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2020.10.25

後にも先にも出会ったことがないアラスカ・ハイウェイ沿いの“ホテル”

カナダを経由してアラスカ州とアメリカ本土を結ぶ道路が「アラスカ・ハイウェイ」だ。そこを走っていると、まるで広大な自然の中に放り出されたような感覚に陥ってしまう。そんな道沿いに、ポツンと現れた“ホテル”が後にも先にも出会ったことがない場所になるとは……。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第145回

アラスカ・ハイウェイの旅 

1964年の世界1周を皮切りに、世界中を旅してきた。その多くはクルマの旅だ。

数千キロの旅はとくに珍しくないし、数万キロというタフな旅もした。いったいどのくらいの距離を走ったのだろう。今になって、記録しておけばよかったなぁと思っているが、、後の祭り。まあ、数十万キロは走っているだろう。そんな中で、特別な記憶として残っている旅がいくつかある。

ロンドン〜シドニー、ロサンゼルス〜ニューヨーク往復、ロサンゼルス〜中西部〜南部〜ロサンゼルス、バルセロナ〜ベルゲン(ノルウェー)、オーストラリア横断と縦横断、、そして、今回書く、アラスカ・ハイウェイの旅、、といった辺りだ。

アラスカ・ハイウェイは、カナダを経由してアラスカ州とアメリカ本土を結ぶ道路。元々は、太平洋戦争を機に、アメリカ軍の補給路として建設されたらしい。アラスカ州のデルタジャンクションを北端とし、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のドーソンクリークを南端とする、おおよそ2200キロのハイウェイ。

ハイウェイというと、淡々と続く快適な舗装路をイメージするかもしれない。が、40年ほど前に走ったアラスカ・ハイウェイは、「未舗装で険しい地形」が多かったと記憶している。実際に走ったのは、アラスカ州フェアバンクスからLAまで。5000キロを超える旅だった。
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旅を共にしたのは、当時、週刊プレイボーイの編集者であったと同時に、家族ぐるみのお付き合いをしていた友人でもあったH氏。時は1979年の秋かと。旅の足は2代目シビック(通称スーパーシビック)だ。

ホンダと週刊プレイボーイの共同企画だったため、クルマの手配等々、面倒なことは「一切お任せ」だったのは楽だった。具体的なコース等、事前に決めていたことはほとんどなかった。決まっていたのは、「アラスカ・ハイウェイを走る」ことだけだったように記憶している。

僕の旅のほとんどは「決めごと」がないままに出発するが、痛い目に遭ったことがないのは単にラッキーなだけなのだろうか。例えば、ホテルを予約していたら、そこに予定通り着くため、あれこれ犠牲にしなければならない可能性は大だ。そんなことで、ほとんどなにも決めごとのない旅はスタートした。

フェアバンクスでクルマを受け取り、まず向かったのはデルタジャンクション。アラスカ・ハイウェイ北端の町だ。この間はそこそこの町もあり、行き交うクルマもあった。ドライブインもあり、アメリカのカントリーエリアを走っているのと、大差はなかった。

デルタジャンクションには、アラスカ・ハイウェイの起点を示すポールがあり、ポールには、ニューヨーク、パリ、モスクワ、ロンドン(明確な記憶ではないが)、、といった世界の大都市の名前と距離が描き込まれたダイレクションボードが。

モスクワやロンドンよりはるかに距離は近いものの、これから始まる旅に、なんとなく寂寥感というか、孤独感というか、、そんな感覚を抱いたことを思いだす。折からの「重い曇り空」のせいだったかもしれないが、、。

デルタジャンクションの町を出たところから、一気に景色は変わった。
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もう40年以上も前のことなので、記憶はブツブツ状態だが、広大な自然の中に突然放り込まれた、、そんな感覚が残っている。ハイウェイとはいっても、元々、戦時に突貫工事で造られた道路。一般的なハイウェイのように、走りやすさとか安全性への配慮考慮はほとんどなかったのだろう。

1940年代のままだったのかどうかはわからない。が、僕が走った1979年でも、けっこうきつい坂が連続したり、非舗装路面、それもかなり荒れた路面がほとんどだった。森林を切り拓いて造った道路だから、道幅も狭い(ときに広いところもあるが)。アラスカの森林はほとんどが針葉樹で、その中を通るハイウェイは、走っても走っても景色はほとんど変わらない。

自然のままの渓流が寄りそうように流れるところもあるが、そんなところでは、癒されるというか、なにかホッとした気持ちになる。水流の透明さにも心惹かれた。延々と続く針葉樹の森林も、時にしぶきを上げながら流れる美しい渓流が加わったときは、退屈さから解放された。

アラスカ・ハイウェイの大半は「動物保護区」の中にあり、動物を轢いたりするとペナルティが課される。これにはけっこう緊張した。オーストラリアや北欧のドライブで、野生動物との「危うい場面」には何度も遭遇していたからだ。

その一方で「アラスカの野生動物を見たい」という気持ちも強かった。野生動物との遭遇は、この種の「旅の醍醐味」でもあるからだ。オーストラリアでは、ラリー中、カンガルーにぶつかっているし、北欧では大角鹿を危うく轢きそうになったこともある。大型の野生動物はこちらのダメージも大きいし、怖い。

幸か不幸か、あるいは残念ながら、、野生動物にはほとんど出会わなかった。大ものは野生の馬(野生化した馬?)くらいだった。

ホテルは予約など一切ない。まあ、予約しようもないような場所を走ったのだから、当然なのだが、、ひとつ、面白い経験をした。アラスカとカナダの国境地帯、、アメリカ側かカナダ側かは忘れたが、国境(boundary) 直近で泊まったホテルがすごかった。

すごいホテルと言えば、贅沢なホテルを連想するかもしれないが、その真逆。世界中を旅してきて、後にも先にも出会ったことがないホテルに泊まった。そこには、アメリカの片田舎で出会うような小さなドライブインがあり、食事をした。それ自体はなにも特記することはない。
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すごかったのは、そのドライブインの前にあった3軒の板張りの小屋。2軒は6畳くらいで、1軒は15畳くらいの大きさだった。白ペンキで塗ってはあったが、僕は物置小屋だと。ところが、これが、このエリア唯一のホテル。ドライブインで、「近くにホテルは?」と訊ねた答えがこの物置小屋だった。

次のホテルまでは「かなり遠いよ」とのことだったので泊まることに。宿泊費は$9.99だったように記憶している。安いのはいいが、扉を開けて驚いた。みすぼらしいだけでなく不潔。前の客が出た後、ベッドの形を整え、ゴミを捨てただけ、、そんな感じだった。

僕は靴だけは脱いだが、あとは着たまま寝た。布団も腰の下辺りまでしか掛けなかった。でも、旅の疲れからか、すぐ熟睡したようだ。

アラスカ・ハイウェイの旅では、とくに困難にも危険にも出会わなかった。毎日美しい自然を見ながら走るだけだった。ハイウェイ沿いの自然は美しかったが、たまに出会う町は小さく、廃墟に近い町、廃墟になった町、、胸打つ光景にも多く出会った。

カナダのホワイトホース辺りまでで旅の目的はほぼ終わった。そこから先、LAまでは、ただ淡々と走るだけ。そこでいちばんきつかったのは「退屈さとの戦い」だった。あれから40年ほっど経ったが、最近のアラスカ・ハイウェイは、多くの客を吸い寄せる観光地になっているとの話も聞く。$9.99のあのホテルはどうなっているのだろうか。かなり気になる、、。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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