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2023.07.08

稀代のヒットメイカー売野雅勇が見てきた“時代を創った男たち”の素顔

いまだカラオケの定番となる昭和歌謡の大ヒット曲を中心に1500曲以上を作詞してきた稀代のヒットメイカー売野雅勇さん。作詞家活動40年を記念して開催される1dayコンサートのことに加えて、売野さんがこれまで関わってきた時代を創った一流クリエイターたちの話も伺った。

CREDIT :

文/長谷川あや 写真/内田裕介(Ucci)

売野雅勇 LEON.JP
売野雅勇さん──。LEON世代には、あえて紹介する必要もないでしょう。チェッカーズ「涙のリクエスト」、中森明菜「少女A」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」、ラッツ&スター「め組のひと」、荻野目洋子「六本木純情派」など、我々の青春を彩った、数多のヒット曲を世に送り出した、日本が世界に誇る作詞家です。これまで生み出してきた楽曲は1500曲以上! そんな歌謡曲の黄金時代を牽引してきた売野さんが、今回、作詞家活動40年を記念して1dayの特別コンサートを開催することに。早速お話を伺ってきました。

世界には悲しいニュースが溢れている。それでも人生は捨てたものではない

── 売野さんが作詞家としてデビューされたのは1981年。1982年に中森明菜さんの「少女A」のヒットをきっかけに作詞家に専念されたと聞いています。「少女A」からもう40年。懐かしい……と言ったら歳がバレますが(笑)、おめでとうございます。

売野雅勇さん(以下、売野) ありがとうございます。僕も「LEON」は50代の頃、よく読んでいましたよ。

── 7月15日(土)には、作詞家活動40年を記念し、売野さんにゆかりのあるアーティストが集結し、1日限りのコンサート『MIND CIRCUS SPECIAL SHOW「それでも、世界は、美しい」』が開催されます。

売野 楽しいコンサートになると思います。みなさんが聴いてうれしいと思ってもらえる楽曲を選曲しました。一般に、歌手のコンサートって、新しいアルバムのプロモーションでやることが多いので、初めて聞く曲が何曲も続いたりしますが、今回のコンサートはヒット曲だけで構成されているヒットパレードスタイル。みなさんが口ずさめる曲ばかりです。飽きる暇がない、興奮しっぱなしの3時間です。
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売野雅勇 LEON.JP
── 売野さんご自身が選曲されたんですか。

売野 ええ、僕はセットリストを作るのが趣味なんですね。子どもの頃から、テープレコーダーで、この曲とこの曲を並べたらどんな感じになるのかなと、DJのような作業をするのが大好きでした。

── わかります。昭和の若者たちはテープで、自分だけのベストアルバムを作って彼女に贈ったものです。

売野 でしょう? 今回のコンサートもそんな思いで構成しました。普通、複数のアーティストが参加するコンサートは、出とハケの効率を考えて、ひとりのアーティストが2、3曲、続けて歌う場合が多いんですが、でも今回は、お客様の楽しみを最優先しました。ほとんどのアーティストは、1曲歌ったら、一度、舞台からハケます。衣裳が2倍必要になりますが、仕方ありません(笑)。
── いろいろな意味で型破りなコンサートになりそうですね。改めて、今回のタイトル『MIND CIRCUS SPECIAL SHOW 「それでも、世界は、美しい」』に込めた思いを聞かせてください。

売野 ロシアが戦争を始め、中国では新疆ウイグル自治区で問題が起きている──。今、世界は目を覆いたくなるようなニュースで溢れています。日々の生活においても、悲しいことや淋しいこと、心が砕かれることが毎日のようにあります。

でも、それでも人生は捨てたものではないと思うんです。僕は生きていくことを肯定したい。そして、それは、僕が詞を書く際に最も大切にしていることでもあります。僕たちはみんな祝福されて生まれてきたんだよ、人生は楽しいものなんだよというメッセージを、「それでも世界は美しい」というタイトルに込めました。

── 「MIND CIRCUS」というのは、売野さんが作詞し、今年の3月に亡くなった坂本龍一さんが作曲した、中谷美紀さんのセカンドシングルのタイトルでもありますね。

売野 フィジカルの限界に挑むサーカスではなく、マインド(意識)の限界に挑むサーカスという意味です。私たち人間の意識はどの程度のことができるのか、音楽を通してみなさんに見つけてもらいたいと思います。坂本さんは、「MIND CIRCUS」という言葉をとても気に入ってくれて、「僕はピアニストだから、腕が折れたらピアノは弾けなくなってしまう。でも、それでも僕の意識のアクロバットは見せることができる」なんて「MIND CIRCUS」の定義づけをしてくれたりしました(笑)。

僕の人生、ほとんどのことは受け身からスタートしている

売野 僕は作詞家としてデビューする前、27歳くらいの頃、『LA VIE』という男性ファッション誌を作っていたんですが、「MIND CIRCUS」というのは、その雑誌で僕が書いていたコラムのタイトルでもあります。

── 男性ファッション誌⁉ どんな雑誌だったんですか。

売野 男性ファッション誌の名を借りた、カルチャー誌です(笑)。創刊は1978年だったかな。当時はDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランド最盛期。デザイナーの多くは、マンションの一室で服を作っていて、彼らが作ったブランドはマンション・メーカーなんて呼ばれていました。そんな新生ブランドの宣伝媒体となれるような雑誌を作ろうと、友人のアートディレクターに誘われて始めたのですが、編集だけでなく、営業、販売、なんでもやりました。時間と労力を使う仕事で、すごく大変だったけど、面白かったね。

結局、5冊作りました。高橋幸宏さん、今野雄二さん、原由美子さん、大瀧詠一さん、細野晴臣さん、メジャー劇団になる前の野田秀樹さん、柄本明さんにも寄稿してもらいました。表紙は、三宅一生さん、四谷シモンさん、タモリさん、DEVO、岡田真澄さん。インディーズの雑誌とは思えません。アートワークが1人、編集も1人だよ(笑)。
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売野雅勇 LEON.JP
── 錚々たるメンバーですね。読んでみたい!

売野 80年代前夜、ほとんどの方はまだ売れる前でしたが、みなさん、80年代に入ると、どんどん花開いていきました。人脈があったわけではないので、普通に電話をかけて依頼をしたんですが、みなさん、面白がって参加してくれました。もちろん原稿料はケチらないで高めの額をお支払いしました。僕も楽しかったです。一方で、お金を集める大変さも痛感しました。しゃべるのが得意でない僕にとっては、営業はつらい仕事でしたね。

── それでも結果を残すことができたのは素晴らしいです。

売野 振り返ってみると、僕の人生、ほとんどのことは受け身からスタートしているんです。雑誌づくりも、作詞も、人から誘われて、「じゃあやってみようかな」と思ったのがきっかけでした。ガツガツしていないんです(笑)。ただやり出すと、少しでもいいものを作りたくて一生懸命になってしまう。凝り性なので、一度始めると、突き詰めないと気持ちが悪いんです。でも追求が終わると飽きちゃう(笑)。
── そうはおっしゃいますが、作詞家活動は40周年です。

売野 作詞家として活動を始めた時も、最初は自分にヒット曲が書けるとは思っていませんでした。当時は、たしか5曲、作詞や作曲をすると、JASRAC(日本音楽著作権協会)の準会員資格が得られたんです。それから1年だったかな、正式な会員になって、分厚い名簿が送られてきた時は、「これで僕も作詞家かぁ」と有頂天になったのも束の間、名簿をめくっても知っている名前は阿久悠さんや筒美京平さんなど10人足らず。この世界で生き残っていくのは大変なことなんだとすぐに現実に引き戻されました。基本的に前向きでおめでたい性格なんだけど、冷静なところもあるんです(笑)。

── 昔のお写真を拝見すると、売野さんはすごくイケイケのイメージでした(笑)。だいぶとがっていらっしゃったのではと勝手に想像していました。

売野 自信がないから頑張って怖い顔をしていたんです(笑)、多分。僕が作詞家として活動し始めたのは30歳になってからですが、同年代の同業者の多くは、20代で音楽業界に入っていて、すでになじんでいました。そんななか、アウェイ感がある僕は、舐められちゃいけないと必死だったんですね。

── でも、ヒット曲が出ると、周りの目は変わってきたりするものですか?

売野 それもあるけれど、僕の場合は、先輩に恵まれたことが大きかったですね。まず、芹澤廣明さん(※1)と親しくなり、その後、井上大輔さん(※2)、筒美京平さん(※3)と仲良くなったあたりで、だいぶ気持ちが楽になりました。彼らからは本当に多大な影響を受けました。なかでも今野雄二さん(※4)は僕のロールモデルでした。20代の頃から、今野さんのライフスタイルに憧れていたんです。時代の最先端をいっていて、自由気ままな感じがとてもカッコよく思えた。
※(1)芹澤廣明/中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」「星屑のステージ」「ジュリアに傷心」ほか、売野さんとのコンビで数々の大ヒットを手掛けた作曲家。アニメ『タッチ』の音楽も代表作のひとつ。(2)井上大輔/ブルー・コメッツのリード・ヴォーカル、フルート、サックスを担当。「ブルー・シャトウ」の大ヒットを生み、グループ・サウンズ・ブームの火付け役となった。(3)筒美京平/作曲家。「ブルー・ライト・ヨコハマ」「魅せられて」「スニーカーぶる~す」、「なんてったってアイドル」「仮面舞踏会」「サザエさん」など数多くのヒット曲を生み出す。(4)今野雄二/音楽、映画評論家、翻訳家。「平凡パンチ」「an.an」の編集部を経て評論家に転身。独自の美学と鋭い臭覚で時代を分析、評論し多くの支持を集めた。
 
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売野雅勇 LEON.JP

幸宏さんは「あんなすごいミュージシャン、他にいないよ」と言った

売野 初めて高橋幸宏さんにお会いした時も、「こんなに洒落た男がいるのか! 真似したい」と思ったものです。幸宏さんのことは、『LA VIE』をやっていた頃から存じ上げているんだけど、「少女A」がヒットした時、音楽プロデューサーでお兄さんの信之さんと、自分のことのように喜んでくれて、感激しました。神経質そうな見た目だけど、とても温かく、とても公平な人でした。

実は僕が初めて自分で買った邦楽のレコードは、1978年にリリーズされた、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」なんですね。だいぶ後になって、この音源、キーボードは坂本龍一さん、ドラムは幸宏さんが担当していることに気付くのですが、じっくり聴いてみると、ドラムはカッコいいし、坂本さんのシンセサイザーも優美な音で黄金のフレーズを弾いている(笑)。今聴いても全然古くないんです。

幸宏さんと親しくなってから、矢沢さんの大ファンだった雑誌の相棒に頼まれて、幸宏さんに、矢沢さんのことをどう思うか、聞いたことがあります。相棒としては、時代の先端を走る幸宏さんの評価が気になったのでしょうね。でも、正直、否定的な言葉を予想していたんです。「汗くさくてイヤだよ」とかね(笑)。だけど、幸宏さんは「あんなすごいミュージシャン、他にいないよ。一緒にやっていると、自分が本来持っている力の何倍もの力が引き出されるんだ。そういう音楽家だよ」と言っていました。
── 目指す音楽の方向性は違っても、才能はしっかり認めていたというのがカッコいい! 「時間よ止まれ」、ぜひ改めて聴いてみます。ところで売野さんは、もともと歌謡曲がお好きだったんですか。

売野 僕は18歳以降は27歳で結婚するまで、テレビのない生活を送っていたんです。だから、テレビを見ている人にとっては常識であることがほとんどわかっていなかった。アイドルに憧れたこともないし、たのきんトリオやドリフターズに関する知識もほぼありませんでした。ただ、音楽はもちろんだけど、映画、演劇など、カルチャーは全般的に好きでした。アメリカのオールディーズや、意外に思われるかもしれないけれど、ロカビリーが好きでしたね。幸宏さん同様、アール・デコにも憧れたものです。金子國義さんの作品も大好きでした。
── 今回のコンサートのメインビジュアルにも金子さんの絵画を使っていらっしゃいますね。金子さんとは、『LA VIE』の頃からのお付き合いだったんですか。

売野 『LA VIE』よりもだいぶ後です。僕が『シンデレラ・エクスプレス』(1990年公開)という映画を撮った時に金子さんの作品をタイトルバックに使わせてほしいとお願いに伺いました。その後、金子さんとはかなり親しくなるのですが、それでも金子さんからは、しょっちゅう「君は懐かない猫みたいだ」と言われていました。

僕はシャイなところがあって、大好きで、尊敬している人に対しては、緊張してうまく話せないんですね。人生と同じであくまでも受け身(笑)。親しくなりたくてもうまく垣根を超えていけないんです。
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売野雅勇 LEON.JP

モテるためには、美しさに対する感覚や遊び心も不可欠だと思います

── (笑)。意外です。それでも一流のクリエイターたちとのお付き合いはどんどん広がっていきます。坂本龍一さんともダウンタウンのユニット、GEISHA GIRLSでご一緒されていますよね。

売野 僕が1990年代にパーソナリティを務めていたFM福岡の番組に、坂本さんがゲスト出演してくれたことがあったんです。その1年後くらいに、突然、電話がかかってきて、坂本さんがプロデュースするGEISHA GIRLSの曲を書いてくれないかと、作詞を依頼されました。「少年」というシングルになった曲です。

その翌日に坂本さんがニューヨークから帰国して、「3日後にはレコーディングするので、明後日が締め切りです、やってくれますか」と。もちろん、「やります」と答えました。坂本さんから作詞を依頼されたことがうれしかったね。今まででいちばんといっていいほどのプレッシャーでしたが、頭の2行がすぐに浮かんだんです。「これは、できたも同然!」とお風呂に入りましたね(笑)。

── 売野さんはインタビューなどで、詞を書く時は、最初の2行とタイトルに全精力を注ぎ込むとよくおっしゃっていますものね。
売野 最初の2行がつまらないと、聴きたくなくなってしまうでしょう? 書いていても、最初が気に入らないと気持ちが乗らないんです。反対に、頭の2行でいいものができると、すごくやる気になるし、頭も冴えてくる。褒められて伸びるタイプなんです(笑)。

(「少年」の作詞は)まず、「野球場の真上だけ夜空が明かるいね」という1行が書けたんです。神宮球場のことで、ナイター照明のカクテル光線って、雲に反射するんですよ。少し離れたところからだと、そこだけがピンクとかブルーとかに染まって見える。

その後に続く、「そっと開くアルバムの中 夏の日みたいに」というのも、自分の経験を反映したものです。アルバムって、夏の日の写真が際立って見えるんですよね。この夏はお父さんに海に連れていってもらったな、なんて。この2行を書いて、大丈夫、これでイケると思い、その日は寝ちゃいました(笑)。

── 情景が浮かんでくるようです。子供時代と言えば、売野さんご自身はどんなお子さんだったんでしょう?

売野 不良っぽい子に人気がありました。不良っぽい子が「売野くん、売野くん」とまとわりついてくるの(笑)。特に女の子。僕もそういう子たちと気が合うのね。優等生の友達がいなくて親は心配していました。
── そういった経験が、「少女A」やチェッカーズの楽曲の歌詞にもつながっているのかもしれませんね。

売野 それはあるかもしれないですね。不良っぽい歌詞はたくさん書きましたし、得意です。

── 売野さんが不良から人気がある……。なんとなくわかる気がします(笑)。ちなみに売野さんご自身は女性からモテたいと思ったことはありますか?

売野 もちろんありますが、僕、アルコールアレルギーなんです。消毒でも赤くなっちゃう。だから基本的にモテないんです。モテる人って、たいていお酒が飲めるじゃないですか(笑)。それに、広くモテたいという気持ちはなかったですね。僕は自分が好きな人にだけモテたいんです。
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── そうなんですね⁉ それって女性的な感覚なのでしょうか。

売野 どうなんでしょう。潔癖とは違うかもしれないけれど、好きじゃない人に好きだって言われると、傷ついたような気持ちになってしまうんです。ただ、以前から僕が好きになるアーティストや作家はゲイの人が多くて、彼らの持つ感性に憧れていました。でも、僕自身はゲイじゃない。これは一種の欠陥なんじゃないか、だから僕はダメなんだと落ち込んだこともあったんです。

── 1984年7月に発売された、チェッカーズのファーストアルバム『絶対チェッカーズ!!』には、男性同士のカップルをテーマにした楽曲「HE ME TWO(禁じられた二人)」が収録されています。あれは子ども心にちょっとした衝撃でした。

売野 それも自分にとっては身近なテーマだったんですね。

── 売野さんの歌詞は常に私たちに新しい刺激を与えてくれてきた気がします。最後に、改めて、そんな売野さんが考える「カッコいい大人」とは? 

売野 信念を持っている人です。当たり前のことかもしれませんが、信念、誠実さは、生きていく上でとても大切なものです。そして、モテるためには、美しさに対する感覚や遊び心も不可欠だと僕は思います。審美眼とでも言うのかな。服装で差別するのはいけないけれど、僕が女性だったら、あまりにセンスがない人は、正直イヤだなぁ(笑)。
そして、ある程度の人間的な余裕も大切です。すぐにいっぱいいっぱいになってしまう人は、カッコよくないじゃないですか。不満なことがあると、すぐ嫌味を言ってしまう人っていますよね? 嫌味を言うことがみっともないってわかっていないんです。余裕、そして、清潔感は大事にしたいですね。
売野雅勇 LEON.JP

MIND CIRCUS SPECIAL SHOW「それでも、世界は、美しい」

売野雅勇さんの作家活動40周年を記念して、ゆかりあるアーティスト19人(組)が集結。日本を代表するトップミュージシャンによる、売野作品のみで構成されるアニバーサリー・コンサートを開催する。
公演日/2023年7月15日(土) 開場16:00/開演17:00
会場/東京国際フォーラム ホールA
出演/麻倉未稀、稲垣潤一、荻野目洋子、近藤房之助、さかいゆう、杉山清貴、東京パフォーマンスドール(木原さとみ、川村知砂、穴井夕子、八木田麻衣、木伏夏子)、中島愛、中西圭三、中村雅俊、Beverly、藤井尚之、藤井フミヤ、MAX LUX、望月琉叶、森口博子、山内惠介、山本達彦、横山剣
※50音順。都合により出演者が変更になる場合あり
料金/全席指定1万5000円(税込)
※未就学児入場不可
HP/https://masaourino40.com/

売野雅勇 LEON.JP

売野雅勇(うりの・まさお)

1951年生まれ。栃木県出身。上智大学文学部英文科卒業後、広告代理店に入社。コピーライター、ファッション誌『LA VIE』の編集長を経て、1981年、シャネルズ(後のラッツ&スター)「星くずのダンスホール」で作詞家デビュー。1982年、中森明菜の「少女A」の大ヒットにより作詞活動に専念する。以降、チェッカーズや近藤真彦、河合奈保子、シブがき隊など数多くの作品を提供。80年代アイドルブームの一翼を担う。90年代に入ると、坂本龍一、矢沢永吉からGEISHA GIRLS、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。映画・演劇にも活動の場を広げ、2002年からはインターネット・ドラマ・サイト「Radiogenic」を主宰し100本のオーディオ・ドラマを発表した。脚本監督映画作品に、『シンデレラ・エクスプレス』『BODY EXOTICA』。脚本プロデュース作品の舞台に『ミッシング・ピース』、『下町日和」などがある。7月6日(木)に、河出文庫より著書『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』が発売となった。

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