2020.12.26
「コロナ禍こそ白シャツ」がフランス人のエレガンス
外出制限中のフレンチ・マダムは言いました。「何を着たいかわからない日は白いシャツを着る」。汚さないよう、変なシワがつかないよう、立ち居振る舞いを正すことが自堕落防止につながると。コロナ禍を跳ね返す気概を学びたいものです。
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文/ドメストル美紀(文筆家)
今回は、そんなフランスのマダムやムシューたちが、どのようなアイデアで、このコロナ禍による陰鬱さを乗り越えているのか、ひょんなことからフランスの貴族に嫁いだ『どんな日もエレガンス』の著者であるドメストル美紀氏がご紹介します。
何を着たいかわからない日は「白シャツ」を
「コンフィヌマン(外出制限)が始まった頃は、朝、目が覚めても無気力で、何を着ようかと考えるのも面倒になっていてね。気づくと、身体に楽な服、汚れが目立たない服、暗い色の服ばかり選んでいる自分がいる。これでは、気分も下がるし、自堕落になっていく予感がしたのでルールを決めたの。『何を着たいのか明確でない日は、白いシャツを着る』ってね」
それで、お気に入りのメゾンの白いシャツを何枚か買ったということでした。ピシッとアイロンがかった白いシャツを着ると気持ちが引き締まるだけでなく、汚さないように、また、変なシワがつくような姿勢はしないように、と自然と自分の立ち居振る舞いを正すので、「自堕落防止にも効果的」だとか。
明るいニュースが少ない昨今、今日は元気が出ないな、というときはシャツでなくとも、白をトップスに持ってきてはいかがでしょう。不安な気持ち、頑張ろうと思う気持ち、ざわざわする気持ち、すべてに寄り添う「白」は究極のエレガンス色ともいえます。
外出を控えがちな昨今、買うものといえば、生活必需品のみとなっています。そんな中、義理の叔母は、ひいきにしている花屋から、毎週ブーケを届けてもらうよう手配しているそうです。「初めは、私なりの経済活動への貢献のつもりでしたが、そのうち、花が届く日を心待ちにしている自分がいました」。
どんな花を混ぜてもらうかはフラワーデザイナーに任せて、サロンに置く大きめのアレンジメントと、寝室に置く小さめのものを依頼しているということです。「毎週、『今回はどんな花だろう』とワクワクしています。いくつになっても、そして自分で買ったにしても、花を受け取るというのは、うれしいものなのね」。
この叔母は1人暮らししていることもあり、部屋に生花があると気分が明るくなる、とも言っていました。この気持ちは、家族と暮らす私にもわかる気がします。誰でも孤独な心を持っているもの。そこに花一輪あるだけで、何かほっとするのは、同じ生命を持つ存在だからなのでしょう。
コロナ禍で人の命が危険にさらされている中、花どころではない、と思いがちですが、こういうときこそ、花束を、大切な人に、そして自分に贈ってあげてはいかがでしょう。
「心をリセットする」時間は大事
私の瞑想タイムは、なんと、アイロンがけをするとき。シャツやシーツ、タオルや布巾まで、気が向くと、ひたすらアイロンをかけるのです。霧を吹きかけ、シャツの襟、身頃、そして肩。アイロンのとがった先も上手に使いながら、もれなくシワを伸ばしていくのです。
そんな風に集中していると、段々頭の中が真っ白になっていきます。心地よい布ずれの音、シーツのスムースな手触り、蒸気の匂い――。感覚が研ぎ澄まされて、普段は見逃している小さな事象を知覚できるようになる、これが瞑想状態なのです。
要は、頭と心の雑音から解放され、無心になる時間を持つこと、それが瞑想なのだと思います。心が不安定になりがちな昨今ですが、こうして「無になる=心をリセットする」ことは大切。瞑想の方法は人それぞれでしょう。ランニングする、ウォーキングする、土いじりをする、編み物をする――自分なりの瞑想法を持つことを勧めます。
コロナ禍で、夫もテレワークが多くなりました。そんな夫の新しい習慣は、夜の散歩。仕事を終えると、コートを引っかけ、ハンティング帽を被り出かけていくのです。春はまだしも、フランスの秋冬は日が短いので暗闇の中を歩くことになります。かえって気分がふさぐのでは、と思いきや、そうでもないようです。
「暗い中、家々の小さなともし火が点っているのを見ると、気持ちが安らぐんだよね。仕事でむしゃくしゃしたことも、どうでもよく思える」
これは何となくわかります。大切なことは何か、思い出させられるのでしょう。また、春先から星空の下を歩いているので、「三日月の傾きが変わった」「月が高くなった」などと、夜空の変化に気づくようです。壮大な宇宙を感じながらてくてく歩くというのも、カオスな現世を冷静に見つめるきっかけになりそうです。
仕事や時間的制約があるため、明るいうちに散歩することができない方、危なくない道を選んでのナイト・ウォークはいかがでしょう。思いがけない発見があるかもしれませんよ。
助けを求めるのは恥ずかしいことではない
フレンチ・マダムというと気位が高い、というイメージがありますが、一方でとても正直な一面もあります。普段から、「あなた、コレして下さる?」「わたくし、アレは嫌なの」と、自分の要望や気持ちを、相手が察してくれるのを待つことなく堂々と伝えます。
日本人の目から見るとわがままに見えることもあるのですが、無理をしない、というのは健全なこと。先述した弱音を吐くということも、あるがままの自分を肯定していないとなかなかできないこと。何か清々しいものを感じました。
コロナ禍は未曾有の事態といってよいでしょう。自分のモラルを崩さないよう、気をつけながら暮らすことも大切ですが、弱音はどんどん吐くべきではないでしょうか。片意地を張っている場合ではありません。「困った」「さびしい」という気持ちは堪えていると、つらくなる一方です。
助けてほしいときは、素直に声を上げて下さい。恥ずかしいことではないのです。人間誰でも助けが必要なときがあります。そして、頼られたならできるかぎりのことはしてあげましょう。物質的に助けてあげられないとしても、側にいてあげる、一緒に泣いてあげるだけでもよいのです。
混沌とした今こそ試されているのは、人間らしく生きること。言い換えれば、自分のありのままの気持ちを認めてあげること、そして、自分にそうするのと同じくらい、他人に対しても優しくあること。そんな、“真のエレガンス”を保てるかが試されているのだと思うのです。
『どんな日もエレガンス』
日本のサラリーマン家庭で育った著者が、18世紀から続くフランス伯爵家に嫁いでみつけた、混沌の今こそ身につけたい、しなやかな強さ。
エレガンスは、「繊細で美しい」だけではなく、「あってもなくてもよいもの」でもない。人が生きていく上で不可欠な〝強さ〟なのではないか、と思うのです。
たとえば、義母達はコロナ禍においてもそんな「しなやかな強さ」を幾度となく教示してくれました。長い外出制限中も動揺することなく、普段と変わらずシックな装いに身を包まれ、手に入るもので食卓を飾っていました。フランス人は、感情を見せることを躊躇しません。やり場のない怒り、そして不安からヒステリックに振る舞う人が多い中、「だからこそ、わたくしは、いつもと変わらずに過ごします。不自由さも受け容れて、今ある時間を、今できることをして暮らしておりますの。どんな日も味わい深くなるものですよ」と言う彼女たち。ご自分を満たす術を熟知されています。
そんな義母達には信念があり、毎日の暮らしの中で、それを実践しているのです。これこそが、エレガンスの真髄なのかな、と、コロナ禍を経て、今、答えにたどり着けた気がしています。
著者/ドメストル美紀 大和書房刊 本体1500円+税
HP/www.daiwashobo.co.jp/book/b509140.html