文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽
都市内の駐車事情は厳しい。行く先の近くに駐車場がないことは多い。あっても料金は高額。領収書で会社決済できる人はいいが、自腹は辛い。マンションの駐車スペース確保も競争率は高いようだし、一軒家でも1台分がふつう。こうした駐車事情の悪さが「クルマ離れ」の一因なのは間違いない。
で、僕が運転免許をとった(1956年)頃の駐車事情はどうだったかといえば、「天国」だった。ま、クルマが少なかったのだから当然ではあるのだが、駐車禁止の場所などほとんどなかった。確か「交差点から20m以内は駐車禁止」といった法律はあったように記憶しているが、それさえ覚えておけばいい。
なにしろ、銀座や新宿などの主要交差点付近でもそうだった。つまり、銀座4丁目交差点直近でも駐車はOKだったわけだ。駐車の時間制限もなかった。
銀座にも新宿にもよく行ったが、どこにでも自由に駐められた。幅広い道路でさえあれば、フルサイズのアメリカ車でも駐車に苦労することなどなかった。道の狭い田舎や古い町並みが残る地域では、物理的理由から駐車できないことはあったが、僕の日常で「駐車を意識させられること」は皆無だった。クルマは、ほんとうに自由な移動手段だった。

話しは突然横道にそれるが、付き合っていただきたい。
僕が結婚したのは1962年。家内共々22才で学生。この早婚はむろんワケありで、簡単にいえば、親の勝手な都合に従った結果だ。
家内の兄が結婚するので親が家を買ったのだが、その新築物件、同じ敷地内にもう1軒建っていた。で、持ち主は「2軒一緒じゃないと売りません」という。ふつうならここで「他を探そう」となる。が、家内の親(とくに母親)はすこぶる天真爛漫!?で、「気に入ったから買う」ときた。その時僕は、当然、空いている一軒は誰かに貸すつもりなのだろうと思った。ところが違った。大違いだった。
天真爛漫(ノーテンキと解釈していただいてもいい)な母親は、「あなたたち住みなさい。いずれ結婚するんでしょう。だったら、すぐ結婚して住みなさい。空き家にしておくのはもったいないから」・・・と、まあ、とんでもない展開になったのだ。
現役大学生、収入ゼロ、将来性完全不透明・・・そんな男との結婚を、「空き家にしておくのはもったいない」からと娘に迫る明治生まれの母親・・・その規格外ぶりはハンパではない。特大の場外ホームラン級だ。
話せば長くなるので「中略」とするが、結局は結婚。その家に住むことになった。
ここから再び駐車事情の話しに戻る。
上記の家は、青山の閑静な住宅地にあった。
ほんとうにいい場所だった。
唯一の難点は、道路から少し奥まっていて、石段を登った奥という立地。だから、駐車場がない。住宅地なので、近くには貸し駐車場もない。兄も僕もクルマなしの生活は考えられなかったのでそうとう渋った。反対した。
でも、肝っ玉母さんの勢いには勝てない。
それに、石段を下りた前の道路は駐車禁止ではなく、道幅も非常に広かった。その上、交通量もほとんどない。そんなことで「まあ、いいか」となったのだが、それから2年ほどで、その道路は駐車禁止になった。
家を買うのに、そんな心配も予測もしないなんてバカだといわれればその通りだが、駐車禁止が通達されるまで、まったく気にもしなかった。要はそんな時代だったのだ。
クルマを手放すなんてあり得ないし、遠くまで駐車場通いをするのもまっぴら。となれば、新築の家を買ってたった2年住んだだけなのに引っ越し・・・もやむを得ない。
以来、僕が家を探すときは「駐車場」が筆頭条件になった。今の家、今の前の家には、4台分の駐車場を確保できたが、嬉しかった。
とくに今の家のガレージはお気に入りだ。
シャッター付は2台分だが、「アメリカン・フルサイズが頭からすんなり入れる」イメージで作ったので当然広い。
ただし、僕は大型車は好きではない。好きなのは大きなガレージだけ。よって、今もそこに住んでいるのはミニ・コンバーチブルとアウディ Q3。だから、スペースはスカスカ。 頭からでもお尻からでも出し入れは超楽々。
2台分の来客用スペースもまあまあだ。
そんなわが家の駐車事情は僕をハッピーな気分にさせてくれている。もちろん、どこにでも自由に駐められた昔の方がもっとずっとハッピーだったが・・・。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。