2017.10.25
小津安二郎監督の『秋刀魚の味』は、なぜ秋刀魚も食べずに酒ばかり飲んでいるのか?
酒好きで知られる小津安二郎監督の作品には酒の場面がよく登場します。そこで秋の夜長にグラスを傾けながら楽しみたい小津作品の、「秋と酒」にまつわる話をご紹介。
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文/金原 由佳 イラスト/Isaku Goto
小津にとっての酒、そして秋刀魚
特に秋に関してのタイトルは多く、『彼岸花』(1958)、『秋日和』(1960)、『小早川家の秋』(1961)、結果として遺作となった『秋刀魚の味』(1962)と並ぶ。彼は12月12日生まれで、ちょうど60歳となる1962年の誕生日に人生の幕を閉じた。くしくも人生の晩年期に、秋の季節を立て続けに描いたのだ。
きっと特別な理由があるのだと、多くの人は思う。いろんな評論家が彼の日記を読み解き、作品を分析して、仮説も立てている。だが、本人は例えば『秋刀魚の味』のとき、秋に公開する映画だからそうしたと素っ気なく答え、そのうえ、本編には秋刀魚など影も形も一度も出てこない。
『彼岸花』から『秋刀魚の味』まですべての作品は、小津と公私にわたって密接に交際した脚本家、野田高梧との共同執筆だが、当時は映画の内容が全く決まっていないのに、宣伝の都合により、「とにかくタイトルだけでも決めてくれ」と先にタイトルを発表して、その後、タイトルに合わせた内容を二人で練り上げていったという。
じゃあ、タイトルにはあまり重い意味がないんだ、と言いきれれば簡単だが、記録魔だった小津の日記を読むと、そうではない記述も出てくるから油断できない。広く知られるが、彼は第二次世界大戦中、兵士として中国戦線に従軍している。その戦地で書いた文章の中には「麦」「秋日和」「浮草」「秋刀魚」と後にタイトルとなった言葉が何度も出てくる。死がすぐそばにある中で、目に映る美しいものを忘れてしまわないようにと書くかのように。
中でも秋刀魚はよほど恋しかったようで、秋刀魚を食べたいという素直な文章もあれば、俳句にも詠んでいる。戦後、日本に戻り、映画監督として充実する中、愛する母、あさゑが1962年(昭和37年)2月に亡くなったときには、葬儀の後、日記にこうも書いている。
「もう下界はらんまんの春、りょうらんのさくら、此処にいてさんまんの僕は『さんまの味』に思いわずらう。」
愛する人の不在を感じたときにふと思う、うまさと苦さ、それが小津にとっての秋刀魚の味だったのだろうか。
小津が愛した「ダイヤ菊」
一人前の映画監督になったのも、撮影所の食堂で並んでカレーを待っていたところ、後から来た映画監督が先にカレーを食べたことに激昂し、大声で抗議したことがきっかけ。この騒動が松竹、鎌田の撮影所の所長、木戸四郎の耳にまで届き、所長室に呼び出され、逆に「見どころのあるやつ」となったのだ。
生涯、結婚をせず、家庭を持たなかった彼だが、独身貴族を地で行く人生で、酒のエピソードもとっても多い。前出の野田が長野の蓼科に雲呼荘という、クレヨンしんちゃんばりのダジャレた別荘を持ったことで、この地に何か月も逗留し、脚本の執筆をすることになった。そこで愛したのが諏訪の銘酒「ダイヤ菊」。小津と野田は脚本を書きあげるのに、「ダイヤ菊」の一升ビンを100本飲むか、飲まないかをバロメーターにしていたという。鎌倉、円覚寺にある彼の墓前にはいつ行っても「ダイヤ菊」をはじめ、日本国中の日本酒が備えられている。
酒場で盛り上がった恋愛話は、成就しない
小津の映画では、酒の場で男たちが恋愛の設計図を書いては、妄想し、憧れの女性との第二の人生を夢見たりするのだが、実際にはそれがまったくうまくいかないという描写が出てくる。
小津や野田は酒を飲みながら、こういう与太話をしては、盛り上がっていたのではないだろうか。
佐分利信が演じるとある企業の常務が、笠智衆演じる親友の娘(久我美子)の駆け落ちの相談相手となって、彼女が務めるバーに乗り込んでいく場面がある。そこで彼が飲むのは外国産のウィスキーのハイボール。でも、その相伴に預かった会社の部下は後日、同じバーで「(俺は)いつもの国産の安いの、あーうめえ。安くても自分で飲んだ方がうめえ」という。父世代がよいと思うものとは違う、子世代が選ぶ現実。それがこのセリフに込められているのだ。
『秋刀魚の味』の酒の場面には、人生の悲しみと儚さがにじみ出る
妻に先立たれ、婚期を逃しそうな娘(岩下志麻)の将来を心配する父(笠智衆)の話、という点ではそれまでもさんざん小津が描いてきた風景だが、笠智衆演じる平山が感じる時の移ろいの苦さが酒の場で表出する。
今や教え子たちが立派な紳士となり、その教え子に呼ばれた会席の場で、初めて食べる茶わん蒸しの鱧に夢中になり、気もそぞろな老いた教師の姿(東野英治郎)。その変貌を、教師が去った後に、酒を飲みながらなかなか厳しい視線で批評する男たち。そして、平山が送っていった先の教師の家が場末の小さなラーメン屋で、そこの娘が必死にビールをすすめるが、その場のいたたまれなさに丁寧に断り、帰ろうとする平山。もはやどうにもならない大人の事情が、酒の場での肴となり、しみじみと痛飲する。まさにタイトルの秋刀魚のはらわたの苦さと通底しあうのだ。
公開の翌年の3月、小津は首に痛みを感じ、入院。9月にがんと診断され、10月に北鎌倉の邸宅から東京の病院へと搬送されるとき、担架の上で付き添いの佐田啓二にそっとこういったという。
「この道を酔っぱらってよく登って来たもんだ。今は下りだけれど、酔ってた時の方が苦しくなかったよ」
きっと彼にとっての酒とは、いろんな苦しみから自分を解放してくれる妙薬だったのだろう。
「キネマ旬報」「装苑」「ケトル」「母の友」「朝日新聞」など多くの媒体で執筆中。著書に映画における少女性と暴力性について考察した『ブロークン・ガール』(フィルムアート社)がある。取材・構成を担当した『アクターズ・ファイル 妻夫木聡』『アクターズ・ファイル 永瀬正敏』『鈴木亮平 FIRST PHOTO BOOK 鼓動』(すべてキネマ旬報社)、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)が発売中。