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2018.12.18

民事再生で投資がゼロに。リターンマッチで再度ベットした結果は?【vol.08】

シンガポールを拠点にアジアを巡るエンジェル投資家、加藤順彦ポールさん。この10年、東南アジアを中心に周る中で得た、投資の知識や処世術、そして関わるひととの熱いドラマを展開します。

CREDIT :

文/加藤順彦

ゴマブックスの民事再生にまつわる顛末

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2009年9月、ゴマブックスは民事再生手続きに入りました。唐突にシンガポールにいる僕にもその連絡が届きました。そんなに経営状況悪かったのかいな。
翌2010年4月30日の第22回定期株主総会において、同社の「再生計画案」は認可が確定。それまでの発行済み株式は全部償却(100%減資)され、株主が所有する株式は効力を失い、これに係る権利一切が消滅しました。僕の投資していた同社株式もパー……あっけないものでした。

“嬉さん”と呼ぶ嬉野勝美さんとは1997年の夏に出逢いました。僕は営んでいた広告会社NIKKOにてパソコン雑誌へと取扱の力点をシフトしようとしていたさなか、嬉さんは三井物産が新設した出版子会社ディジットの常務取締役兼パソコン雑誌『HOME PC』創刊編集長といった立場で、初めて顔を合わせたのです。

雑誌広告枠の売買を狭い業界の最前線で切った張ったをしていた僕は、各出版元の営業や編集の方々とは幅広くお付き合いがありました。太い顧客を数社持っていたこともあり、量をコミットすることで枠を買い叩く手筈&粘着力のある「呑み二ケーション」でネゴして、各誌の前付けや目次/巻頭記事の対抗面の広告枠を刈り取っていました。(雑誌においてはできるだけ前のほうが視認率が高いので、広告主は同じ1ページ広告でも前のほうに掲載されることを好むのです。)

しかし初対面の嬉さんは、僕の知る“オタクで熱くスペックに拘る”、いわゆるパソコン雑誌の編集長とはかなり毛色の違う人でした。聞くとなるほど新卒リクルートOBで、三井物産にて当時話題のAOL(アメリカオンライン)日本法人を日経さんと立ち上げた方。第一印象は版元の人というよりは、三井物産が見つけてきた新規事業立ち上げのための傭兵のようなひとでした。
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事業買収後、ナスダックでIPOへ

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『HOME PC』が世に認知され始めたころ、嬉さんが「俺、会社辞めることにした」と訪ねてきました。面喰いつつ事情を訊くと、どうやら物産から来た2代目社長なる中間管理職と全然ソリが合わない、というのです。マジか……。僕はディジットという会社は、実質的に嬉さんがプレーイングマネージャーで全体を回しているとみていましたし、なにより『HOME PC』はパソコン雑誌/インターネット入門雑誌としてはクオリティが高かったので、最初は留まれる方法はないかとあれこれ提案してはみました。

が、話しているうちにふと、あるアイデアが浮かび、口走ってみました。数日前に記事で読んだ、社員による事業の買取(Management Buy Out)のアイデアです。「そんなことできるのかな」と訝しがる嬉さんを前に「とりあえず提案してみようよ」と勢いでその場を〆た数日後、三井物産からMBO応諾の条件が出てきました。2週間以内に2億円集めれば売却する、というのです。

僕も一緒になってかき集めたお金で三井物産からMBOを実行し、嬉さんが代表取締役となったのは1999年10月のことでした。1年後の2000年9月、新興市場ナスダックジャパンでIPOを果たしました。上場後、僕は非常勤取締役となり同社の事業展開にも参画しましたが、その後、合併先との折り合いで嬉さんと共に同社を離れるまで3年もかかりませんでした。

2003年の夏、嬉さんから連絡を貰って逢いに行ったら、編集制作会社を開業していて安心しました。翌年に会った時には、御縁があったようで1988年創業のゴマブックスのオーナーに着任。ほどなく創業社長の逝去で、2005年に同社社長に就くことになりました。2度目のMBOを経て、もう一度資本市場を目指したい、という彼の意気込みに呼応し、僕はゴマブックスに資本参加をしたのです。
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再び挑む、資本市場への挑戦

しかしながら、その想いは果たすことができず、2009年9月、ゴマブックスは民事再生手続きに入りました。この道を法人が選択した場合に、その「再生計画案」において、破綻前の経営陣が執行を継続することは普通ありません。60名を超えていた前体制から4名まで人数を減らし、営業を再開した新生ゴマブックスにおいて嬉さんが代表を続投したのは異例だったと言えるでしょう。

破綻前は実用書、ケータイ小説、ライトノベル、海外ベストセラー版権ものの新書や文庫の出版を幅広く展開していましたが、再生認可後の同社は、電子書籍向けプラットホームに向けた電子書籍事業と受託出版に絞って事業展開していき、再生2年目の2011年度には黒字転換を果たしました。

その後、主にAmazonを経由した電子書籍、プリント・オン・デマンド、さらには同社で「オムニチャネル」と呼んでいる、元々は電子書籍として発売したもので反響が大きく部数も伸びたコンテンツを紙書籍として印刷し、ローソン、ファミリーマート、ミニストップ、さらに大型郵便局で販売するという独自の展開を進めています。

僕は再生計画をまっとうしたゴマブックスとして再び資本市場への挑戦をしたい、という嬉さんの気持ちに応え、1999年のディジット、2006年のゴマブックスに続き、2013年6月、再びゴマブックスの株式を、過去2度のボリュームよりも大きな投資額で取得したのでした。
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私が資本参加する、企業の3つの共通点

お取引先だったインターキューの株式を取得してから22年、シンガポールに引っ越してから10年、スタートアップ、ベンチャーに対し投資したのは累計で70社を超えています。それら僕が資本参加してきた企業は業種も、規模も、成り立ちも、国籍も幅広く多岐にわたっていますが、ここ10年の20社超には3つ共通していることがあります。

それは社長が日本人であること、アジアを目指す事業であること、そして(投資時の)僕よりも経営者が若いこと、です。しかし!嬉さんは今年の夏に還暦を迎える、僕よりも半回りも年上のパイセンという特例です。しかも、同じ人が経営するベンチャーに複数回にわたって投資したことは、他にありません。
何故なのか? このコラムを書くにあたって考え直してはみましたが、明確には解りませんでした。ただ最初の投資のときから、僕にはどう~も放ってはおけない人物であったと感じるのです。

再生から帰還後のゴマブックスは、2018年9月、日本郵政キャピタル様に大株主として加わっていただけるなど、しっかりとした足取りで順調に成長を続けております。あ、拙著『なぜ成功する人はアジアしか見ないのか』(ゴマブックス刊:『若者よ、アジアのウミガメとなれ』を、解説を書いている田中泰延さん命名により改題しました)が、ただいま全国のローソン店頭で発売中です。
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● 加藤順彦ポール(事業家・LENSMODE PTE LTD)

ASEANで日本人の起業する事業に資本と経営の両面から参画するハンズオン型エンジェルを得意とする事業家。1967年生まれ。大阪府豊中市出身。関西学院大学在学中に株式会社リョーマの設立に参画。1992年、有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)を創業。2008年、NIKKOのGMOグループ傘下入りに伴い退任しシンガポールへ移住。2010年、シンガポール永住権取得。主な参画先にKAMARQ、AGRIBUDDY、ビットバンク、VoiStock等。近著『若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録』(ゴマブックス)。

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