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2017.08.21

太宰治、赤塚不二夫、酒好きの作家たちが愛した酒のアテ

赤塚不二夫、小津安二郎、太宰治、山田風太郎、田村隆一ら酒飲みたちが愛した酒のアテは何だったのか。

CREDIT :

文/草彅洋平(東京ピストル)

フォークナー、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、オニールといったアメリカを代表する作家たち。そんな彼らがアルコール中毒に痛めつけられながら、傑作を書いていたことを如実に示した本がトム・ダーディスの『詩神は渇く―アルコールとアメリカ文学』(トパーズプレス)だ。
アメリカのノーベル文学賞受賞作家7人のうち5人はアル中で、作家の苦悩に酒が切っても切り離せない存在であることが、読めばよくわかってしまうのだ。

日本でもアル中とまではいかないが(いやそういう作家もいるが)、酒を愛した作家は数多い。
そこで今回は小説家・太宰治だけではなく、大衆小説家・山田風太郎、詩人・田村隆一、映画監督・小津安二郎に漫画家・赤塚不二夫も入れて、彼らが愛した「酒」について考察してみよう。
酒の美味しさを知り尽くした彼らが、そんな酒のアテに好んだものは何だったのか。今晩のつまみに悩んだら、酒飲みの先輩たちに“真似ぶ”のもいいかもしれない。
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赤塚不二夫とキャベツ

赤塚不二夫 タモリ
写真:Kodansha/アフロ
漫画家の赤塚不二夫の好物は西新宿の老舗台湾料理店「山珍居」の煙腸(腸詰)や、納豆、イカの刺身などのさっぱりした食べ物だということは知っていた。
だが赤塚を中心に新宿の「ひとみ寿司」で開かれていた伝説の宴会「赤塚会」について、映画監督の山本晋也が「冷やしキャベツをつまみに毎週のように宴会をしてた」とインタビューで話しているのを読んで、俄然冷やしキャベツに興味を抱いてしまった(週刊ポスト2016年12月16日号「タモリ、所ジョージらが集った伝説の宴会「赤塚会」とは」)。
「寿司屋で寿司を食わないのは、先生一流のシャレだったんだろうね。参加者はここで宴会芸を披露しては、芸を磨いていた」
当時タモリにたこ八郎といった豪華なメンバーが参加していた赤塚会。そのおつまみが寿司屋での冷やしキャベツというのが非常に赤塚らしい話だ。
そんな話を念頭に、赤塚の関係者たちのインタビュー集『破壊するのだ! ! ──赤塚不二夫の「バカ」に 学ぶ』(ele-king books)を読み返してみたら、それが「キャベツの千切りに味噌と胡椒を付けて食べながら」とあった。こう読んでみると、普通のキャベツがなんだか美味そうに思えて来るから不思議なものである。
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小津安二郎とおでん

小津安二郎 酒
写真:毎日新聞社/アフロ
小津の映画には時代もあっただろうが、おでん屋が頻繁に登場してくる。「東京物語」「早春」「お早う」「東京暮色」など、作品でおでん屋の占める割合は大きい。おでん屋は下町のうらぶれた町の空気を出すに、おそらく焼き鳥屋や蕎麦屋よりもぴったりだったのだろう。おでん屋の女将役に「ちょっと小粋な中年増」(と脚本に書かれている)の女優を当て、小津の人生哲学を喋らせたのだ。
「古くったってね、人間にかわりはないよ。おんなじだよ」(「早春」より)
銀座にある「お多幸」はそんな小津の愛したおでん屋の一つ。その頃はんぺん、すじ、信田巻は日本橋「神茂」製を使用していたそうで、小津は神茂の練りものが好きだった。小津は手帳に「▲神茂-日本橋室町一ノ一四」とわざわざ書き残している。

太宰治と山椒

太宰治 山椒 酒
太宰といえば酒好きで知られているが、書き残されたエッセイ「酒ぎらい」には
「酒を呑むと、気持を、ごまかすことができて、でたらめ言っても、そんなに内心、反省しなくなって、とても助かる。そのかわり、酔がさめると、後悔もひどい」とある。

「それなら、酒を止せばいいのに、やはり、友人の顔を見ると、変にもう興奮して、おびえるような震えを全身に覚えて、酒でも呑まなければ、助からなくなるのである。やっかいなことであると思っている」とも。

太宰にとって酒は精神安定剤のようなもので、見知らぬ人の前に出るためのマストアイテムだったのだ。
そんな太宰は虫歯だらけだったため、柔らかいものしか食べることができなかった。だから彼が好きな食べ物は豆腐にうなぎ、バナナ、すじこ納豆、カニのように、柔らかいものが多い。
カンカラ罐を肩に七味唐辛子屋が通りすがりに寄ることがある。太宰はおきまりのように山椒の粉を買って、焼鳥の串にたっぷり振りかける。山椒の粉がないときには、唐辛子の粉をちょっと振りかける。それが江戸っ子の粋というものであるそうだ
(井伏鱒二「病院入院」『荻窪風土記』より)
太宰で一品を考えたときに、井伏のこの文章が思い出された。何が「江戸っ子の粋」なのかは分からぬが、必死に山椒や唐辛子を振る太宰の姿が目に浮かぶ。
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山田風太郎とチーズ肉トロ

山田風太郎 あと千回の晩飯 酒
某月某日
例によって、夕方五時半から食堂の隣りの十畳のまんなかにぽつねんと坐って、冬枯れの庭を見ながら酒を飲む。
家や家族や、環境は有為転変するが、この時刻に酒を飲んでいることは百年一日のごとく変らない。先年もふと病気して、数日でいいから禁酒するように医者にいわれたが、平然として飲んでいた。
それじゃあ酒をウマイと思ったり、愉しいと思って飲んでるかというと、可笑しくも悲しくもない気持で飲んでいる。ただ放心状態で飲んでいる。その状態がいちばん疲れなくて、それには一人がいちばんいい。そしてほろっとして、あと黙々と寝入ってしまえば目的は達せられるので、酒でもビールでもウイスキーでも、何ならショーチューでもちっともかまわない。
(「ひとり酒」より)
多摩ニュータウンに自邸を構えて以来、山田には、酒飲みのルールがあった。大コップになみなみついだオンザロックのウイスキーを一日ボトル三分の一を飲む。これが日課だ。
とはいえ365日夫人の手料理がおつまみだ。酒を飲みながらおかずを食べるのである。中でも山田が愛した料理が「チーズの肉トロ」という料理で、「とろけるチーズを薄い牛肉で握りこぶしの半分くらいに包み、サラダ油で焼いたもので、これをナイフで切って食う」と『あと千回の晩飯』でも紹介している。
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田村隆一とステーキ

田村隆一 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 酒
一、良酒あらば飲むべし。
一、友来たらば飲むべし。
一、のど渇きたらば飲むべし。
(ここから声が小さくなる)
一、渇くおそれあらば飲むべし。
一、いかなる理由ありといえども飲むべし。
詩人で酒神に愛された男・田村隆一が愛した座右の銘は18世紀の賢人、オクスフォード大学、クライスト・チャーチ学寮長をつとめたヘンリ・オールドリッチ博士の言葉だ。「酒を飲むことは、旅をすることだ」と書いた晩年の田村は、朝はワインから始まり、昼はウィスキーの水割り、夜は冷酒と、一日中酒を飲む生活を送った。
二日酔いについて、くどくど語ることはやめよう。それは諸君がよく体験し、熟知していることだからだ。(アンソロジー「洋酒天国2」より)
二日酔いでない、元気な日の朝食は、塩、胡椒だけで味付したシンプルなステーキを毎朝食べていた。もちろんワインをお伴にして。

● 草彅洋平(くさなぎようへい)

1976年、東京都生まれ。あらゆるネタに極めて高い打率で対応することから通称「トークのイチロー」。2006年に編集を軸としたクリエイティブカンパニーである株式会社東京ピストルを創設。以降メディアの領域を紙、web、カフェ、シェアオフィス、イベントスペースまで幅広く拡大。次世代型編集者として活躍中。

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