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2026.03.08

初めての「外車」は、1946年前後のフォードだった。アメリカ車の思い出

終戦時5歳の筆者が、焼け野原の東京で憧れたのがアメリカ車だったそう。そんな幼少期に初めて乗った外車フォードから、ジープ、ビュイック、オールズモビルなどなど、往年のアメリカ車の思い出を語ります。

BY :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
CREDIT :

イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第277回

若き日の、アメリカ車の思い出!

イラスト 溝呂木 陽 フォード

僕の父親は児童文学者であると同時に、満州鉄道の幹部でもあった。なので、家は東京の小石川と満州大連市の両方にあり、父の仕事に合わせて行き来する生活をしていた。


僕は満州生まれだが、終戦時で5歳だったので、満州のことはほとんど覚えていない。よく覚えているのは、敗戦し、日本に引き揚げる時の悲惨な状況くらいだ。


東京文京区にあった家は東京大空襲で完全に焼け落ち、満州での財産はすべて没収された無一文の引き揚げ者には、住むところもなかった。


それでも焼け残った親戚の家の一部屋を借りて凌げたのは幸いだったし、当選確率の低い都営住宅の抽選に当たったのも幸いだった。

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都営住宅(小さなアパート)は足立区の国道4号線沿いにあった。そこでの楽しみといえば、隣近所の子供達との鬼ごっこや隠れん坊がほとんど。


でも僕はひとつ、大きな楽しみを見つけた。国道4号線を走るクルマを見ること、、特に、米軍の軍属が乗るアメリカ車が主なお目当てだった。


日本人の輸送手段は、人力車や牛車からオート三輪に移りつつあった時代だが、そんな環境下では、米軍やその家族が乗るアメリカ車は、当然光輝いていた。


軍用トラックさえもカッコよかったが、なかでもジープには惹かれた。兄も同じだったようで、それから25年ほども月日は経ったが、三菱のJ3型を手に入れた。


おかげで僕もJ3型ジープにはよく乗った。「戦場で生まれたクルマ」は無論タフで、J3に乗っていると「俺は男だ!」といった感覚が湧いてきたりもした。


でも、日常の乗り物としては、いささかタフに過ぎた。女性を誘っても、最初は「わーっ、ジープに乗れるんだ‼」と喜ぶのだが、走り始めるとすぐメゲる。

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僕はいつも幌を外して乗っていたので、風は容赦なく暴れ、整えた女性の髪を一瞬にしてめちゃめちゃに崩してしまう。


そんなことで、まもなく、僕はJ3 ジープに女性を誘うことはやめた。でも、ジープと時間を共にしたあれこれは、素晴らしい思い出として残っている。


乗用車はシボレーやフォードが多かったが、軍属やその家族が乗っていたためだろう、ボディカラーも地味なものがほとんどだった。でも、僕の胸の鼓動は高まった。


以前にも、このコラムで書いたと思うが、僕が生まれて初めて乗った「外車」は、たしか1946年前後のフォード。


4ドアの実用型セダンだが、ルーフはノッチバック型ではなく、後席上部からリアエンドまで弧を描く形だった。


住んでいた町のタクシー屋さんが買い入れたのだ。僕の家から歩いて5分くらいの距離だったので、よく見に行った。


で、どうしても乗りたくなり、父にせがんで、お誕生日かなにかのプレゼント代わりにフォードのタクシーに乗せてもらった。

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小さな日本車のタクシーとはすべてが異なっていた。キャビンは広く、シートは厚くフカフカで、エンジンは静かだった。


乗り心地は、「トラック改」と言ってもいいような、当時の日本のタクシーとは異次元のもので、町を一周走っただけだが、天国にいるような気分だった。


今だったら、絶対に記念写真を撮るはずだが、当時のわが家にはカメラもなく、タクシー屋さんにも聞いてみたが、カメラの用意はなかった。


もし、この時の記念写真があったら、僕の一生の宝物になっていたのは間違いない。


次のアメリカ車との深い出会いは1959年。家内と知り合い、付き合い始めたことで出会った。


家内の親のクルマが1953年のビュイック ロードマスターだったのだ。ボディカラーは黒だったが、大きなフロントグリルとバンパーを中心にクローム満載のピカピカで、十分に目立った。


家内には両親と兄がいたが、共に鷹揚で、知り合ってすぐ、僕にビュイックのハンドルを握らせてくれた。感謝感激だった!

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僕がアメリカ車のハンドルを握ったのはその時が初めてだったが、なぜか、あっという間に馴染んでしまい、スイスイ走らせられた。


初めてビュイックを運転した時は、家内の兄にも一緒に乗ってもらったが、その兄が、母親に「いい報告をしてくれた」ようで、2回目には母親も乗ってくれた。


千駄ヶ谷の家と青山の紀伊國屋の往復だったが、家に着いたとき、「あなたの運転、とても安心できるわ。またお願いね!」と、最高の言葉を投げかけてくれた。


以来、家内の家に遊びに行っていて、たまたま母親が買い物に出るような時、、「付き合ってくれない? 運転していってほしいの」と声をかけられることが普通になっていった。


母親と父親は仲が良く、夜は、食事に、あるいはナイトスポットに出かけることが多かったが、僕がお酒を飲まないということもあって、運転手兼で「一緒に行かない?」と声をかけられることも多かった。


ビュイックを運転できるだけでもうれしかったのに、加えて、贅沢な大人の遊びが楽しめ、さらには家内とのデート代も浮くといった極楽状態になったということだ。

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家内の母親にはずっと可愛がってもらい、僕もまた家内の母親が大好きだった。


家内の親がビュイックの次に買ったのは、明るいブルーと白の2トーンで、V8を積んだオールズモビル88 4ドアハードトップ。


ちなみに、以前、オールズモビルについて書いたことはあるが、なぜかビュイックにはまったく触れていない。なぜか。ボケか。理由がわからないのだが、お許しいただきたい。


年式は1956年だったかと思う。つまり4年落ちだ。新車でも楽に買えるはずなのに、ビュイックもオールズモビルも年式落ちの中古を買ったのには理由がある。


当時の日本は「外貨(ドル)」が不足していたため、外貨割当て制度というものがあり、政府は輸入車を厳しく制限していた。


この制限は1962年から段階的に緩められ、新車の輸入車が買えるようになった。つまり、ビュイックも、オールズモビルも、中古車しか買えなかったということだ。


でも、岡崎家には腕のいい輸入車セールスマンが出入りしていたので、ビュイックもオールズモビルも、ベストコンディションのクルマを手に入れることができていた。

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上記のように、ビュイックは黒、オールズモビルは明るいブルーと白の2トーンカラーを纏っていたが、僕が憧れていたアメリカ車は華やかな衣装を纏ったもの。


つまり、そんな僕の夢に、オールズモビルはピッタリはまったということだ。陳腐な表現になってしまうが、まさに「夢が目の前に現れた‼」、、そんな感じだった。


空いている時はいつでも自由に使わせてもらえたので、家内と一緒に赤坂、銀座、六本木辺りによく出かけた。


二十歳そこそこの若い二人が、華やかな2トーンカラーのアメリカ車に乗っているのは、最新のファッションに包まれた街でも否応なく目立った。


当時のアメリカ車のハンドルは指一本で回せるくらい軽かった。ブレーキも、まともに踏むと急ブレーキがかかってしまう、、典型的な「カックンブレーキ」だった。


でも、僕はすぐに慣れ、スムースに走らせられるようになった。特に親を乗せる時は、「優秀なショーファー」になりきり、加速も減速も停止も、「それと気づかないほど滑らかに」走らせた。

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軽いステアリングは、握るというより、右の手のひらを軽く押し付けるような形で操作。四つ角などのタイトターンでは、手の平を押し付けながら片手で滑らかに回すよう操作した。アメリカ映画でよく見た操作方法だ。


そんな背景もあって、1964年、初めてアメリカに行った時、マスタングのレンタカーにも一瞬で、、というほどすぐ慣れた。右側通行にもまるで違和感は感じなかった。


僕はアメリカ車が好きだ。「コンパクト系が好き」と言っているのは日本に住んでいるからだ。


僕個人のアメリカ車所有歴といえば、以前ご紹介した、1957年のデソート 2ドア ハードトップのみ。だが、もし、アメリカに住んでいたら、アメリカ車に乗っているだろう。いや、間違いなくそうだと思う。

岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
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