2020.09.27
ドラマティックなミラノの出来事
仕事柄、試乗会や発表会、他にも数え切れないほどフライトを重ねてきた筆者。その中でも最も記憶に残っているドラマティックな思い出とは?
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第143回
大雪のミラノと帰路の出来事
雪はミラノに着いた日の夜から降り始めた。
雪のミラノは美しかったが、大雪となると支障も出る。
雪は一晩で止んだが、夜の降雪量はすごかったようで、ミラノはほとんど動きを止めていた。動いていたのは、わずかなタクシーと地下鉄だけ。
その日は、日帰りでジェノバに行く予定だったが、中央駅発の列車もすべて止まった。
ジェノバは旧さと新しさが見事に調和している美しい町。大好きな町だ。
列車での1時間半ほどの小旅行も楽しいし、ミラノ中央駅から列車に乗るという行為もワクワクする。ミラノ中央駅は「世界でいちばん美しい駅」と言われるが、そうだろう。
ジェノバ行きはダメになったが、中央駅には行きたかった。何度行っても行きたい場所だ。
家内も同意してくれたので、ランチを食べがてら行くことに。もちろん移動は地下鉄。
クリスマス時期のミラノ中央駅はいつもよりずっと華やいで見えた。大きなクリスマスツリーも見事だった。
クリスタル・アクセサリーのスワロフスキーが、小さいながらも絶好の場所に出店していた。そこで、家内へのクリスマス・プレゼントを買った。
列車は止まっていたが、駅にはかなりの人が。列車が動くのを待つ人たちだったのだろう。
ホームに行って、列車を見て、案内版を見て、、それだけで旅をしたような気分になれるのだから、、、ミラノ中央駅の魅力/魔力はすごい。
広場では軍が除雪作業を。着いたのが午後だったので、ほとんど除雪は済んでおり、あちこちに大きな雪の山が、、、。
いつものように、ドゥオモでしばし静寂の時を過ごしてから街へ。
主要道路は除雪も進んでいて、ミラノは動き始めていた。クリスマス・マーケットも開き始めていた。
移動の予定はジェノバへの日帰り小旅行だけ。なので、大雪の被害は最小限で済んだ。
ところが、その先にスリリングな「事件」が。帰国前日の朝、ルフトハンザから「ミラノの空港職員ストライキで帰国便が飛ばない可能性がある」との連絡が入った。
フル回転で仕事をしていた時代なので焦った。
帰国が一日遅れるだけでも、仕事にかなりの支障が出てしまう。でも、ここは、事態の好転を待つしかない。
夜になっても事態は好転しなかった。
気が重くなって、夕食もガレリアのカフェで簡単に済ませた。大雪の後遺症で、ガレリアも閑散としていた。
僕たちはカフェの前、、、大好きなオープンスペースに座っていた。真冬でもヒーターの近くならぜんぜん寒くなんかない。
で、そこで、思いがけないサプライズがあった。当時、ACミランに所属していたロナウジーニョがカフェの前を通りがかったのだ。
僕も家内もACミランが好きだったし、ロナウジーニョも好きだった、、、なので、本物が目の前を歩いていれば、当然反応する。
反応とはいっても、席を立ったわけでもないし、手を振ったわけでもない。ちょっと身を乗り出したくらいだったと思う。
でも、僕たちの反応に気づいたのだろう。ロナウジーニョが視線を向け、にっこり笑ってくれた。これは「宝物級」の思い出だ。
ミラノ発の予定は昼前だったが、飛ぶのか飛ばないのか、、、気になって早起きした。情報はホテル経由で入るので、起きてすぐフロントに電話を。
「進展はありません」、「進展があったらすぐご連絡します」との答え。まあ、予想通りではあるのだが、けっこうガックリきた。
労使交渉がまとまって飛ぶことになれば、ホテルを出なければならない時間が迫ってくる。
「もうダメだな」とは思いつつ、ホテルのチェックアウトも済ませて、未練がましく万が一の朗報を待った。
電話が鳴った。聞き覚えのあるフロントマンの声が、いきなりこう言った。「飛びます!すぐ出発してください。タクシーを待たせてありますから!」と。
タクシーの中でも気は急いていた。赤信号がとても長く感じられた。でも、空港に着いたときは30分程の余裕があった。ヤレヤレだ。
ここで一件落着となるのがふつうだが、、、さらに「事件」は続くことに、、、。
チェックインまではスムースだったが、搭乗口に着いてから再び問題が起きた。出発時間の変更が繰り返され、どんどん遅延が。
僕は慎重な方なので、乗り継ぎ時間は長めにとるようにしている。あの時も、フランクフルトでの乗り継ぎ時間は3時間くらいあった。
が、それでも足りなかった。ストライキの後遺症だろう。出発は遅れに遅れた。
乗り継ぎ便の出発時間前にフランクフルトに着くには着くが、どう考えても乗り継ぎ時間が足りない。
それがハッキリしたところで、僕はダメ元でチーフパーサーに掛け合ってみることにした。「乗り継ぎ便に乗れる手段はないか」と。
こんな交渉をする気になったのは、相手がルフトハンザ航空だから。日本の航空会社とルフトハンザ以外だったら、こんなことは初めからやらない。無駄だからだ。
期待通り、そのチーフパーサーは真剣に対応してくれた。「難しいと思います」とは言いながらも、連絡を取り交渉をしてくれた。
「席に戻ってお待ちください」と言われて10分くらい経っただろうか。チーフパーサーが僕の席にやってきた。その笑顔をみて、僕は「やった!」と思った。
「フランクフルトに着いたら、いちばん先に降りられるよう準備しておいてください。その先は地上職員が誘導いたします。よかったですね!」と、、、最高の気分だった。
いちばん前の席だったが、誰よりも先に立ち上がり、家内共々感謝の意を伝えて機を後に。
機の扉の前で待っていた地上職員のアクションもキビキビしていた。
ボーディングブリッジを出てすぐ、非常口のような小さなゲートから外に。そして、梯子に近いような簡易タラップを降りると、小型バスが待っていた。
バスは直接乗り継ぎ便の待つゲートに向かい、同じような簡易タラップを上がったところでパスポート・チェック。そして機内へ。
ミラノからの便の席を立ち上がり、成田行きの便の席に着くまで、、、たぶん10分くらいしかかかっていないと思う。文字通り「あっという間の出来事」だった。
成田行きは定刻に出発した。何事もなかったように。
僕の人生、飛行機の旅はいやというほど重ねている。その間、多くの出来事に出会った。でも、これほどドラマティックで思い出に残る出来事は他にない。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。