文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽

昔々、旅人にとって「箱根越え」は難行とされた。クルマにとっても同じこと。1950年代頃までは難行だった。ゆえに自動車メーカーの重要テスト項目にも入っていた。

「やっとなんとか」でも、箱根を越えられるか否かが、国産車開発の合否を左右した。

そんな難行を僕は1955年に経験している。

クルマは110型系ダットサン。1955年から1957年まで造られた日産の小型乗用車だ。

フェンダー一体型のスタイルは戦前と決別した「近代的」なものとして喝采を受けた。

が・・・エンジンは戦前型そのもの。4気筒860ccのサイドバルブ式で、25馬力。

当然ながら非力だ。そんなダットサンに乗り、兄の運転で箱根を目指したのだが、アマチュアにとってはビッグイベントだ。

とはいえ、箱根の山に入るまでのことはまるで記憶にない。ということは、なにごともなく走れたということなのだろう。

溝呂木陽 岡崎宏司

さて、ここからは難行の「箱根越え」。

110型ダットサンは、唸りをあげてノロノロ登っていった。唸りとはいっても「情けない唸り」だ。そして、水温計の針はすぐ上がり始めた。兄は遅いスピードをさらに落とした。でも、水温は下がらない。停まって休みたくても狭い箱根路、道を塞ぐのは迷惑だ。

ドキドキしながら進んだのだが、ほどなく前方に待避エリアがあり、数台停まっているのが見えた。開けたボンネットの下から蒸気を噴き出しているクルマもあった。オーバーヒートだ。そこは小さな滝壺のような水場なのだが、ボンネットを開けたクルマたちの主はバケツを持って水場に降り、汲んだ水をラジェーターに注ぎ込んでいた。聞くと、この水場は、箱根越えに苦しむクルマたちの多くを救ってきたという。僕たちもバケツを借りて、減ったラジェーターの水を補給した。

そして、再び走り始めた。さらにさらにゆっくりと。水温計ばかり見ながら。

芦ノ湖畔は遠く遠く感じた。やっと着いたときは思わず「万歳!」をした。非力な国産乗用車での「箱根征服!」に興奮した。なぜか今も、箱根路のあれこれだけは覚えている。

●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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