文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽

初めてVWビートルに乗ったのは19才のとき。「遅い」とは聞いていたが、とりあえず「外車!」だ。外車ならなんでも輝いて見えた時代だから、遅かろうとなんだろうと乗りたい。で、乗ったが、やはり遅かった。

1955年辺りのタイプ1で1.2ℓエンジンだったが、ひとことで言って非力。モアーッとした出足は平和そのもので、モアーッとしたまま最高速度に達する。初めはイライラするが、そのうち馴れる。そして、達観の域に達するとリラックスできる。

フラット4は非力でも回転フィールはいい。 回転は上がらないが、全開で踏んでも日本車のエンジンのように悲鳴はあげない。壊れもしない。全開で踏み続けることに躊躇はいらない。これは気持のいいことだし、リラックスにも繫がる。

4速MTもシフトゲートが不確実で、馴れないと戸惑うが、馴れればスイスイ操れる。

操りにくいものを巧みに操るのは気持がいいし、楽しい。この辺りかつてのポルシェにも通じるものだが、密かな優越感も味わえる。
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単純な直線のヨーイドンならビートルは遅い。文句なしに。だが、ある条件下ではとても速い。ある条件下とは「悪路」を指す。

1950年代には東京近郊でも悪路(砂利道)はいくらでもあった。だから、悪路への強さは大事な性能だった。頑健そのもののボディと4輪独立式サスペンション、そしてRRのコンビネーションは、悪路で断然強かった。

パワーは非力でも、悪路では高いアベレージスピードで走れた。そんなことで、1960年代前半頃までのビートルはラリーに強いクルマだった。全日本クラスが多数出場する高速ラリーに、ヤナセ・チームの一員としてビートルで出場した兄が優勝したこともある。

そのラリーに僕は310系ブルーバードで出ていたが、確か18位くらいで完敗。ブルーバードはドアがまともに開閉できなくなるくらい深刻なダメージを受けた。

兄に聞いたら、「ビートルはケロリ」としていたそうだ。「洗車するだけでOK 」とも言っていたが、改めてそのタフさを思い知った。 

●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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