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2018.11.30

シビックとXR200Rでエアーズロックへ!

クルマ好きな皆さんのなかでも砂漠を走行したことがある、という方はどのくらいいるだろうか。1982年、筆者はボディにカンガルーが描かれたシビックでオーストラリアのオフロードを駆け抜けた。

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

1982年だったと思う。砂漠好きの僕はオーストラリアを走る計画を立てた。

シドニーから、地球のへそと呼ばれるエアーズロックまでを往復する砂漠の旅だ。整備された幹線道路は避けて、砂漠の中を縫うオフロードを中心に走ろうと考えた。

このコラムでもすでにご報告したが、1977年のロンドン・シドニー3万キロ・ラリーでは、オーストラリアの砂漠をいやというほど走らされた。13000kmを6日間で走り切ったことへの達成感はあるものの、苦しかった、辛かった思い出の方が、未だ多く蘇る。そんな辛く苦しい経験を味わったオーストラリアの砂漠を、楽しくハッピーに走りたい。そう思ったのがそもそものスタートだった。

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あれこれ考えている内に夢はどんどん膨らんでいった。4輪だけでなく、2輪でも走りたい、できればトライアルの王者、万澤康夫さんと一緒に走れたら最高だ。トレールバイク2台を積んだトレーラーを4輪で牽引したらいいだろう。4輪で万澤さんとお喋りしながら移動して、しかるべき場所でバイクのトレールランを満喫する、なんとも贅沢な計画が組み上がっていった。

4輪と2輪、となれば、話を持ってゆくのはホンダしかない。簡単な計画書を作ってホンダに駆け込んだ。ホンダは呆気ないくらいあっさり答えを出してくれた。「やりましょう、全面協力します!」と。そして、万澤さんからもすぐ「よろこんで!!」と快諾の返事がきた。

クルマ、バイク、トレーラーの選択と砂漠対策も、ホンダが全面的に引き受けてくれた。さらには、旅の記録を撮る撮影クルーまで付けてくれた。映像は、当時、最新技術として注目を集めていたレーザーディスクに収録することになった。さらに音楽を担当してくれたのは当時、超売れっ子だったシンガーソングライター、高木麻早さん(大ヒット作『ひとりぼっちの部屋』は今も覚えている人は少なくないだろう)なのだから、すべてが完璧だった! 

4輪はシビック、2輪はXR 200Rに決まった。シビックのボディサイドにはカンガルーが描き込まれた。みんなが自然に「カンガルー・シビック」と呼んだ。2台のXR 200Rはカンガルー・シビックが牽くトレーラーに。それは愛らしいというか、凛々しいというか、素敵なハーモニーだった。


シドニーをスタートしてすぐ、砂漠ルートに入った。トレーラーを牽引していることもあって、ゆっくりとていねいに走った。同じ砂漠なのに、『ロンドン〜シドニー』の時とはまったく景色は違って見えた。シドニー近郊の砂漠ルートは、牧場の中を通るケースが多い。日本の牧場とはケタ外れのスケールだ。町らしい町はほとんどない。あっても一瞬で通り過ぎる。アリゾナの砂漠地帯と同じだ。

それでも、熱いシャワーと清潔なシーツが用意されたモーテルはある。暖かい食事も食べられる。やはり先進国だなぁと思う。僕は三つ星レストランも好きだが、砂漠の中のモーテルで、オーストラリアビーフの巨大なステーキにかぶりつくのも好きだ。ステーキで満腹になった後、外のテーブルに場を移し、文字通り満天の星空を眺めながらのコーヒータイムは幸せのひと言に尽きる。

エアーズロック/マウントオルガ・エリアは荒涼とはしているが、神秘的な空気感に包まれている。とくに、巨大なエアーズロックが放つオーラには圧倒される。原住民の信仰の対象になっているのも当然だ。とくに朝夕の姿は神々しく、自然の神秘、地球の神秘の凄みに圧倒される。黙って立ちつくすしかない。そんなイメージだ。

マウントオルガ周辺は撮影のメインイベント。僕がカンガルー・シビックを全開で走らせる。猛烈な砂煙を長く巻き上げながら。そして、カメラがその姿を地上から空から追う。そう、ここではセスナをチャーターしての空撮も行われた。映像的にはもっとも大切な場面になるということだった。

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ところが、空撮直前、ウォームアップランの時にとんでもないことが起きてしまった。右リアサスペンションの一部が壊れてしまったのだ。サスペンションの予備部品などないし、近くに町もない。日程的にも予定はずらせない。「窮地に陥る」とはまさにこのことだった。

僕は、みんなにこう声をかけた。「なんでもいいから、骨折部の当て木になりそうなものを見つけてきて」と。鉄がいいのだが、木の枝しかない。仕方がないので、折れたアームの周りを強そうな木でしっかり囲み、その上から針金とガムテープをきつく何重にも巻いた。当て木したといっても、ほんの気休めにしか過ぎない。サスペンションがちぎれ飛ばないことだけを願って撮影を開始した。

セスナの飛行速度は60〜70ノット(1ノットは1.8km/h)だから、こちらもそのくらいで走らなければならない。僕はプレッシャーには強い方だが、この時はさすがにきつかった。「頼む、持ちこたえてくれ!」と祈りながら走った。祈りは通じた。僕もシビックもよれよれだったが、なんとか撮影はできた。撮影が終わるとすぐ、溶接屋のある町に向かった。セスナのパイロットが教えてくれた。

XR 200Rでのトレールランは最高に楽しかった。万澤さんについて行くのは大変だったが、フラットマウンテンの頂上に駆け上がり、そこから見渡した、雄大な砂漠の景色は今も鮮やかに目に焼き付いている。

万澤さんと、カンガルー・シビックと、XR 200Rと旅した7000キロは笑顔が絶えなかった。楽しかった。何度かタフな場面もあったが、チームから笑顔が消えることはなかった。いい旅だった。砂漠の旅がますます好きになった。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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