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2021.05.02

キューバは「クラシックカー天国」

キューバといえば、カリブ海に浮かぶレゲエを愛する陽気な人々の住む美しい島国。しかし、クラシックカーのタクシーが走っているほどクラシックカー天国なのですよ。そのワケとは!?

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第158回

「CUBA CARS」に夢中!

「CUBA CARS」に夢中、、、とは言っても、カリブ海の美しい島国で生産されたクルマなどない。キューバ産といえば葉巻やラム酒は有名だが、クルマはすべて輸入された、、、それもほとんどが1961年以前のものだ。

1959 年にフィデル・カストロが革命政権を樹立した2年後の1961 年、、、それまで最大の友好国であり、最大の支援国でもあったアメリカとの国交は断絶。欧米からの工業製品の輸入は途絶えた。さらには「新車の販売禁止」という政府の方針もあり、キューバは「クラシックカー天国」にならざるをえなかった。

そう、、、ここで言う「CUBA CARS」とは1940~1950年代のアメリカ車を中心にした「キューバを走るクルマたち」を指す。そして、もうひとつ、、「CUBA CARS」とは、僕が大切にしている、僕をとても楽しませてくれるハードカバー写真集のタイトルでもある。

この写真集に出会ったのは4~5年前。代官山蔦屋で、、、。まず足を止められたのが、艶やかな赤いコンバーチブルの表紙。1959年 シボレー・インパラの後ろ姿だった。

最近のアメリカ車は、名前も年式もほとんどわからない。だが、旧い、特に1950~60年代辺りのアメリカ車はかなり識別できる。コバルトブルーの海、白い砂浜、艷やかな緑、黒いキャップに赤い傘の金髪女性、、、そんな背景に赤いシボレー・インパラ・コンバーチブル、、、否応なく足は止まる。
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僕がアメリカ文化に憧れ始めたのは1950 年代半ば辺りから。「ハートブレイク・ホテル」を聞いて、エルビス・プレスリーに夢中になったのがキッカケだったかもしれない。もちろん、子供の頃からクルマは好きだったが、まずは大きく華やかなアメリカ車に憧れた。ヨーロッパ車に目を向けるようになったのは20歳に近くなった頃からだ。

僕は1940年生まれ。だから、1960年頃まではほとんどアメリカ車にばかり目が向いていたということになる。
「アメリカン・ドリーム」、、、難しい定義は置いておくとして、子供(10代辺り)の目で見た1950~60年代のアメリカは、まさに「夢の国」に見えた。そして、そこを走る巨大でカラフルなアメリカ車は夢のクルマ=ドリームカーだった。

そんな夢のクルマたちが、美しい南の島の日常として今も存在する、、、「CUBA CARS」には、そんな意味合いもある。

アメリカとの国交は2015 年、オバマ政権下で回復。しかし、トランプ政権下で再び関係は厳しい状況になったようだ。上記の「新車販売禁止」は2014年に終わり自由化された、、、が、新車の販売台数はごくごく限られたものにしか過ぎないという。

その理由は、政府が定めたとてつもなく高額な価格設定(新車、中古車とも)と、未だ年収数百ドル・レベルといわれる国民の収入の低さにあるとされる。といったことで、キューバを走るほとんどのクルマは、1961年、、、アメリカとの国交断絶以前に輸入されたクルマ(主にアメリカ車)ということになるわけだ。
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クラシックレベルのクルマがが未だ大半を占める現状は、長く続く厳しい経済状況を象徴する遺産といえる。だが、その一方では、キューバの有力な観光資源になっている。観光はキューバの経済を支える柱の一本だが、カラフルなアメリカン・クラシックが、重要な観光資源になっているのは紛れもない事実だ。

僕もキューバに行くとしたら、主な目的は「アメリカン・クラシックのある光景」になる。多くの旅をしてきたのに、未だキューバに行っていないのは不思議な気がする。理由は自分でもはっきりはわからないが、たぶん、フライト時間の長さを嫌い「いつか行こう」と後回しにしている内に、、といったことなのだと思う。

さて、「CUBA CARS」のページをめくることにしよう。

、、、赤のビュイック・インヴィクタ・コンバーチブル 1959年、赤のフォード・サンダーバード・コンバーチブル 1959年、紺と水色ツートンのシボレー・ビスケイン 1958年、、次々と懐かしい姿が出てくる。表情豊かなハバナの街、そして人々とともに、、。

赤のエドセル・コンバーチブル 1958年は、外観もシートもきれいにされているが、大写しされたダッシュボードには60余年の歳月がしっかり感じ取れる、、素晴らしい構成だ。スペイン風の建物の前に佇む赤のシボレー・ベルエア 2-10 1955年はピカピカ。メッキ仕上げの5本スポークホイールを履いているのが妙に今風に見える。

1953年のビュイック・スーパー、、、ボディはいかにも素人仕上げの青塗装で、バンパーもグリルもメッキ部分も、、すべてボディと同じ青で塗られている。出来損ないのオモチャみたいだが、妙にインパクトがある。クラシックでカラフルな街並み、ストリートアート、人々のハッピーな笑顔、、クルマの背景に、あるいはページの間に挟み込まれたハバナの表情を見るのも楽しい。
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明るい水色と白、、、華やかなツートーンの1957年 フォード・フェアレーン500は大好きな一台。インテリアも同じ色で揃えられ、メッキのホーンリングをもつ細いステアリングホイールが美しい。3角窓のフレームに左手を軽く押し当てて身体を安定させる。右手の掌を細いステアリングホールに軽く押し当ててクルクル回す、、、ハリウッド映画で覚えたこの「アメリカ車運転法」が、僕はとても好きだった。

登場するどのクルマにもみんな「いいね!」をつける。、、、が、中でも、僕がとびきりの「超いいね!」を付けるのは、1956年のフォード・フェアレーン・クラウン・ビクトリア・コンバーチブル。クラウン・ビクトリアは「2ドア・ハードトップ」だけだと思っていたが、「CUBA CARS」でもっとも輝いて見えるのは、真っ白なボディカラーのコンバーチブルだ。

ごく少数存在したのか、だれかが特別に仕立てたものなのかはわからない。でも、とにかくカッコいい。しかも、演じるシーンがまた最高。その後席、、、畳み込まれた幌の上には、背筋を美しく伸ばした花嫁が腰を掛けている。

花嫁は、純白のウェディングドレス、純白のベール、手には赤いリボンが結ばれたブーケをもち、ウェディングドレスの裾は長いトランクリッドの後端まで伸びている。そして、フロントウィンドウ左右上端からボンネットの先端中央には赤いテープが伸び、ドアノブには赤いバラが、、、。

運転席と助手席に座るのはおそらく花嫁の両親だろう。母親は濃い色味のドレスを着けているが、運転する父親は赤いシャツ姿。そんな夢のようなシーンは、旧い建物を背景にした交差点のど真ん中で演じられている。

ハッピーなシーンだけではなく、朽ちかけた、あるいは朽ち果てたクルマを捉えた物哀しいシーンも悪くない。
1955年のメルセデス・180D、1950年のシトロエン・11CV、1954年のポルシェ356(朽ち果てる寸前)、、、懐かしい欧州車の姿もでてくる。

クルマをテーマにしたキューバの写真集は多く出ているし、他にもいいものはいろいろあるだろう。でも、僕はこの一冊がとても気に入っている。ちなみに、ここでピックアップしたクルマを、あるいは「キューバのクルマ」といったキーワードで画像検索していただけば、きっと楽しい時間が過ごせると思う。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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