生活は変わりましたか?
TAKAHIRO いいえ、優勝後もその生活を続けました。ただ、だんだん仲間ができてきて、街でも「チャンピオン!」「TAKAHIRO!」って声をかけてもらえるようになって、それがうれしかったです。それに僕、踊れればなんでもよかった。いい暮らしがしたいとか、全然思ってなかったんです。
2011年までアメリカで暮らしましたが引っ越しは一度だけ。その引っ越し先も小さいアパートでした。2軒目のアパートは大家さんと仲良くなって、よく大家さんの部屋に遊びに行っていましたね。懐かしいです。
TAKAHIRO 数字を20まで言えないくらいの英語力で行きましたので、思いっきり大変でした(笑)。英語が喋れないから普段は誰からも相手にされないけれど、でも踊るとみんなが見てくれて、歓声をあげてくれる。踊っていれば認めてもらえて、その瞬間はまるで魔法みたいなんですよ。
日本から辞書は持ってはいきましたが、語学を勉強するなら1秒でも長く踊っていたかったし、ニューヨークで生き抜くうえで、僕に必要なのは語学力よりもダンスだと振り切りました。だから話せるようになったのはだいぶ遅かったんですよ。渡米して4年くらいでやっと頭の中で言いたいことを日本語から英語にしなくてもよくなり、夢も英語で見るようになりました。かなり時間がかかった方だと思います。

TAKAHIRO そうです。いろんな番組に誘ってもらえるようになるのですが、そこで自分の基礎力のなさを実感したんです。それまで僕はずっと独学、ひとりで踊ってきましたから、周りのダンサーと動きを合わせることもできなかった。「どうしたチャンピオン!? マイスタイルは上手なのに、こんなこともできないのか」と言われて、あっさりクビになる。
つまりプロって何かひとつに長けたスペシャリストでありながら、なんでもできるジェネラリストであらねばならないんですよ。そのことに気がついて、すべてのダンサーの共通言語となるジャンルを抜けなく学ばねばと、ジャズ、HIP HOP、コンテンポラリー、バレエなど3年間ほどみっちり学びました。
マドンナは、なるべくしてマドンナになっている
TAKAHIRO 最終審査は合宿で、課題パフォーマンスを完全にコピーして最終日に披露するというものでした。1次2次審査を通過してきた猛者ばかりが集まっていますから、みんな初日には課題のダンスを覚えて、夜はさっさと飲みに行ってしまうんです。カッコいいですよね。
僕はといえば数日たっても30%ほどしか覚えられず、悔しくて泣きながら夜も練習をしました。「このままでは埒が開かない」そう思って、飲みに行こうとしている他の候補者を捕まえて「教えてほしい」と懇願(笑)。そうしてなんとか精度を上げてマドンナの前で踊り“You are my family.”と言ってもらえました。
TAKAHIRO 毎日、移動のキャンピングバスを降りると違う国にいるのはとても刺激的でした。そしてなにより、マドンナは「鬼・ストイック」だということを目の当たりにしました。世界中のホテルで、スペシャルルームがつくられ、そこには30台近いヒーターとトレーニングマシンが置かれている。コンサートの前後で彼女は汗をかきながらそこでひたすらトレーニングしているんです。ムキムキのダンサーたちも最初は一緒に鍛えているけれど、だんだんみんな逃げ出す(笑)。彼女は誰よりも長く、誰よりもハードに自分を追い込み続けていました。
さらにそのツアーが終わったあと「新しいトレーニングを一緒に考えてほしい」とニューヨークの家に呼ばれたんです。ツアーが終わったばかり、しかも次のツアーはまだ計画されてない。けれど「それまでに1日5時間トレーニングするから」と。
これはもう、彼女はなるべくしてマドンナになったのだと、思いました。1日1個角砂糖を積み重ねて、最後に巨大なお城をつくる、それくらい地道なことをもうずっと続けている人なんです。

TAKAHIRO “You are funny.”です。マドンナのミュージックビデオに出してもらい、その上映会で言われたひと言です。考えてみれば、アポロシアターで審査員に言われたのも“funny”でした。僕の人生の節目で言われる言葉なのかもしれません。
また、日本でのアルバムプロモーションの際、イベントの振り付けを僕が担当させてもらったのですが、その振り付けもすごく褒めていただけて。そこから「自分が踊るだけではなくて、振り付けもやってみよう」と意識が変わっていったのです。
(後編に続きます)

● TAKAHIRO(タカヒロ)
1981年生まれ。東京都出身。ダンサー、振付家として国内外で活躍。
世界的に有名な「NY APOLLO Theater TV Show」にソロダンサーとして出場。史上最高記録となる9大会連続優勝を達成し米国プロデビュー。在米中、全米の優れたダンサーの中から選出されマドンナワールドツアーに参加。Newsweek「世界が尊敬する日本人100」に選出。日本では、振付家として欅坂46、櫻坂46、 ゆず、中島健人など、様々なアーティストや作品の振付・演出を幅広く手掛けている他、TBS「それSnowmanにやらせてください」や、プロダンスリーグ「D.LEAGUE」など、審査員・解説者としての出演も多数。他、役者としてドラマ・映画への出演など幅広く活動。教育者として全国で後進の育成に力を注いでおり、大阪芸術大学客員教授、DA東京学校長を務めている。ダンサー事務所INFINITY主宰。「The fastest 20 m moonwalk」ギネス記録保持者。